徳島県の峠地名 越・坂を含めて

徳島県の峠地名

国土地理院地図を中心に徳島県内の○○峠、△△越、××坂等の地名を収集し一覧に。
自然地形地名から伝承・語源・祖型等を探り、地名・方言研究の一助になればと。

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徳島県の峠地名一覧

徳島県の峠確認用地図:四国地方 峠・越地名地図

【凡例】
※ 地名の読みの*付きは推定・未確認を含む。
※ 行程が地図上にて明瞭でなく集落地名のみと思われるような越・坂地名は一部を除いて記載していない。

峠地名 読み 位置・行程他
相栗峠 あいくりとうげ 徳島県美馬市美馬町。香川県境、県道7号美馬塩江線、美馬市美馬町字清田-香川県高松市塩江町上西甲。
相名峠 あいなとうげ 徳島県那賀郡那賀町谷内。県道291号竹ヶ谷鷲敷線、相生トンネル、那賀郡那賀町相名-同町谷内。▼旧県道側にも相名隧道があり、その東口に寛政11年(1799)に建てた地蔵尊があり、地元の世話人に混じって「讃州行者徳兵衛」の名が刻まれている。この地蔵尊は上の峠にあったが、隧道の完成により現在地に下ろしたといわれている。『相生町の峠道』より。
青ノ峠 あおんとう 徳島県那賀郡那賀町川成。那賀郡那賀町木頭助・同白石-那賀郡那賀町川成。▼剱山道を示す道標あり、劔紋に「山」に方向を示す指さしに「川なり」の文字が刻まれた非常にユニークな道標である。『木沢村の峠道』を参照した。山名にある「青の塔(あおのとう)」北西に位置した古道峠、山名である「青の塔」もほぼ同意だったと考えられそうだ。
あけぼの峠 あけぼのとうげ 徳島県名西郡神山町上分。剣山スーパー林道。
旭丸峠* あさひのまるとうげ 徳島県勝浦郡上勝町大字生実(いくみ)。剣山スーパー林道、名西郡神山町神領-勝浦郡上勝町大字生実。▼峠西側の1312が旭ノ丸。峠の少し下に氷小屋(氷室)があり、江戸期に神山町神領字高根(こうね)の人が維持し献上していた等の記録が石碑や案内板にある。
アザミ峠 あざみとうげ 徳島県三好市山城町上名。子泣き爺発祥の地碑がある。
阿千田越 あせんだごえ 徳島県小松島市立江町。阿南市羽ノ浦町岩脇-小松島市立江町。
あづり越 あづりごえ 徳島県徳島市上八万町。登山道。徳島市上八万町-北山町。▼あずり越とも表記、旧称に阿津伊地越、安土越とも。
阿部坂 あべざか 徳島県海部郡美波町阿部。阿南市福井-海部郡美波町阿部。
躄峠 いざりとうげ 徳島県三好市東祖谷西山。高知県境、登山道。▼天狗塚近傍。旧地図では「躄峠」、現行地図では「天狗峠」となっている。
伊座利峠 いざりとうげ 徳島県海部郡美波町伊座利。県道26号由岐大西線、海部郡美波町伊座利-阿南市椿町。▼峠には3体の地蔵尊がまつられている。西の明神山峯神社奥宮には巨石群があるという。
石ヶ多尾 いしがたお 徳島県吉野川市美郷。吉野川市美郷字湯下-同市川島町学。▼学峠の東南東900mにある。湯下から上る道が林道と交差したすぐ上の尾根道に、明治42年(1909)建立の「地蔵大菩薩」と刻まれた石仏がある。峠名は、大師伝説のある大きな石が峠に立っていることから。『美郷村の峠道』より。
居敷越 いしきごえ 徳島県海部郡海陽町中山。海部郡海陽町中山-宍喰浦。
一ノ谷峠* いちのたにとうげ 徳島県三好市東祖谷落合。三好市西祖谷山村小祖谷(おいや)-同市東祖谷落合字深渕。
一本松越 いっぽんまつごえ 徳島県板野郡板野町黒谷。香川県境、板野郡板野町黒谷-香川県東かがわ市川股。
犬石峠* いぬいしとうげ 徳島県美馬市木屋平。県道260号、美馬郡つるぎ町一宇字実平-美馬市木屋平字川上カケ。
猪ノ峠 いのとうげ 徳島県海部郡海陽町船津。海部郡海陽町船津-同町小谷字猪ノ鼻。
猪ノ鼻峠 いのはなとうげ 徳島県三好市池田町西山。香川県境、国道32号、三好市池田町西山-香川県三豊市財田町財田上。
井ノ丸峠 いのまるとうげ 徳島県三好市東祖谷大西。三好市東祖谷和田-同大枝。
岩倉峠 いわくらとうげ 徳島県那賀郡那賀町岩倉。現登山道、旧剱山道、那賀郡那賀町岩倉字岩倉-同町木頭助字蝉谷。▼『木沢村の峠道』より。
インノタオ いんのたお 徳島県美馬郡つるぎ町一宇字九藤中(くどうじゅう)。▼『お堂と庚申塔からみた旧一宇村の民間信仰』に見える峠地名だが、位置が不明のため推測。▼奥九藤中と九藤中を結ぶ旧道にあり、お堂前に石仏が並ぶ。「奉供養庚申待座二世安楽」と刻まれた元禄2年(1689)の庚申塔がある。造立者の刻銘には「太左衛門 源左衛門 作衛門」と男性の間に、「女房」という字が6カ所刻まれているのは大変珍しい。
卯辰越 うたつごえ 徳島県鳴門市北灘町折野。県道41号徳島北灘線、鳴門市北灘町折野-大麻町桧。
内山峠 うちやまとうげ 徳島県那賀郡那賀町内山。勝浦郡上勝町大字福原字杉地(すぎじ)-那賀郡那賀町内山。▼「杉地峠(すぎじとうげ)」ともいう。両地区は姻戚関係も多く、往来に峠道が使われたが、美杉峠から西へ林道が延びたため峠は消えた。『相生町の峠道』より。▼杉地の最源流部には穴太衆の技法で作られたという見事な吉成家の石垣、隧道がある。
宇峠 うとうげ 徳島県美馬郡つるぎ町貞光。美馬郡つるぎ町一宇-同町貞光。▼一宇村の北、一宇街道として貞光、半田方面への交流を支えた峠道。剣山道としても知られ,貞光南町には「つるぎ山道是より九里八丁」の道標が残る。峠には地蔵尊を祀るお堂と庚申塔があり、昔の雰囲気をよく残している峠の一つ。『お堂と庚申塔からみた旧一宇村の民間信仰』より。
鵜峠 うのたお 徳島県阿波市土成町宮川内。香川県境、阿波市土成町宮川内-香川県東かがわ市西山。▼「鵜の田尾峠」ともある。国道318号鵜の田尾トンネルの旧道。旧地図には御所トンネルから鵜峠に向かう旧道(太鼓坂)が記される。▼僧侶と怪魚の伝説が残る。
馬越峠 うまごえとうげ 徳島県名東郡佐那河内村下。名東郡佐那河内村下字馬越-同字嵯峨。▼「野田のたお」から北東に500mほど。
馬路越 うまじごえ 徳島県海部郡海陽町野江。海部郡海陽町宍喰浦-高園。
馬路峠 うまじとうげ 徳島県那賀郡那賀町馬路。登山道、那賀郡那賀町馬路-勝浦郡勝浦町大字棚野字立川(たずかわ)。▼馬路と立川を結んだため「立川越(たずかわごえ)」とも。馬路側の道沿いに山の神が祀られている。現行の国土地理院地図だと竜王山のすぐ北に記されているが、『相生町の峠道』及び旧地図のルートを確認するとその地点より西500mの尾根上が、馬路峠の正しい位置である。現在は送電用鉄塔が峠に立てられている。
梅ノ木峠 うめのきとうげ 徳島県名西郡神山町神領。四国のみち、勝浦郡上勝町大字傍示-名西郡神山町神領字西大久保。▼旧行程は、傍示方面より梅木及び梅木谷の谷筋に沿って北上し峠を越え大久保・野間方面へと至る道が旧地図に見える。▼「梅の木峠名東名西の堺也 峠より下り坂廿丁の間其急也」と「阿波国漫遊記」にある。『神山町の峠道』より。
宇和山越 うわやまごえ 徳島県名東郡佐那河内村下。徳島県徳島市一宮町字東丁-名東郡佐那河内村下字尾境。▼旧地図では東丁の付近に宇和山の地名があり、ルートからも場所由来の峠名だろう。▼『佐那河内村の峠道』には、昭和8年(1933)まで、一宮局の郵便夫が峠を越えていた郵便路線であった、と。
蝦尾僧越 えびそうごえ 徳島県名西郡神山町阿野。名西郡神山町鬼籠野字一ノ坂-徳島市入田町字南谷。▼旧地図に古道が記されており、旧鬼籠野(おろの)村一坂から東西龍王山間の西よりの尾根線鞍部を越えて、旧入田村上山(付近)へと至る。▼『神山町の峠道』によると、峠名は入田側にある「えびそう」という小高い山に由来する。
おうどう峠 おうどうとうげ 徳島県三好市西祖谷山村後山向(うしろやまむかい)。現県道45号西祖谷山山城線祖谷トンネルが代替。三好市西祖谷山村尾井ノ内-同村後山。▼峠は堀切がなされ国見山登山口、金毘羅神社がある。峠の後山柄に峠バス停あり。漢字だと王道・横道・黄銅で管理意味が違ってくるが現時点では不明♪
大久保峠 おおくぼとうげ 徳島県名東郡佐那河内村下。県道33号小松島佐那河内線、徳島市八多町字大久保-名東郡佐那河内村下字寺谷(てらだに)。▼「横坂峠」ともいい、現県道開通時に新峠にも同じ「大久保峠」の名が付いた。古道及び旧峠は現峠部から750m程南にあたる。▼『佐那河内村の峠道』によると、峠には地蔵尊を祀っているお庵があり、50年位前までは寺谷、大久保から参拝者があり、市も立っていた。山際に法師の墓が2基あり、天明4年(1784)建立の「法師大仁」の墓には、「當庵開基也」の銘がある。峠は廃道になっていて人の気配は全くなく、時間が停止したような雰囲気が体験できる。
大坂越 おおさかごえ 徳島県板野郡板野町大坂。旧讃岐街道、県道1号徳島引田線、板野郡板野町大坂-鳴門市北灘町大須。▼大阪峠との二つを合わせて「大坂峠」や「大阪越」とも称する。
大坂峠 おおさかとうげ 徳島県鳴門市北灘町碁浦。香川県境、旧讃岐街道、県道1号徳島引田線、鳴門市北灘町碁浦・大須-香川県東かがわ市坂元。▼大阪越との二つを合わせて「大坂峠」や「大阪越」とも称する。
大桜越 おおざくらごえ 徳島県名西郡神山町鬼籠野。県道207号大桜隧道上旧道の峠、名西郡神山町鬼籠野一ノ坂-同猪ノ頭。▼二秀峯(ふたつとんごう)の北、倶利伽羅不動明王、常夜灯、剣山遥拝所がある。桜の名所でもあるようで、命名はその様子からだろう。
大タオ おおたお 徳島県那賀郡那賀町坂州。那賀郡那賀町坂州字大用地-同字寒谷(さぶだに)。▼『木沢村の峠道』より。行程が不詳なので位置は推測。
大根峠 おおねとうげ 徳島県阿南市阿瀬比町。遍路道、四国のみち、阿南市新野町(あらたのちょう)-同市阿瀬比町(あせびちょう)。▼第21番札所太龍寺から第22番札所平等寺へ阿波遍路道の峠。太龍寺方面から、いわや道、平等寺道を伝い阿瀬比から大根峠を越えて新野の平等寺に至る。大根峠から阿瀬比町側の約200mと大根峠から新野町側を少し下ってからの約400mが国史跡に指定されている。
大山越 おおやまごえ 徳島県板野郡上板町神宅(かんやけ)。板野郡上板町神宅-香川県東かがわ市川股。
小島峠* おしまとうげ 徳島県美馬郡つるぎ町一宇。三好市東祖谷菅生(すげおい)字赤滝-美馬郡つるぎ町一宇字漆日浦。▼峠には地蔵尊を祀った祠があったようだが、現在は新道側にお堂として移設されているようだ。▼小島峠は『阿波志』にもその名が見える。
尾尻峠 おじりとうげ 徳島県名東郡佐那河内村下。徳島市八多町犬飼-名東郡佐那河内村下字尾尻。▼現状で峠は変形の四辻をなしており、すぐ傍にに八坂神社もある。▼峠には、でこ人形を持ったままこの峠で倒れていたという人の墓があり、『佐那河内村の峠道』に、伝承の変形(六部と三番叟)やでこ人形のお墓などの詳細が記されているため要確認。また、峠の南西約800mに「西山の地蔵さん」がある。
遅越 おそごえ 徳島県名西郡神山町下分。名西郡神山町下分字地野(じの)-同町阿野字府中・西小野。▼位置は旧地図と『神山町の峠道』、同標高(180m)から推定。峠の南側にお堂があり、中に石像と木像の2体の地蔵菩薩が祀られ、近くには天文2年(1533)の青面金剛像の庚申塔もある。
遅越 おそごえ 徳島県阿波市市場町日開谷。▼越地名。
小田坂峠* おださかとうげ 徳島県海部郡美波町恵比須浜。旧土佐街道、海部郡美波町北河内字登り-同町恵比須浜字田井。▼北河内側からは「小田坂り」、田井側からは「ソロバン坂」とも言われる。元は見事な一本松があったという。また花折地蔵があり、田井へ釣りに行く際は大漁祈願をしたというが、大正時代に不漁だった釣り人が谷底に落としたと伝わっている。
落合峠 おちあいとうげ 徳島県三好市東祖谷落合。県道44号、三好市東祖谷落合-同字深淵(みぶち)。▼峠から落合側に500m程の地点に落合峠避難小屋脇には、交通安全のためにと地元の方々による新しめの地蔵尊が数多く祀られている。▼深渕から加茂へと通じるこの峠道は県道開通によって廃道となり、石造物も半数が移転された。このうち、大歩危橋東詰めの墓地に移転された「寛政十一年」(1799)の銘がある地蔵尊には、「諸人無難是より里谷峠三十五丁半」と刻まれている。これは道標を兼ねたもので、二百年前は落合峠が「里谷峠」と呼ばれていたことを示す貴重な資料である。『三好市「旧東祖谷山村」の峠とお堂と地蔵信仰』より。
小野峠 おのとうげ 徳島県美馬郡つるぎ町半田。美馬郡つるぎ町半田字小野-同字逢坂。▼現在はコンクリートで固められた堀切となっている。
尾葉古のたお おばこのたお 徳島県勝浦郡上勝町大字正木。登山道、名西郡神山町神領-勝浦郡上勝町大字正木。▼旭ヶ丸の南にあり、上勝町や佐那河内村では「尾葉古のたお」、神山町では「杖立峠」という。▼『佐那河内村の峠道』によると、峠にはここで遭難したおもんさんの墓と秘話が伝わるという。また「左藤川 右梅之木」「左上角 右佐那河内」と左右に刻まれた、道標を兼ねた高さ107cmの不動明王も祀られており、昔は周辺から大勢峠に集まり、太鼓をたたいて踊ったり、市も立ってにぎわっていたという。▼『神山町の峠道』によると、上角方面から上る道筋に、「くわんじよう太き道 施主儀左衛門」の銘がある高さ45cmの道標があり、「慈眼寺」ではなく「灌頂ケ滝」の名を記したのは、寺より滝へ行く人が多かったのだろうか。
貝谷峠 かいたにとうげ 徳島県海部郡美波町西の地。土佐街道、阿南市福井町字貝谷-海部郡美波町田井。▼田井からは松坂峠を経て貝谷峠から貝谷へと至る。
がいなの多尾 がいなのたお 徳島県吉野川市美郷。美馬市穴吹町口山字大内・樫山-吉野川市美郷字岸宗。▼『美郷村の峠道』より。奥野々山の北500mにある峠。峠名は、方言の「ガイナ」(気が強い)からと考えられるが、なぜこの名が付いたかは不明である。
笠仏峠 かきぼとけとうげ 徳島県美馬郡つるぎ町貞光。美馬郡つるぎ町半田字高清-同町貞光。
学峠 がくとうげ 徳島県吉野川市美郷。吉野川市美郷字湯下-同市川島町学。▼峠の下にあった掛ノ谷大師堂は、昭和58年に800mほど下に移転、いまも地元民の信仰が厚い。旧堂跡の峠寄りに、「土御門天皇」と剣紋の下に刻んだ高さ82cmの自然石の碑がある。地元では、「つるぎさん」と呼んでいるが、土御門上皇が土佐から阿波へ移られたとき、この道を通られたという伝承が残っている。峠には、正徳年紀の地蔵尊が立っている。『美郷村の峠道』より。
加持窪ノ峠 かじくぼのとうげ 徳島県那賀郡那賀町木頭名。那賀郡那賀町阿津江-同町木頭名。▼峠には加持久保八幡神社がある。2004年の台風10号による豪雨で阿津江側の古道や旧道は崩落した。▼黒滝寺の縁起には、延暦12年(793)この山に登った弘法大師が、悪魔退散の祈祷をした地が現木頭名で、秘法を修め加持した窪地がこの峠とされ、地元では「加持窪」と呼んでいる。峠には、「右黒たき寺 左阿津江村」と刻む自然石の道標がある。また峠から黒滝寺への旧道には、「七丁」「八丁」と刻まれた丁石も残る。『木沢村の峠道』より。
樫ノ峠 かしのとうげ 徳島県那賀郡那賀町木頭名。黒滝寺道、那賀郡那賀町高野-同町木頭名。
樫ノ休場 かしのやすんば 徳島県三好市三野町太刀野山。香川県境、林道樫ノ休場線、三好郡東みよし町東山・三好市三野町太刀野山-香川県仲多度郡まんのう町塩入。▼かつては二本杉(六本が二本に重なって見える)が目印で阿讃両国の主要ルートの一つとして栄え、うどん茶屋もあった。このため「二本杉」もしくは「二本杉越」とも。▼人通りが最も多かったのが中屋と井ノ久保線で、「金比羅街道」とも呼ばれた。そのため中屋、栗林(くりばえ、井ノ久保には常夜灯が合わせて5基あり、その内4基に金比羅街道を示す「金」の文字が彫られている。また、井ノ久保の尾根道には2基の道標が残っており、一つに「金比羅右芝生道」、他に「左芝生村船場道」と刻まれている。これらの石造物は、昔の街道の賑わいを物語る貴重な文化財である。『三野町の峠道と生活空間』より。▼仲南町誌によると、明治末期の東山(ひがしやま)峠道、大正3年の真鈴(ますず)峠道、昭和4年の土讃線開通により往来が減少、昭和初期に峠は無住となったと。
梶山峠 かじやまとうげ 徳島県美馬郡つるぎ町貞光。県道255号、美馬市穴吹町口山字梶山-美馬郡つるぎ町貞光字家賀。▼旧地図では現位置よりも南西の鞍部に古道が見える。以前はこちらだったのかもしれない。
蟹ヶ峠* かにがとうげ 徳島県那賀郡那賀町内山。登山道、那賀郡那賀町内山-勝浦郡上勝町大字福原。▼「右ハ 西納道 左ハ 馬治道 施主 吉ケ平中」と刻まれた道標と、「施主 仁宇村 富治日用 大田井村 作左衛門日用」の銘のある高さ38cmの地蔵尊がある。これらより、この峠道は馬路にも通じていて、那賀郡那賀町仁宇や阿南市大田井町の人もよく利用していたことがわかる。『相生町の峠道』より。▼旧地図にも蟹ヶ峠を中心に古道が張り巡らされているのが良くわかり、交通の要衝であったことがうかがえる。昭和59年(1984)11月、西側に林道杉地臼ケ谷線の開通で「美杉峠」ができたために廃れてしまった。「かにがたお」とするものも。
鉦打峠 かねうちとうげ 徳島県阿南市福井町。土佐街道、国道55号鉦打トンネル、阿南市福井町鉦打-同町字小野。▼鉦打坂の名称も見られる。現鉦打トンネル福井側に鉦打大師が移設されている。
壁岩峠 かべいわとうげ 徳島県名西郡神山町下分。登山道、吉野川市美郷字古井-名西郡神山町下分字長野・名ケ平。▼峠には大岩があり、これがその由来だろう。▼峠の北東250mに、剣紋の下に「右剣山是より七里半程 左上山道」、側面に「古井講中世話人瀧次郎」と刻まれた道標がある。峠の北1.6kmに「右遍路道四十八丁」と刻まれた文化元年(1804)建立の道標地蔵がある。『美郷村の峠道』より。
上浦峠 かみうらとうげ 徳島県名西郡神山町阿野。吉野川市鴨島町上浦・山路(さんじ)-名西郡神山町阿野字北倉目・南倉目。▼「丸松峠」とも。峠の神山側には、現在の公衆トイレに当た石積みの「野の雪隠」が残る。▼位置は『神山町の峠道』と登山関連のサイトによる。
亀尻峠 かめじりとうげ 徳島県三好市東祖谷西山。登山道、三好市東祖谷阿佐-同市東祖谷西山。▼江戸期の紀行文である『祖谷山日記』に登場する亀尻峠は、大師像2基と地蔵尊1基が残る。「あごなし地蔵」と刻まれた地蔵尊は、歯痛によく効くといわれて近年まで参拝者があったという。『三好市「旧東祖谷山村」の峠とお堂と地蔵信仰』より。
カヤンドウ かやんどう 徳島県三好市東祖谷菅生。三好市東祖谷落合字落合東-菅生(すげおい)字滝下。▼『三好市「旧東祖谷山村」の峠とお堂と地蔵信仰』による、位置はルートから推定したが、もう少し尾根沿いの西かもしれない。▼カヤンドウはカヤトと同意かもしれない。▼地形図から見ると滝下はダキのシタの意だったかもしれない。
川井峠 かわいとうげ 徳島県美馬市木屋平。国道439号、名西郡神山町上分字府殿-美馬市木屋平字川井。▼国道439号川井隧道上の古道、木屋平側斜面に約20本のシダレザクラが咲き、桜見物の名所となっている。▼昭和41年の川井隧道開通前、川井から上分への古道峠。徳島や美郷、神山から剣山道としてもよく利用された。峠には,「剱山道 是より百七十九丁 世話人 東山重五良」と刻まれた道標が残る。『美馬市木屋平の峠とお堂と庚申信仰』より。▼藩政期に酒井順蔵が記した「阿波国漫遊記」に出てくる「ゆるぎ石」が残っているが、昭和21年の南海地震後ゆるがなくなったという。『神山町の峠道』より。
川成峠 かわなりとうげ 徳島県那賀郡那賀町川成。剣山スーパー林道、美馬市木屋平字弓道(ゆどう)-那賀郡那賀町川成。▼美馬市側からは舗装済、東南東には樫戸丸(1565.8)。
寒葉坂 かんばざか 徳島県海部郡美波町山河内。国道55号、JR牟岐線、旧土佐街道、海部郡美波町山河内字かんば-海部郡牟岐町大字橘字寒葉(かんば)▼「寒葉峠」とも。
寒風越 かんぷうごえ 徳島県美馬市美馬町。香川県境、美馬市美馬町藤宇-香川県仲多度郡まんのう町勝浦。
カンボウ峠 かんぼうとうげ 徳島県美馬郡つるぎ町一宇。美馬郡つるぎ町一宇字平-同字平井。▼『お堂と庚申塔からみた旧一宇村の民間信仰』より。
寒峰峠* かんぽうとうげ 徳島県三好市東祖谷小島(おしま)。▼『三好市「旧東祖谷山村」の峠とお堂と地蔵信仰』による、位置はルートと標高から推定。手水石や大師堂跡があったと。また連絡地に大枝と辻をあげているが、後者が良くわからなかった。祖谷の産物が集まったという現三好市井川町辻(旧三好郡辻町)のことだろうか。
木地屋越* きじやごえ 徳島県美馬郡つるぎ町一宇。美馬郡つるぎ町半田字大惣-同町一宇字木地屋。▼『お堂と庚申塔からみた旧一宇村の民間信仰』より。
北川峠* きたがわとうげ 徳島県那賀郡那賀町岩倉。那賀郡那賀町岩倉字焼山-同町北川。▼『木沢村の峠道』より。
木戸峠* きどとうげ 徳島県美馬市木屋平。美馬市木屋平(こやだいら)字川井-名西郡神山町上分字奥屋敷。▼旧地図と『美馬市木屋平の峠とお堂と庚申信仰』より推定。
京女郎越* きょうじょろうごえ 徳島県美馬郡つるぎ町一宇。▼大横から半田へ越える京女郎越は、伝説とお堂や石仏など文化財に富んだ峠道。『お堂と庚申塔からみた旧一宇村の民間信仰』より。
京柱峠 きょうばしらとうげ 徳島県三好市東祖谷樫尾。高知県境、国道439、492号、三好市東祖谷樫尾-高知県長岡郡大豊町西峯字沖。▼弘法大師が「京に登るほどだ」と語った由来譚や平家伝説も伝わる。▼天保13年の祖谷山一揆では、祖谷の農民630人がこの峠を越えて土佐に逃散したと『祖谷の百姓一揆』に記される。この峠に立つと祖谷・土佐双方の広大な展望を味わえるが、一揆の首謀者3人が10日間晒し首にされたという悲しい歴史も秘めている。『三好市「旧東祖谷山村」の峠とお堂と地蔵信仰』より。
剪宇峠 きりうとうげ 徳島県美馬郡つるぎ町一宇。県道259号一宇古宮線(未通区間有)、登山道、美馬市穴吹町古宮字北又-美馬郡つるぎ町一宇字剪宇(きりう)。▼『穴吹町の峠道』には、昭和48年(1973)、この峠の穴吹側で大蛇を見たという話が広まり、大蛇騒動(剣山の大蛇)があった峠として有名。明和9年(1772)と弘化4年(1847)造立の2体の大師像と、「嘉永三年(1850)羽根切惣氏子中」の銘がある常夜灯がある。いずれも一宇側にあり、剪宇の人々によってまつられている。
霧越峠 きりごえとうげ 徳島県海部郡海陽町小川。国道193号、海部郡海陽町小川-那賀郡那賀町海川。
キレンタオ きれんたお 徳島県美馬郡つるぎ町一宇字九藤中(くどうじゅう)。▼『お堂と庚申塔からみた旧一宇村の民間信仰』より。
楠峠 くすのきとうげ 徳島県名西郡神山町阿野。名西郡神山町阿野字名田河(なだこう)-同字臼嶽。▼『神山町の峠道』によると、承久の変(1221)後、守護小笠原長経に攻められた佐々木高兼一行が、鳥坂城から一ノ坂へと逃れる時越えたと伝わる。また、「右 上山佐那河内道 左 おとしくら」と刻まれた道標もある。
朽木峠* くちきとうげ 徳島県勝浦郡上勝町大字旭。那賀郡那賀町出羽(いずりは)-勝浦郡上勝町大字旭字田野々。
曲突越 くどうごえ 徳島県名西郡神山町阿野。名西郡石井町浦庄-同郡神山町阿野。
熊谷峠* くまたにとうげ 徳島県三好市西祖谷山村今久保。三好市西祖谷山村有瀬-同村今久保。▼山姥を封じたという熊谷地蔵が安置されている。
倉羅峠 くららとうげ 徳島県吉野川市美郷。国道193号、名西郡神山町上分字名ヶ平-吉野川市美郷字倉羅。▼弘法大師(空海)が修行中にこの峠で経を唱えていたという伝承から「経ノ坂峠(きょうのさかとうげ)」とも。神山町側に経の坂太子堂として弘法大師尊像が旧道より移設して祀られている。峠には剣山道を示す道標が2基ある。
来見坂* くるみざか 徳島県吉野川市美郷字来見坂。▼現美郷字木屋浦の西にある細い尾根筋に沿う古坂道だろう。旧地図には地名及び集落が見える。
黒河峠 くろごうとうげ 徳島県名東郡佐那河内村上。名西郡神山町鬼籠野(おろの)字黒河(くろごう)-名東郡佐那河内村上字仁井田・北山。▼「暮がたお」ともいう。『佐那河内村の峠道』より。
ゲダノタオ げだのたお 徳島県海部郡美波町山河内。海部郡美波町山河内字白沢(はくさわ)-海部郡牟岐町大字灘字水落。▼現在も白沢から水落に連なる四国の道が通り、遍路道でもあった。▼「ゲダはゲドウのことでお化けのこと。昔この辺りはお化けがよう出て困るので、峠にお地蔵さんを立てた」と語る白沢の老人。高さ53cmの地蔵尊には「楽王寺へ二り」とある。『日和佐町の峠道』による。
越途ノ多尾 こいとのたお 徳島県吉野川市美郷。▼『美郷村の峠道』より。大野、丸山、中谷、月野の集落のほぼ中央に秋葉神社を祀る小高い山があり、本峠はその南側にある。▼「越途峠」と記されるのはこれかもしれない。
恋人峠 こいびととうげ 徳島県美馬市穴吹町口山。国道492号線、美馬市穴吹町口山字首野-同字拝立(はいたて)-左手(きで)。▼「越途峠(こいと・こえととうげ)」からの転訛。現在地は国道沿いだが、元は北側尾根の鞍部。▼このコイトもしくはコエトに注目すべきかと思う。高知でも峠や峠越えの意味でも使われ、特に「ト」は現時点では頭部・頂部を意味した古い言葉ではないかと考えているが、それよりは新しく戸や門の可能性もある。▼『穴吹町の峠道』からは、上越途峠、越途峠、中道、六つ辻等の名称が示されており、峠が開発が進むにつれて川沿いへと降りたことが見えてくる。また石造物多く残されており、その道標からは讃岐の金比羅参りのルートであったことも分かる。
コイラ峠 こいらとうげ 徳島県那賀郡那賀町坂州(さかしゅう)。那賀郡那賀町白石字溝-同町坂州字大用地。▼『木沢村の峠道』より。「海部峠」とも。
コサデ峠 こさでとうげ 徳島県那賀郡那賀町当山。林道出羽当山線、那賀郡那賀町出羽-同町当山。▼『木沢村の峠道』より。杉の大木の下に、二体の地蔵菩薩が祀られている。「今から200年ほど前に、大美谷川下流の宿で手伝いをしていたミヤという巡礼娘が、火の不始末により火事を起こしたとして、大美谷の淵に投げ込まれた」という悲話があり、ミヤの霊を供養するためのものといわれている。
小峠 ことうげ 徳島県那賀郡那賀町平野。那賀郡那賀町馬路-同町平野。▼明治期はトンネルがあったようだが、崩落したために現在の掘り割りの峠となった。峠の西側に寛政9年(1797)に建てた地蔵尊があるが、銘文は判読しづらい。『相生町の峠道』より。
駒坂峠 こまさかとうげ 徳島県名西郡神山町阿野。名西郡神山町阿野字駒坂-同字福原。▼峠には不動堂があり、2体の不動明王と線刻大日如来の石造物がある。丸彫りの不動明王は、昭和3年の大火で折損。堂の後方には明徳元年(1390)の板碑もある。『神山町の峠道』による。
金比羅峠 こんぴらとうげ 徳島県那賀郡那賀町白石。
境目峠 さかいめとうげ 徳島県三好市池田町佐野。愛媛県境、国道192号境目トンネル、三好市池田町佐野-愛媛県四国中央市川滝町下山。▼旧道峠部、旧地図では集落地名として境目とされているように見える。
坂本峠 さかもととうげ 徳島県勝浦郡勝浦町大字坂本。
笹峠 ささとうげ 徳島県那賀郡那賀町東尾。那賀郡那賀町出羽(いずりは)-同町東尾。
笹峠 ささとうげ 徳島県三好市東祖谷樫尾。高知県境、三好市東祖谷古味-高知県香美市物部町笹字明賀。▼「矢筈峠」とも。峠から北西の土佐矢筈山(1606.6)の登山口でもある。
笹ノ田尾 ささのたお 徳島県三好市三野町太刀野山。香川県境、三好市三野町太刀野山字大平-香川県仲多度郡まんのう町造田(そうだ)字柞野(くにぎの)▼大平と柞野を結んでいたため、「柞野越(くにぎのごえ)」ともいう。現在の旧峠付近一帯はイチゴ農場のようである。
桟敷峠 さじきとうげ 徳島県三好市東祖谷落合。県道44号、三好郡東みよし町西庄字森清、新発地(しんぼち)-三好市東祖谷落合字深淵(みぶち)。棧敷峠とも。
サデモリノタオ さでもりのたお 徳島県海部郡美波町山河内。海部郡美波町山河内字白沢(はくさわ)-明丸。▼『日和佐町の峠道』によると、峠名のサデモリはサネモリのことで、斎藤別当実盛の御霊が稲の虫になって人々に祟(たたり)をなすという言い伝えから、稲の害虫を防除する虫送りの行事にその名が出る。
寒風 さむかぜ 徳島県三好市三野町太刀野山。三好市三野町太刀野山字馬瓶(うまがめ)・樫ノ休場・三好郡東みよし町東山字葛籠(つづら)。▼三好町葛篭と馬瓶の境にある峠で北の樫ノ休場へと続く。地元では単に「寒風」と呼び、冬季にに由来すると。美馬町や神山町では「寒風越」で呼ばれる。峠の北には「水谷の地蔵さん」と地元で呼ばれている地蔵尊を祀ったお堂がある。『三野町の峠道と生活空間』より。
寒風峠 さむかぜとうげ 徳島県吉野川市川島町学。林道、吉野川市川島町学字峰八(むねはち)-吉野川市美郷字恵美子(えびす)。
山路峠 さんじとうげ 徳島県名西郡神山町阿野。吉野川市鴨島町山路(さんじ)-名西郡神山町阿野字北倉目・南倉目。▼位置とルートは旧地図と『神山町の峠道』による。
三頭越 さんとうごえ 徳島県美馬市美馬町香川県境、国道438号、美馬市美馬野田ノ井-香川県仲多度郡まんのう町勝浦。▼三頭山の北側で県境を越える行程。
三宝峠 さんぽうとうげ 徳島県三好市東祖谷大西。三好市東祖谷大西-同大枝。
宍喰峠 ししくいとうげ 徳島県海部郡海陽町宍喰浦。高知県境、海部郡海陽町宍喰浦古目-高知県安芸郡東洋町甲浦。
地蔵峠 じぞうとうげ 徳島県美馬郡つるぎ町貞光。美馬市穴吹町口山字支納-美馬郡つるぎ町貞光字家賀。▼「支納峠」ともいう。峠には造立年代不明の2体の地蔵尊がある。
地蔵のたお じぞうのたお 徳島県名東郡佐那河内村下。丸田と高樋を結ぶ峠で、▼峠には2体の地蔵尊、南には秋葉神社がある。
清水峠 しみずとうげ 徳島県美馬市脇町。香川県境、国道193号・377号、美馬市-三木町。▼「清水越」とも。塩江街道や曽江谷街道とも呼ばれ、猪ノ鼻峠や大坂峠とともに阿讃三大峠といわれる。峠自体は香川県側、水準点325.3付近。
十二弟子峠 じゅうにでしとうげ 徳島県那賀郡那賀町海川(かいかわ)。国道193号十二弟子トンネル、那賀郡那賀町成瀬-同町海川。▼旧道峠部。師匠を殺してしまった12人の弟子たちが逃げる途中、この峠で次々に腹痛を起こして死んでしまったことがこの名の由来と。
庄部の垰 しょうぶのたお 徳島県名西郡神山町下分字庄部。名西郡神山町下分字左右知-同町阿野字宇度木。▼『神山町の峠道』より。峠の堀切東側に庄部庵が建ち、弘法大師像や丁石、庚申塔などの石造物あり。
白井谷峠* しらいだにとうげ 徳島県三好市東祖谷落合。三好市西祖谷山村小祖谷(おいや)字春ノ木尾-同市東祖谷落合字深渕。
白井峠 しらいとうげ 徳島県三好市三野町太刀野山。香川県境、三好市三野町太刀野山字白井-香川県仲多度郡まんのう町勝浦。▼峠道は飛脚道としても使われていた。▼位置は『三野町の峠道と生活空間』より三角点871.0の北西にあたるが、旧地図には白井から直接東に延びる道が同三角点の南側鞍部を越えて勝浦へと通じている点には注意か。
ジロウギュウ峠 じろうきゅうとうげ 徳島県那賀郡那賀町岩倉。三好市東祖谷菅生-那賀郡那賀町岩倉。▼「次郎笈」は山名、北東の「太郎笈(剣山)」と対峙する。
信義峠 じんぎとうげ 徳島県那賀郡那賀町出羽。勝浦郡上勝町大字旭字八重地-那賀郡那賀町出羽(いずりは)。▼旧木沢村から徳島への主要道。峠には八重地の人による二体の地蔵菩薩があり、一体に「文化五辰年三月廿四日 勝浦郡八重地村甚木山施主廣太」の銘がある。「甚木山」は峠がある山の地名。『木沢村の峠道』より。
杉のたわ すぎのたわ 徳島県三好市西祖谷山村東山。三好市西祖谷山村重末-同村下吾橋。
熟田峠 ずくだとうげ 徳島県海部郡海陽町四方原。▼峠には3体の地蔵尊が安置され、津波を記した碑文が記されている。浅川と熟田の庚申堂を結んだこの道を「ずくだ道」とも。
関ヶ谷越 せきがだにごえ 徳島県名東郡佐那河内村上。勝浦郡上勝町大字正木-名東郡佐那河内村上字奥野々。▼六郎山(ろくろやま)の西を通るので「六郎越」ともいう。現地図では道は無いが、旧地図には奥野々から慈願寺まで南北に古道が見える。
ソロエノタオ そろえのたお 徳島県那賀郡那賀町木頭。那賀郡那賀町坂州(さかしゅう)-同町拝宮(はいぎゅう)▼『木沢村の峠道』より。
代官松越* だいかんまつごえ 徳島県名西郡神山町阿野。▼登山関連サイトによる。旧地図にはルートと共に峠部に「代官松」と見える。峠の目安となる杉や松が峠名を代替することがある。▼代官越(だいかんごえ)と記す場合も。
太鼓坂 たいこざか 徳島県阿波市土成町宮川内。▼鵜峠に至る坂道。地面をたたきつけるように踏むと「ドンドン」という太鼓をたたくような音がすると。降り積もった火山灰と粘土層の間に水の通るすき間(空洞)があり、振動によって音がする。
大山越 だいせんごえ 徳島県三好市三野町太刀野山。香川県境、三好市三野町太刀野山字大平・白井-香川県仲多度郡まんのう町中通。▼峠道は大川山(だいせんざん)山頂の西側を巻いて、大平・白井(古道は旧地図より)と琴南町中通を結んでいた。山頂にある大川神社は木花開耶姫を祀り、安産の神として有名で参道でもあったようだ。大川神社本殿裏には不動明王がある。
鷹指場越* たかさしばごえ 徳島県三好市井川町井内西。三好市井川町井内西字上西ノ浦-同市井川町里川字里川東。▼『井川町の峠道』より。峠道には2箇所に不動尊があるが、危険な場所でもあったようだ。また峠から北500mのササビザコという場所に熊の墓がある。高さ30.5cm の砂岩製で、中央に「くま」と平仮名で彫り、「明治廿年四月七日上笹作蔵」の銘がある。
高樋峠 たかついとうげ 徳島県名東郡佐那河内村下。国道438、439号、名東郡佐那河内村下字高樋(たかつい)-尾境。▼高樋峠バス停有。▼『佐那河内村の峠道』より。国道東壁の中央部にお堂があり、仏像が線刻された板碑がある。
高戸谷峠* たかとだにとうげ 徳島県那賀郡那賀町竹ヶ谷。▼竹ヶ谷の字には因幡、越後、近江、加賀、薩摩、出羽、長門、播磨、豊後、美濃と旧国名の地名が並ぶ。
高野峠 たかのとうげ 徳島県那賀郡那賀町出羽(いずりは)。那賀郡那賀町高野-同町出羽。▼「出羽峠(いずりはとうげ)」とも。『木沢村の峠道』より。
滝ノ奥峠 たきのおくとうげ 徳島県三好市三野町加茂野宮字滝ノ奥。香川県境、三好市三野町加茂野宮-香川県仲多度郡まんのう町勝浦。▼滝ノ奥集落が県境に接するように存在する。地名の由来となった竜頭、金剛の二つの滝に沿って峠道があり、40年位前までは、金比羅詣りや借耕牛を追った人々が通っていた。旧道登り口には滝寺と鴨宮番所跡がある。峠近くに「不動尊」らしい文字を刻んだ石造物があり、地元では「お不動さん」と呼んでいる。また滝ノ奥を開拓したという峯の兵衛の墓と板碑が峠の1kmほど西にある。『三野町の峠道と生活空間』より。
立見峠 たつみとうげ 徳島県名西郡神山町鬼籠野(おろの)。県道21号神山鮎喰線。名西郡神山町鬼籠野字川東-同字喜来。
種野峠 たねのとうげ 徳島県吉野川市山川町浦山。県道245号、吉野川市山川町坂田-吉野川市美郷字土井ノ奥。▼現行地図に種野の地名は見られないが、旧地図には種野山の名称が見える。由来はこの種野からと思う。▼剣山道としても利用された。大正2年に道路が出来るまでは、土井奥から北へ尾根道を上っていたが、この道は現在通行不能である。『美郷村の峠道』より。▼古道峠は土井ノ奥北から山川町東麓へのルートだろう。
玉ヶ峠 たまがとうげ 徳島県名西郡神山町下分。西郡神山町下分字鍋岩-同町阿野字府中(ふじゅう)・宮分。▼『神山町の峠道』よると、十二番札所焼山寺から十三番札所大日寺への遍路道。弘法大師、弥勒菩薩、地蔵菩薩など合わせて15体の石造物がある。石造物の種類と数の多さでは県下一の峠である
銚子越* ちょうしごえ 徳島県名東郡佐那河内村下。徳島市一宮町字谷又-名東郡佐那河内村下字根郷(ねごう)。▼「谷又越(たにまたごえ)」とも。谷又も銚子越も旧地図には見える。
チョウシノタオ ちょうしのたお 徳島県海部郡牟岐町大字橘。海部郡美波町山河内字大越・畑小屋(旧地図)-同郡牟岐町大字橘字ふどの・岩屋(旧地図)。▼『日和佐町の峠道』によると、峠道を大越街道とも呼んだ、また峠の日和佐側に不動尊を祀ったお堂がある。▼現在は五剣山から鬼ヶ岩屋への登山道、お堂がある。鬼ヶ岩屋は「ヒヒ猿」伝説が残る山。
杖立権現越 つえたてごんげんごえ 徳島県勝浦郡勝浦町大字坂本。勝浦郡勝浦町坂本-名東郡佐那河内村下。▼県道18号勝浦佐那河内線が途中まで走り、「杖立峠」ともいう。『佐那河内村の峠道』から『ふるさと佐那河内』によると、阿波の南北をつなぐ道として、2~3世紀頃から開かれていたという。峠の茂った自然林の中に杖立権現社が祀られている。
杖立峠 つえたてとうげ 徳島県美馬市穴吹町古宮。剣山道、美馬市木屋平(こやだいら)字太合(たいごう)・谷口-同市穴吹町古宮字平谷。▼『穴吹町の峠道』によると、剣山参拝道としてよく使われた峠。口山の閑定の滝前に、昭和3年(1928)建立の「剣山道 是よりお山へ十里 龍光寺八里」と刻まれた高さ3m、幅1.1m、厚さ40cm の道標や、古宮の石尾(いしお)神社の鳥居横の「剣山大権現 明治三十三年(1900)三月建之」と、本殿横の「安政五午年(1858)三月吉日」の2基の常夜灯などに、その歴史を読みとることができる。▼太合と谷口の対岸字名はそれぞれ太合カケと谷口カケだが、旧地図ではそれぞれカゲである点に注意。
杖立峠 つえたてとうげ 徳島県美馬市穴吹町古宮。美馬市穴吹町古宮字新名-同字杖立。▼杖立は旧地図の地名より、旧集落有。▼『穴吹町の峠道』では、峠から1.6km 北の町道沿いに役の行者像を浮き彫りにした道標があり、「(右)新名峠迄二十丁 左高越山エ五拾八丁 明治二(1869)巳十二月吉日」と記されており、「新名峠」とも呼ばれたと示唆する。
杖谷ノタオ つえだにのたお 徳島県美馬市木屋平(こやだいら)。美馬市木屋平字杖谷-同字大久保・樫原。▼峠には3基の庚申塔がある。青面金剛は寛文3年(1663)の造立。高さ78cmの笠付形、六臂、三猿と二鶏を配し、旧木屋平村内の庚申塔で最も古い。
つつじ尾越* つつじおごえ 徳島県名西郡神山町阿野。▼『神山町の峠道』には無く、登山関連サイトによる。みずさめ峠から東行者山(神社記号)に至る尾根線の道か、位置と共に推測。
つづら峠 つづらとうげ 徳島県那賀郡那賀町臼ヶ谷。那賀郡那賀町西納(にしの)-同町臼ヶ谷。▼『相生町の峠道』によると、かつては宮浜、木頭方面へ通じる要路。峠の250m東に地蔵堂があったが、大正10年(1921)頃つづら口に下ろされた。江戸時代の作といわれる高さ60cmの地蔵尊は、金箔塗りで彩色の優美な像である。つづら坂にあった丁石も下ろされたが、元の位置にはお堂の礎石が残っており、また近くには「右 竹ケ谷道 左 臼谷道 施主 久兵衛」と刻まれた道標もある。▼旧地図には「葛籠越」と記されており、旧相生村ツヅラ口(現県道291号バス停名に残る)から峠を越えて臼ヶ谷、再度峠を越えて長安、長安口を結んでいる。「口」の地名命名に注意したい。
鶴峠 つるとうげ 徳島県阿南市大井町。県道283号和食勝浦線、勝浦郡勝浦町生名-阿南市大井町。▼行程上には、南北朝時代建立の徳島県最古の丁石(徳島県指定文化財)、空海が杖で岩の間を突くと清水が湧き出したという水呑大師がある。峠名の由来は、鶴林寺のある山のことを地元では「つるさん」や「おつる」と呼んでいることからとされる。
天狗峠 てんぐとうげ 徳島県三好市東祖谷西山。高知県境、三好市東祖谷西山-高知県香美市物部町久保和久保。▼「躄峠(いざりとうげ)」とも。▼標高1780mと四国で最も高位置にある天狗峠。生活道よりも煙草や焼酎の闇ル-トとして、地元の人々の記憶に残っている。この峠の元の名は「イザリ(躄)峠」であったがこの峠名は適切でないとして、「天狗峠」とされた。峠には「奉納地蔵」と刻まれた無年紀の地蔵尊が京柱峠の方角に向いて立つ。西山での聞き取りによると、この地蔵尊は一揆の首謀者の一人である円之助を供養するために立てられたといわれている。『三好市「旧東祖谷山村」の峠とお堂と地蔵信仰』より。
童学寺越 どうがくじごえ 徳島県名西郡石井町石井。県道20号石井神山線、名西郡神山町阿野字歯ノ辻-名西郡石井町石井字城ノ内。▼由来は石井町の童学寺で、弘法大師ゆかりの寺。旧地図にも童学寺越の名は記されているが、大正3年(1914)完成の童学寺隧道はコンクリートで封鎖されており旧道は不通。開発も早かったようで古道の位置は読めないが、旧隧道直上の鞍部あたりだろう。峠の北西に行者堂跡もある。
胴切越* どうきりごえ 徳島県海部郡美波町山河内。登山道、海部郡海陽町小川字樫木屋-同郡美波町山河内字大越。▼峠の日和佐側には、おかまご形式の石囲いの中に高さ49cmの砂岩に浮き彫りした弘法大師像が祀られている。
とうげ 徳島県吉野川市美郷字峠。▼峠地名。
杜氏ノタオ とうじのたお 徳島県名西郡神山町神領。名西郡神山町鬼籠野(おろの)字元山-同町神領字本上角。▼指定位置は推定、トウジガタオともいう。由来にも関わりそうな杜氏だが、酒造りの季節労働者であり彼らが多く通っていたのだろうか?▼峠には明治44年の不動明王と道標地蔵菩薩があり、後者には「左 じゅん礼道 右 峯より八丁」とあり、南方にある「峯みねの庵」への道のりを示す。『神山町の峠道』より。
当野石峠 とうのいしとうげ 徳島県那賀郡那賀町川成。登山道、美馬市木屋平字川上-那賀郡那賀町岩倉。▼現状は天神丸(1631.9)への尾根沿い登山道のみだが、旧地図には弓道(ゆどう)から峠を経て岩倉への古道が見える。
堂ノ窪峠* どうのくぼとうげ 徳島県那賀郡那賀町沢谷。▼『木沢村の峠道』より。
トウバタケ越 とうばたけごえ 徳島県那賀郡那賀町掛盤。那賀郡那賀町坂州(さかしゅう)字大用地-同町掛盤(かげばん)字加州。▼『木沢村の峠道』より。
トゴエ とごえ 徳島県三好市西祖谷山村閑定。三好市東祖谷今井-同市西祖谷山村閑定(かんじょう)。▼東西祖谷を結ぶトゴエは,亀尻峠に連なる旧祖谷街道の要所で、紀行文や祖谷山一揆の記録にも登場する有名な峠であった。峠には石臼を転用して造った「文久元年」(1861)銘の地蔵尊がある。『三好市「旧東祖谷山村」の峠とお堂と地蔵信仰』より。
土須峠 どすとうげ 徳島県那賀郡那賀町沢谷。名西郡神山町上分-那賀郡那賀町沢谷。▼旧地図、『木沢村の峠道』より。
轟峠 とどろきとうげ 徳島県那賀郡那賀町出羽。那賀郡那賀町拝宮字轟-同郡那賀町出羽(いずりは)。
苫越 とまごえ 徳島県海部郡美波町木岐。県道25号日和佐小野線、海部郡美波町木岐-田井。▼集落地名もある。『由岐町の峠道』より。▼お地蔵様が両入り口の起点となりそうな箇所にあり、遍路道の休憩所もあることからルートとして生きたいたことが見える。
中内峠 なかうちとうげ 徳島県那賀郡那賀町岩倉。現登山道、旧剱山道、那賀郡那賀町岩倉字焼山-同町木頭折宇(おりう)字中内。▼『木沢村の峠道』より。
中谷越 なかたにごえ 徳島県美馬市穴吹町古宮。美馬郡つるぎ町貞光-美馬市穴吹町古宮字北又。▼『穴吹町の峠道』には、峠に「右 友内山 左 端山 こんぴらか(嘉)永二年(1849)八月吉日 寛勝」と方角を示した手形が刻まれた緑色片岩の道標が残るという。また峠から稜線を北に登ると友内神社のある友内山に通じる。▼命名由来は貞光側にある中谷からだろう。
中付峠 なかつきとうげ 徳島県那賀郡那賀町入野。那賀郡那賀町大久保-同町入野。
ながばり峠 ながばりとうげ 徳島県名西郡神山町神領。▼googleマップより。
梨ノ峠 なしのとうげ 徳島県吉野川市鴨島町森藤。県道31号鴨島神山線、吉野川市鴨島町森藤-名西郡神山町阿野。▼『神山町の峠道』によれば、「梨ノ木峠」とも地理院地図に一時期記されていたようだが、地元では古くから「梨ノ峠」と呼んだ。
肉渕峠* にくぶちとうげ 徳島県那賀郡那賀町岩倉。剣山道、徳島県美馬市木屋平-那賀郡那賀町岩倉。▼旧地図では、南のにくぶち谷を詰めあげて峠を越えて旧富士池の剣神社(現劔山本宮劔神社)へと至る古道が見える。
ニットキ越* にっときごえ 徳島県徳島市渋野町。徳島市方上町-同市渋野町。▼見事な掘割の側壁に不動明王が祀られている。如意輪寺への参拝路、茶屋跡も残る。
ニレンタ にれんた 徳島県三好市西祖谷山村下名。三好市東祖谷高野-同市西祖谷山村下名字日比原。▼『万野峠』とも。現在は「寒峯」の登山ルートが古道の西、旧村界にそって尾根線を登っている。周囲にはマド、マドの天狗(1245.7)、カヤトといった山岳地名がありこのニレンタを含めて調べてみたい。
根津木越 ねづきごえ 徳島県三好市山城町粟山。登山道、三好市山城町上名-粟山。
野住峠* のずみとうげ 徳島県三好市井川町井内西。三好市池田町漆川(しつかわ)字吉ノ木・正夫-市井川町井内西字上野住▼峠には大師堂があり、中に「天保十六年三月二一日建」の銘のある大師石仏があり、大師信仰を窺わせる。また阿賀文益と多田源治郎という二人の寺子屋師匠の頌徳碑も立っている。
野田ノタオ のだのたお 徳島県美馬市木屋平。▼位置は『美馬市木屋平の峠とお堂と庚申信仰』より推定。地蔵尊、観音様、庚申塔があるという。ただ、森藤と内川地を結ぶとされるが、旧地図を見る限り古道は正八幡神社(森遠城跡)から北の尾根に直登する形で伸びていたり、小径もあるようで判然としない。
野田のたお のだのたお 徳島県名東郡佐那河内村下。名東郡佐那河内村下嵯峨-井開(いがい)。▼馬越峠から南西500mほど。側壁のコンクリートに地蔵尊がある。
野々脇峠 ののわきとうげ 徳島県美馬市木屋平。県道250号線、吉野川市美郷字槇山-美馬市木屋平字野々脇。▼橘禎男の各種調査で野々脇峠が2つある点に注意。▼古道は現県道峠部より東に370mほど。野々脇は二戸谷川の最源流域、旧地図には集落が見える。この槇山、野々脇、二戸(ふたど)、今丸の集落は、昭和30年まで旧中枝村。
野々脇峠 ののわきとうげ 徳島県美馬市木屋平。名西郡神山町上分字中峯(なかむね)-美馬市木屋平字野々脇。▼野々脇は二戸谷川の最源流域、旧地図には集落が見える。中峯(なかむね)の読みは旧地図より。峠には石造の道標がある。
はぎの日浦越* はぎのひうらごえ 徳島県美馬郡つるぎ町貞光。徳島県美馬郡つるぎ町一宇-同町貞光字猿飼。▼『お堂と庚申塔からみた旧一宇村の民間信仰』より。
恥ずかし峠 はずかしとうげ 徳島県徳島市渋野町。徳島市方上町-同市渋野町。▼「恥ずかし越」とも。東の三角点164.2が「恥ずかしの峰(恥ずかしヶ峰)」で、義経が『道中、髪の乱れに気がつき「恥ずかしい」と鬢を掻いて整えたからと云う。他にも義経伝説が残る。
花坂 はなさか 徳島県阿南市桑野町。県道24号羽ノ浦福井線、阿南市新野町-桑野町。
馬場尾越 ばばおごえ 徳島県名西郡石井町石井。徳島市入田町-名西郡石井町石井字山路。▼旧地図より。
蝮塚峠 はめづかとうげ 徳島県名東郡佐那河内村上。名東郡佐那河内村上字蝮塚(はめづか)-同字奥野々。▼斜面には蝮塚峠の蛇紋岩との案内板がある。蝮塚という地名とこの岩の関連が気になるところ。
婆羅尾峠 ばらおとうげ 徳島県勝浦郡勝浦町大字三溪(みたに)。▼旧地図には「婆羅尾一軒家」とされる。古くから一軒家があったが、昭和中頃に里に下りたと。峠名は、いばらの大井尾根の意味によるか(ふるさと阿波の山々)。
燧ノ窪峠 ひうちのくぼとうげ 徳島県吉野川市美郷。旧剣山道、美馬市木屋平字三ッ木・菅藏-吉野川市美郷字東條(ひがしじょう)。▼昭和30年頃までは剣山道としても利用された。峠には地蔵堂があったが、廃道に伴って2体の地蔵菩薩像が麓の真福寺に移された。「火打地蔵尊」と刻んだ昭和12年(1937)の銘あり。▼現行地図にはないが旧地図には記されている。また現美馬市木屋平の菅藏、今丸、小日浦より東側は、旧麻植郡中枝村で東條と同村。中枝村は1955年に分離・廃村。
東尾峠 ひがしおとうげ 徳島県那賀郡那賀町竹ヶ谷。 那賀郡那賀町東尾-同町竹ヶ谷。▼『相生町の峠道』よれば、「花折りさん」の名で親しまれた峠。明治20年(1887)頃まで、竹ケ谷には三軒の旅籠屋があったが、その内の吉野屋に残る記録によれば、宿泊者の半数以上が東尾、坂州、白石、木頭へ向かったと記されており、この峠道が那賀奥と鷲敷、桑野を結ぶ路線として如何に重要であったかがわかる。峠には、「施主 竹ケ谷 五良右衛門」と刻まれた地蔵尊が残る。
東のたお ひがしのたお 徳島県海部郡美波町木岐。海部郡美波町木岐字徳竹-同町北河内字大戸。▼『由岐町の峠道』より。
東山峠 ひがしやまとうげ 徳島県三好郡東みよし町東山。香川県境、県道4号丸亀三好線、三好郡東みよし町東山-香川県仲多度郡まんのう町塩入。
東山峠 ひがしやまとうげ 徳島県吉野川市美郷字東山峠。▼峠地名のみ。西尾根に古道が見え、その西にも来見坂(旧地図より)もあり交通路の関連が濃いように思われる。
日尻峠* ひじりとうげ 徳島県海部郡美波町北河内。県道289号赤松由岐線、海部郡美波町木岐字日尻-同町北河内。▼『由岐町の峠道』より。木岐と旧日和佐町馬地を結ぶ峠で、千丁越(せんじょごえ)とも。「享和二年 馬地千丁」の銘がある地蔵尊が残る。
日奈田峠 ひなたとうげ 徳島県那賀郡那賀町岩倉。剣山スーパー林道。美馬市木屋平字川上-那賀郡那賀町岩倉。
日ノ丸峠* ひのまるとうげ 徳島県三好市井川町井内東。三好市井川町井内東字桜・岩坂-同市東祖谷落合字深渕。▼日ノ丸山中腹に「坊の久保(約820m)」という場所には、江戸時代初期まで現地福寺の前身の「持福寺」があったとされる。文治元年(1185)、屋島の戦いに敗れた平家は、平国盛率いる一行が井内谷に入り、この持福寺に逗留したといわれている。寺に残る平家の赤旗や国盛の父教盛の位牌、安徳天皇の乗馬の鞍を置いたという鞍掛岩など、井内谷に平家伝説が残る。『井川町の峠道』より。▼日ノ丸山と城ノ丸(1169)の鞍部(あんぶ)にあたり、城の丸にはお堂か社のような建物が残る。峠からは三好郡東みよし町西庄方面への道も見える。
樋山地峠 ひやまじとうげ 徳島県吉野川市鴨島町樋山地。登山道、吉野川市美郷字大鹿-同市鴨島町樋山地。▼峠から鴨島側に250mほど下った所に、安永5年(1776)建立の庚申塔がある。『美郷村の峠道』より。
吹越峠 ふきごしとうげ 徳島県海部郡海陽町船津。高知県境、海部郡海陽町船津-高知県安芸郡北川村竹屋敷。
二戸峠 ふたどとうげ 徳島県名西郡神山町上分。美馬市木屋平字南二戸・二戸-名西郡神山町上分字坂丸・江畠。▼二戸の南にある谷を詰めた所が南二戸、旧地図に集落が見える。▼峠から南に尾根線に沿えば、東宮御所神社、春宮神社、東宮山へと続く。東宮御所神社、春宮神社及び各種伝説・伝承が残る地でもある。
ふだらく峠 ふだらくとうげ 徳島県阿南市加茂町。阿波遍路道。▼第21番札所の太龍寺(たいりゅうじ)から太竜寺山へ向かう途中にあたる。太竜寺山は双耳峰でもう一方の補陀落山(618 m)の方が高く、由来はこれからかと。
府能峠 ふのうとうげ 徳島県名西郡神山町鬼籠野。国道438・439号、新府能トンネル、名東郡佐那河内村上字仁井田・府能-名西郡神山町鬼籠野(おろの)。▼峠の位置は旧地図の古道による、また一本杉の記号も見える。府能隧道の北口から東へ300m程と進んだと堀切に入り東端部には階段もある。峠付近は複雑な四辻となっており、重要な往来であったことを窺わせる。▼「法印のたお」とも。峠には、杉の大木と、手洗い石に午頭天王と刻まれている祠がある。『佐那河内村の峠道』より。
冬越 ふゆごし 徳島県那賀郡那賀町木頭助。那賀郡那賀町木頭助-同町木頭折宇。
法正峠 ほうしょうとうげ 徳島県美馬郡つるぎ町一宇。▼つるぎ町一宇の法正と漆野瀬を結んだ古山道峠。旧地図及び『お堂と庚申塔からみた旧一宇村の民間信仰』より。▼法正には天岩戸関連の伝説の地が多い。
ホウノタオ ほうのたお 徳島県那賀郡那賀町木頭。那賀郡那賀町坂州(さかしゅう)字向エ-同町当山。▼『木沢村の峠道』より。
保賀山峠* ほがやまとうげ 徳島県美馬郡つるぎ町一宇。徳島県美馬市木屋平(こやだいら)字太合(たいごう)-美馬郡つるぎ町一宇字川又。▼旧地図より。石造の道標あり。
星越峠 ほしごえとうげ 徳島県那賀郡那賀町海川。那賀郡那賀町木頭出原-同町海川。
星越峠 ほしごえとうげ 徳島県鳴門市北灘町櫛木。県道228号大谷櫛木線、鳴門市大麻町大谷-同市北灘町櫛木。▼峠の北灘町櫛木側に、1683年(天和3年)に守り神として創建された高皇産霊命を祀る旧村社の妙見神社が鎮座。
星越峠 ほしごえとうげ 徳島県海部郡美波町北河内。土佐街道、国道55号、阿南市福井町字小野-海部郡美波町北河内字大戸。▼現行地図ではトンネルのみだが、旧地図には旧道の掘切と共に「星越峠」と記される。旧道峠部には地蔵尊も。また峠の南にある「ヘゴ谷」は、意味を抑えておきたい。▼峠にある地蔵尊に、「薬王寺 二里余 弘化二巳年(1845)七月二四日建」とあるので、藩政期からへんろ道として利用されていたことがわかる。土佐街道も元は由岐町経由だったが、明治34年(1901)にこの星越峠のルートに変わった。戦後20年位続いた星越鉱山からマンガン鉱石を運び出す道でもあった。『日和佐町の峠道』による。
ホトケノタオ ほとけのたお 徳島県美馬市穴吹町古宮。美馬市穴吹町口山字大内-同町古宮字川瀬(こうせ)▼『穴吹町の峠道』より。峠には石造物が安置され、地蔵尊とみられる2体と古宮新四国の虚空蔵菩薩がおかまごの中に祀られている。他にも地蔵尊や、「村惣中」と刻まれた石造物が離れて立つ。▼旧地図に川瀬と大内の途中には、葛籠、早草、大平、また西の杖立峠にも杖立などの集落名が見える。
堀切峠 ほりきりとうげ 徳島県三好市東祖谷新居屋。三好市東祖谷元井(もつとい)字栂峰-同新居屋。▼峠北に堀切太師のお堂あり。
掘割峠 ほりわりとうげ 徳島県吉野川市美郷。県道43号チェリーロード、吉野川市美郷字奥丸-同市川島町。▼「川島峠(かわしまとうげ)」とも。峠の奥丸側には船戸大明神と石造物がある。▼峠から200mほど川島寄りに、大正9年(1920)東山村の森永三十郎氏による不動明王がある。これは同氏が、馬車を引いて峠を越えるとき崖から転落するも、幸いに人馬とも助かったことに感謝して建てたと、『美郷村の峠道』より。
槇山峠 まきやまとうげ 徳島県吉野川市美郷。徳島県美馬市木屋平字野々脇-吉野川市美郷字槇山。▼野々脇は二戸谷川の最源流域、旧地図には集落が見える。現在の市町村界とは違い、野々脇、二戸(ふたど)、今丸地区は1920年当時は中枝村で、北の槇山等と同村であった。
真鈴峠 ますずとうげ 徳島県三好市三野町太刀野山。香川県境、三好市三野町太刀野山-香川県仲多度郡まんのう町勝浦。▼阿讃の交流上重要な役割を果たした峠。大屋敷や日浦から上る旧道が旧峠。その南東500mに両県を結ぶ車道が通じる。峠の真鈴側に城村(きむら)神社と地蔵尊があり、大屋敷側には山野神社がある。『三野町の峠道と生活空間』より。
松久保峠 まつくぼとうげ 徳島県那賀郡那賀町坂州。那賀郡那賀町坂州(さかしゅう)字高山平-同町大殿字松久保・平谷。▼『木沢村の峠道』より。
松坂峠 まつさかとうげ 徳島県海部郡美波町田井。土佐街道、阿南市福井町字貝谷-海部郡美波町田井。▼『由岐町の峠道』によると、峠には明治11年まで開いていた茶屋(松坂屋)跡がある。この峠には多数の石造物があるのが特徴で、遍路道しるべ、金比羅道しるべ、地蔵尊等とともに、「文政三庚辰年六月廿四日 為溺死亡霊仏果」と由岐沖で遭難死した商人(大坂 鴻池屋利兵衛 他5名)の遭難供養碑もある。
マド まど 徳島県三好市西祖谷山村下名。三好市西祖谷山村善徳-同村下名。▼峠から南の三角点1245.7はマドの天狗と呼ばれる。
丸石峠* まるいしとうげ 徳島県三好市東祖谷菅生(すげおい)。▼『三好市「旧東祖谷山村」の峠とお堂と地蔵信仰』による、位置はルートと標高から推定。
丸笹峠* まるざさとうげ 徳島県美馬郡つるぎ町一宇。剣山道、美馬郡つるぎ町一宇字川又・葛籠(つづろ)-三好市東祖谷菅生(すげおい)劔神社。▼夫婦池にて国道438号に合流する古道で、剣山参詣の古参道とも言えそうだ。
丸山峠 まるやまとうげ 徳島県三好市東祖谷元井。三好市西祖谷山村今久保・中尾-同村有瀬。▼「熊谷峠」とも。東祖谷村釣井方面への道もあるが主に旧西祖谷村の行程に思われる。
曼陀峠 まんだとうげ 徳島県三好市池田町佐野。香川県境、県道8号観音寺佐野線曼陀トンネル、三好市池田町佐野-香川県観音寺市大野原町井関。▼旧地図より。峠越えと尾根伝いの辻にもあたり、かつては峠に小さな庵や茶店もあった。
美杉峠 みすぎとうげ 徳島県那賀郡那賀町内山。林道、勝浦郡上勝町福原-那賀郡那賀町内山。▼昭和59年(1984)11月、林道杉地臼ケ谷線の開通によりできた新しい峠で、那賀町内山側に石造の標柱が立つ。また、上勝町側に少し下ったところには、熊といただきさん(頭に荷物・海産物を載せた行商の人)の伝説が残る吉ヶ平の岩屋(善如竜王・狩場神社)もある。
みずさめ峠 みずさめとうげ 徳島県名西郡神山町阿野。▼登山関連サイトによる。
水ノ口峠 みずのくちとうげ 徳島県三好市井川町井内東。県道265号腕(かいな)山花ノ内線、三好市井川町井内東-三好市西祖谷山村小祖谷。▼峠には太子堂があり、「文化元年三月廿一日 地福寺 朝念法印」銘のある弘法大師像が祀られ、また峠北西400mの「馬まくれ場」にも通行の安全を祈る地蔵尊がある。▼この道路は、凍り豆腐用の大豆や製品の搬送路としても利用され、「峠には丁場が五つあって、50人くらいの人が働いていた」と言われる。『井川町の峠道』より。
三つ尾の峠 みつおのとうげ 徳島県勝浦郡上勝町大字旭。
御堂峠* みどうとうげ 徳島県那賀郡那賀町平谷。▼旧地図では荒谷(旧集落)と白鯛を結ぶ峠道が見える。
南張峠 みなみばりとうげ 徳島県美馬市木屋平(こやだいら)。美馬市木屋平字櫟木(ちちのき)-字南張(みなみばり)
峰通峠 みねどおしとうげ 徳島県那賀郡那賀町坂州(さかしゅう)。那賀郡那賀町白石字白石-同町坂州字寒谷。▼『木沢村の峠道』より。地蔵菩薩有、「文化七午三月 白石講中坂州講中」との銘あり。「白石峠」とも。
見ノ越 みのこし 徳島県三好市東祖谷菅生。国道438号、剣山道、三好市東祖谷菅生-美馬市木屋平字川上。▼現道は見の越隧道、剣神社近傍。登山道として古道が整備されており峠部にあたる隧道上にはお社がある。
深渕峠 みぶちとうげ 徳島県三好市東祖谷落合。美馬郡つるぎ町半田字大惣・小谷-三好市東祖谷落合字深渕。▼旧地図、『三好市「旧東祖谷山村」の峠とお堂と地蔵信仰』より。▼祖谷地方にも注目したい地名は多いが、深渕峠より北西の山である「風呂塔」には注意をしておきたい。
宮谷越 みやたにごえ 徳島県三好市三野町太刀野山。三好市三野町太刀野山字田野々-三好郡東みよし町足代(あしろ)字宮谷。▼旧地図では峠の下に田野々から現東みよし町足代字伊月へと向かう峠道があり峠部には杉記号が見える。
宮ノ多尾 みやのたお 徳島県吉野川市山川町桑内。吉野川市山川町字皆瀬(かいぜ)-同町字西野峰。▼西野峰は旧山川町の飛び地。現在は無住だがかつてこの集落の子供達は、峠を越えて川田小学校に通ったという。峠名の由来は、奥野々神社の前社があったことによるが、社殿や狛犬は今も残る。『美郷村の峠道』より。
妙見ダオ みょうげんだお 徳島県名西郡神山町阿野。名西郡神山町下分字渡内-同町阿野字宇度木。▼旧地図には渡内より峠側に松坂の地名が見える。▼『神山町の峠道』より。破損しているものを含め15基の板碑がある。このように多数の板碑がある峠は他にない。松坂の人は妙見ダオから北の梨ノ峠を越えて鴨島町(現吉野川市鴨島町)へと買い物に行ったという。
持部峠 もちべとうげ 徳島県名西郡神山町阿野。吉野川市鴨島町森藤(もりとう)-名西郡神山町阿野字持部。▼旧持部鉱山からの産業道でもあった。
八重地峠 やえぢとうげ 徳島県那賀郡那賀町寺内。県道16号徳島上那賀線八重地トンネル上旧道峠、勝浦郡上勝町大字旭八重地-那賀郡那賀町高野。「高野峠(たかのとうげ)」とも。▼峠部は約1050m前後だが旧地図には林用軌道が見える、まじかw。峠には不動明王と地蔵菩薩の石造物有。この地蔵菩薩と不動明王を並べたのは、地蔵菩薩が人を化かすことがあるので、不動明王に守りをさせるという伝承が高野に残っている。旧地図、『木沢村の峠道』より。
焼堂峠 やけどうとうげ 徳島県美馬郡つるぎ町半田。登山道、美馬郡つるぎ町一宇字大横・寺地-同町半田字小井野・折坂。
焼野峠* やけのとうげ 徳島県吉野川市美郷。県道43号線チェリーロード、名西郡神山町下分字釘貫-吉野川市美郷字月野。▼古道の峠は現県道峠部から250m程西。▼享保6年(1722)の庚申塔や板碑が残っており、峠には焼山寺道を示す青石の道標が立つ。また峠の北側の県道沿いには、「右剣山道 左焼山寺道」と刻まれた角柱の道標がある。『美郷村の峠道』より。
矢助峠* やすけとうげ 徳島県海部郡海陽町小川。海部郡牟岐町大字河内字神子屋敷(旧)・山口。-同郡海陽町小川字樫木屋。
安場峠 やすばとうげ 徳島県美馬郡つるぎ町半田。美馬郡つるぎ町半田-貞光。
柳ノ多尾 やなぎのたお 徳島県名西郡神山町阿野。県道245号線、吉野川市美郷字大鹿・栩谷(とちだに)-名西郡神山町阿野。▼現在は尾根を通る遍路道と県道が峠で交差、弘法伝説の残る柳水庵と休憩所がある。▼峠には、お遍路のための「十一番江六十町 十二番江六十丁」の道標や地蔵菩薩がある。『美郷村の峠道』より。
山犬ダオ やまいぬだお 徳島県名西郡神山町下分。名西郡神山町下分字焼山-同字地中。▼遍路道であり、下分字焼山から登る道が壁岩峠からの道と合流し、四国八十八箇所霊場第12番札所焼山寺へと続く。▼ヤマインドウともいう。峠には、桜の大木の下に墓があり、少し離れて地蔵菩薩が立つ。『神山町の峠道』より。
山座峠* やまざとうげ 徳島県海部郡美波町木岐。県道25号日和佐小野線、土佐街道、海部郡美波町恵比須浜-木岐。▼「さんざ」ともあるが、由来であろう恵比須浜字山座の読みが不明。また以外に長い堀切の西側に山座峠休憩所(遍路休憩所)がある。▼峠の道路より2mほど上に3体の石仏があり、右側が不動尊、他の2体は地蔵尊。いずれも明治の年号が刻まれているが、左端のものだけ外囲いがあり、そこに「天保十一年十月」の銘がある。『由岐町の峠道』より。
ヤレヤレ峠 やれやれとうげ 徳島県海部郡海陽町浅川。海部郡海陽町浅川-同郡牟岐町河内。▼峠を越えたところに現れると云われていた化け物に炭焼が襲われ、峠まで逃げてきたときに「ヤレヤレこれで助かった」と言ったというのが由来と。
由岐坂峠 ゆきざかとうげ 徳島県海部郡美波町西の地。県道25号日和佐小野線、海部郡美波町西の地字谷裏-阿南市福井町字辺川。▼松坂峠とともに古くから利用されていた道。
弓折峠 ゆみおりとうげ 徳島県名東郡佐那河内村上。名西郡神山町鬼籠野(おろの)字一ノ坂-名東郡佐那河内村上字北山・井開(いがい)。▼『佐那河内村の峠道』には、弓折峠の行程で神山町一の坂(弓折)とあるので由来はここからか。また「こうげさん」と呼ばれている山神社(祠)があるので、「こうげさんの峠」ともいう。▼現地は舗装こそされているものの、峠部の堀切なども往時のままの姿が見える。
よここ峠 よこことうげ 徳島県海部郡美波町山河内。旧土佐街道、国道55号、海部郡郡美波町山河内字なか-同町奥河内字奥潟。▼横川の現地の方の呼び名は不明(web上にはヨコカワ・ヨコガワと見える)が、川をコと呼ぶ例はあるので、この「よここ」も横川からだろう。▼峠には弘法大師像とへんろ道しるべがある。造立年代はないが、この峠も星越峠と同様へんろ道として利用されていたことがわかる。「一般の人がこの峠を利用したのは昭和7、8年ごろまでで、その後は西河内を経る国道を通るようになった。お遍路さんはその後もこの峠を通っていたようで、峠の北寄りには焼き餅を売っている茶屋があった」と、その後鉄道の牟岐延長と国道の日和佐トンネルの完成により、その役目を終えた。『日和佐町の峠道』による。
四ツ足峠 よつあしとうげ 徳島県那賀郡那賀町木頭北川。高知県境、国道195号、那賀郡那賀町木頭北川-高知県香美市物部町別府。
四方峠* よっぽとうげ 徳島県三好市東祖谷小島。三好市東祖谷小島(おしま)字佐野-同市西祖谷山村坂瀬・小祖谷(おいや)。▼『三好市「旧東祖谷山村」の峠とお堂と地蔵信仰』では、「四ッ方峠」と記される。
四方見坂峠 よみさかとうげ 徳島県那賀郡那賀町谷内。那賀郡那賀町谷内・馬路-同仁宇・阿井。▼旧町境四方見坂トンネル上に古い峠が残る。馬路側の坂道横に、2体の弘法大師像と3基の五輪の塔などの石造物が祀られており、1体の大師像には「文政13寅天(1830)」の銘がある。『相生町の峠道』より。
竜峠 りゅうとうげ 徳島県那賀郡那賀町東尾。登山道、勝浦郡上勝町旭-那賀郡那賀町東尾。▼現行地形図では那賀・上勝町境に「竜峠1088」があり、旧地図でも同位置に古道が見える。ただ『相生町の峠道』よれば、旧相生町では、峠東南三角点1159.4m(龍山)の山を竜峠と呼んでおり、「相生町誌」にも「龍峠1159.7m」として、町内第1位の高山に数えている。また、「阿波志」には、「龍山亦東尾巓に在り、石あり特立す、烏帽子と呼ぶ、村民雨乞いを為す所」と書かれ、この龍山には竜王神社の祠と雨乞いをした踊り石がある。ただ地形上からも、龍峠を町内に位置づけるのは無理であろう、と。▼これは面倒な問題も含むけれど、相生町の方々の認識が古い形を残しているのでは?と想定してみたい。峠は交通に関する印象が強いと思うが、古いと思われるト、トウからタ、タオ、タワなどを見ると単に場所を示す語句であり、山地形の一つだと考えるのが正しいと思う。もちろん交通の峠としての位置は地形図が正しくもあるという♪ また、その名の通り竜神伝説が伝わるという。
六地蔵越 ろくじぞうごえ 徳島県三好市池田町白地。香川県境、徳島県三好市池田町白地-香川県三豊市山本町河内・三豊市財田町財田中。
六地蔵峠 ろくじぞうとうげ 徳島県三好郡東みよし町中庄。三好郡東みよし町中庄-毛田。
六部峠 ろくぶとうげ 徳島県吉野川市川島町山田。徳島県吉野川市美郷字菅草(すげそう)-同市川島町桑村。▼現行地図に菅草は見えないが、吉野川市美郷字上谷、同字大野の北側斜面にあたり東山鉱山のあった場所。▼峠には、ここで亡くなった「六部さん」と言われる墓石に「回国 下野国足利郡寺岡村泰禅 安永二巳年(1773)四月二四日」と刻まれ、峠名はこれにちなむ。峠は、東山鉱山から鉱石を川島側へ出すのに使われたが、昭和20年の廃鉱にともない、峠道も昭和30年頃廃道になった。峠から川島側へ少し下ったところに、大正14年(1925)建立の地蔵菩薩がある。『美郷村の峠道』より。
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