愛媛県の峠地名 越・坂地名を含めて

国土地理院地図を中心に愛媛県内の○○峠、△△越、××坂等の地名を収集し一覧に。
自然地形地名から伝承・語源・祖型等を探り、地名・方言研究の一助になればと。

愛媛県の峠地名。
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愛媛県の峠地名一覧

愛媛県の峠確認用地図:四国地方 峠・越地名地図

【凡例】
※ 地名の読みの*付きは推定・未確認を含む。
※ 行程が地図上にて明瞭でなく集落地名のみと思われるような越・坂地名は一部を除いて記載していない。

峠地名 読み 位置・行程他
相名峠 あいなのとうげ 愛媛県西条市丹原町鞍瀬。上浮穴郡久万高原町大成-西条市丹原町鞍瀬。
赤石越 あかいしごえ 愛媛県四国中央市土居町上野。▼赤石山系登山道。
朝が峠 あさがとうげ 愛媛県伊予市双海町串。県道54号串内子線、大洲市田処-伊予市双海町串字奥西。
アザミ峠 あざみとうげ 愛媛県宇和島市津島町山財(さんざい)。鬼が城山と権現山の尾根線鞍部、登山道。
阿島峠 あしまとうげ 愛媛県四国中央市土居町北野。県道138号新居浜土居線、新居浜市阿島四丁目-四国中央市土居町北野。▼位置は推定。
尼ヶ坂峠 あまがさかとうげ 愛媛県西予市野村町富野川。県道331号高瀬松渓線、西予市野村町富野川-同町松溪。▼「尼ヶ坂」とも、名称は「DB愛媛の記憶」より、位置は推定。
嵐坂 あらしざか 愛媛県宇和島市津島町上畑地。国道56号嵐坂隧道上旧道。宇和島市津島町嵐-宇和島市津島町上畑地。
荒間地峠 あらまじとうげ 愛媛県大洲市蔵川。大洲市梅川-同市蔵川。▼峠下に荒間地隧道、読みは「DB愛媛の記憶」より、他では「あらまちとうげ」とも。
淡路ヶ峠 あわじがとう 愛媛県松山市畑寺町。▼山地名、登山道が整備。砦の城主は林淡路守通起という人だったので、その名前から淡路城と。そこから淡路城がある山ということで淡路ヶ峠とか淡路山と呼んだと云う。
井内峠 いうちとうげ 愛媛県上浮穴郡久万高原町直瀬。井内峠隧道、上浮穴郡久万高原町直瀬-東温市井内。▼古くからの久万の直瀬と松山平野を結ぶ峠道。峠を挟んだ婚姻も盛んだったと。
伊方越 いかたごし 愛媛県西宇和郡伊方町伊方越。▼越地名。
伊方峠 いかたとうげ 愛媛県西宇和郡伊方町九町。国道197号九町トンネル、西宇和郡伊方町九町-同町川永田。▼伊方峠バス停有。
池ノ峠 いけのとう 愛媛県上浮穴郡久万高原町中津。高知県境、上浮穴郡久万高原町中津-高知県吾川郡仁淀川町別枝。▼現状は高知県の地名。天保国絵図では、土佐国別枝村と伊予国休場村に行程が見え、国境は「茶屋のなる(土佐国では茶屋のなろ)」とされているので掲載しておく。▼同絵図には対岸にも行程があり、「折かけのう祢」」が国境となっている。
池ノ峠 いけのとう 愛媛県上浮穴郡久万高原町久万。上浮穴郡久万高原町上野尻-同町久万。
池の峠* いけのとうげ 愛媛県喜多郡内子町村前(むらさき)。喜多郡内子町重松-村前。▼峠南西に池窪の地名があり、対応しているものと思う。
石打峠 いしうちとうげ 愛媛県今治市朝倉北。県道162号朝倉伊予桜井停車場線、今治市長沢字石打-同市朝倉下。
石ヶ峠 いしがとうげ 愛媛県松山市横谷。県道178号湯山高縄北条線、松山市九川-松山市横谷。
石ヶ峠 いしがとうげ 愛媛県松山市別府町。▼山地名。
石神峠 いしがみとうげ 愛媛県大洲市手成(てなる)。大洲市戒川(いかわ)-同市柳沢。
石上峠 いしがみとうげ 愛媛県大洲市肱川町中居谷。喜多郡内子町北表-大洲市肱川町中居谷。▼坂本龍馬脱藩の道。
石城峠 いししろとうげ 愛媛県大洲市河辺町川崎。喜多郡内子町山鳥坂-大洲市河辺町川崎。▼坂本龍馬脱藩の道。
石立峠 いしだてとうげ 愛媛県伊予市中山町出渕。伊予市中山町出渕-喜多郡内子町大瀬北。
石室越 いしむろごえ 愛媛県新居浜市別子山。▼赤石山系登山道。
泉ヶ峠 いずがとう 愛媛県喜多郡内子町内子。喜多郡内子町内子-大洲市喜多山。▼読みは旧地図「イヅガトー」より。今は「いずみがとうげ」とも。
泉ヶ峠 いずみがとう 愛媛県大洲市河辺町山鳥坂(やまとさか)。県道56号内子河辺野村線、喜多郡内子町北表字泉谷-大洲市河辺町山鳥坂。▼坂本龍馬脱藩の道。峠には数軒の家や旅館があって交通の要所として賑わっていたと。
板ヶ谷越* いたがたにごえ 愛媛県西予市宇和町明間(あかんま)。宇和島市三間町黒井地-西予市宇和町明間字板ケ谷。▼明治時代まで三間盆地と野村盆地を結ぶ幹線ルートで、三間の住民は野村街道と呼んでいたと。「DB愛媛の記憶」より。
市越 いちこし 愛媛県北宇和郡松野町大字豊岡。北宇和郡松野町豊岡-鬼北町永野市。▼旧地図では「一越」と記す。
井地峠 いぢとうげ 愛媛県四国中央市川之江町。四国中央市川之江町井地-同町鉄砲町。▼旧地図より、位置は推定。
一ノ谷越 いちのたにごえ 愛媛県新居浜市別子山。高知県境、新居浜市別子山七番-高知県吾川郡いの町桑瀬。
犬寄峠 いぬよせとうげ 愛媛県伊予市双海町上灘。国道56号犬寄隧道の旧道峠、伊予市中山町佐礼谷-伊予市双海町上灘。▼台地上の四辻峠に大正年間の石造道標が建つ。観光気は無いのだが、古くからの家並みが歴史の流れを窺わせる、そんな小さな道すがらが好ましい。
猪の峠 いのとう 愛媛県喜多郡内子町石畳。県道226号串中山線、伊予市中山町中山-喜多郡内子町石畳。
猪伏越 いのぶせごえ 愛媛県上浮穴郡久万高原町柳井川。高知県境、上浮穴郡久万高原町柳井川-高知県吾川郡仁淀川町別枝。▼少しルートが西にずれるが、上浮穴郡久万高原町西谷字猪伏がある。
今生坂峠 いまおさかとう 愛媛県上浮穴郡久万高原町父野川。上浮穴郡久万高原町父野川-喜多郡内子町上川。▼旧地図では「芋坂」と記す。
鯆越 いるかごえ 愛媛県南宇和郡愛南町鯆越。▼越地名、旧道が南宇和郡愛南町深浦から同町古月、久良方面へと繋がっている。現在は鯆越トンネルが下を走る。
色ノ峠 いろのとう 愛媛県上浮穴郡久万高原町有枝。▼土佐街道(松山街道とも)の峠で、この道筋は大和時代に久万官道として開かれたもの。西の越ノ峠と共に久万川沿いを北から迂回するルートとなる。
上尾峠 うえびとうげ 愛媛県伊予郡砥部町川登。国道379号上尾隧道、県道220号上尾峠久万線、伊予郡砥部町川登-同町玉谷字上尾。
牛の峰峠 うしのみねとうげ 愛媛県大洲市豊茂。大洲市上須戒-同市豊茂。▼北北東の牛の峰が名称に関連、峠南東に東峰、西峰の地名も残り、峰は尾根的な意味で使用されていることを思わせる。
打越 うちこし 愛媛県大洲市上須戒。▼越地名、高山寺山の東尾根鞍部に位置する。旧地図には根元越峠と只越への道筋が記される。
ウツバリ峠 うつばりとうげ 愛媛県松山市神次郎町。松山市玉谷町-同市神次郎町。
鵜の崎峠 うのさきとうげ 愛媛県伊予郡砥部町鵜崎(うのさき)。県道53号大平砥部線、伊予市鵜崎-伊予郡砥部町鵜崎。▼鵜は鳥の「う」か怪しく思われ、宇土などの「う」に近いのではと疑っている。
梅ヶ峠 うめがとうげ 愛媛県東温市河之内。
梅ヶ成峠 うめがなるとうげ 愛媛県宇和島市野川。北宇和郡鬼北町奈良-宇和島市野川。
江越峠 えごえとうげ 愛媛県今治市吉海町名。県道49号大島環状線、今治市吉海町南浦-同町名。▼直ぐ南東の海岸部の地名が永越(旧地図より、読み不明だがエ-ゴエか)で、峠北の永地(エ-ヂ)でもあるため永越からの変化があったのかもしれない。
榎ヶ峠 えのきがとうげ 愛媛県西予市野村町小松。西予市野村町小松字榎-大洲市河辺町北平。▼坂本龍馬脱藩の道と。
榎ヶ峠 えのきがとうげ 愛媛県松山市杉立町。▼庚申様が置かれており、大きな石碑もある。
榎峠 えのきとうげ 愛媛県伊予市中山町佐礼谷。▼旧地図でも峠地名に見える。ただ、現国道56号線沿いは堀切となっており、河川屈曲部を迂回する峠道があったようで、地名への転化が分かりやすく思う。
榎峠 えのきとうげ 愛媛県八幡浜市舌間。国道378号、八幡浜市八代-舌間。▼榎峠バス停有。
恵美須坂 えびすざか 愛媛県宇和島市三間町黒川。県道282号小倉三間線、宇和島市三間町大内-同町黒川字恵美須。
追俵峠 おいだわらとうげ 愛媛県伊予市中山町中山。▼峠には石組の地蔵様が祀られている。以前の写真を見ると看板もあるが、Gmapでは倒れているのが残念。
大茅峠 おおがやとうげ 愛媛県西予市城川町窪野。高知県境、県道2号城川檮原線、西予市城川町窪野字大茅-高知県高岡郡檮原町文丸。▼天保国絵図には伊予国窪野村と土佐国上成村を結び、国境は「札ノ峠」とする行程が記されている。旧地図には、窪野から大茅(現大茅峠)・長崎・寺野からの三行程が見えるが、現大茅行程だと道筋が一つ北の文丸から迂回するので、恐らくは長崎か寺野からの行程だろう。
大坂屋敷越 おおさかやしきごえ 愛媛県新居浜市大永山。県道47号新居浜別子山線大永山トンネル、新居浜市別子山七番-同市大永山。▼「土山越」、「土山峠」とも。由来は、立川銅山の経営をしていた大坂屋の小屋かけのあった場所と。
大佐礼峠 おおざれとうげ 愛媛県伊予郡砥部町高市。県道42号久万中山線大佐礼隧道上、伊予市中山町出渕字大佐礼-伊予郡砥部町高市。
大峠 おおたお 愛媛県宇和島市津島町御内(みうち)。高知県境、大峠林道、宇和島市津島町御内-高知県四万十市西土佐黒尊。▼現在は大峠隧道が峠の南下を走る、旧地図は「オホタヲ」と読みを記す。
大田尾越 おおたおごえ 愛媛県新居浜市別子山。高知県境、新居浜市別子山登美野-高知県土佐郡大川村大北川。▼峠部自体はかなりの堀切なのだが、明るすぎて恐怖感は無い♪愛媛側に大田尾越えの看板、高知側には東光森山登山道入り口がある。▼タオ系の峠名という事になるが、トウ系の方が多く徳島・高知と比べると少ない印象を受ける。南には大座礼山があり、愛媛県内にあるサレ・ザレにも注意したい。
大峠 おおと 愛媛県上浮穴郡久万高原町笠方。上浮穴郡久万高原町前組-同町笠方。
大峠 おおと 愛媛県八幡浜市五反田字大峠。▼峠地名。
大峠* おおと 愛媛県八幡浜市保内町宮内。国道197号大峠トンネル。▼旧地図より、孤立樹記号有。隧道上の旧道峠。
大堂ヶ峠 おおどうがとう 愛媛県伊予郡砥部町仙波。上浮穴郡久万高原町二名(にみょう)-伊予郡砥部町仙波。▼読みは旧地図の「オードーガトー」より。「おおどうがとうげ」とも。
大成越 おおなるごえ 愛媛県上浮穴郡久万高原町相の木。上浮穴郡久万高原町大成-同町相の木・若山。▼「面河村誌」より位置は旧地図の越路から推定。人の交流盛んで、嫁入り、婿取りも、しばしばであり芸能のゆききも頻繁であった。今、往時の面影なく、その道さえも、さだかでない、と記されている。
大森越 おおもりごえ 愛媛県四国中央市土居町上野。▼赤石山系登山道。
おそ越 おそこえ 愛媛県北宇和郡松野町大字奥野川。高知県境、北宇和郡松野町奥野川-高知県四万十市西土佐江川。▼峠部南側の高知県に山ノ神。ウソ・オソ越系は地名に残る分も含めて是より西は、現時点で長崎県佐世保市下本山町に残る嘘越のみ。尾曽、尾所、宇曽などとの関連が気になるところ。
おそごえ峠 おそごえとうげ 愛媛県伊予郡砥部町大角蔵(おおかくら)。伊予郡砥部町外山-同町大角蔵。▼旧地図では「オソ峠」とある。峠や越と揺らぎは見えるけれど、「オソ」は一定。松野町の「おそ越」とも併せて、オソと越路がセットになるのはどういう箇所か? 目的地由来の峠名にしては多いので偶然でなく「オソ・ウソ」との関係があるのでは?
大戸越* おとこえ 愛媛県大洲市長浜町今坊。大洲市戒川-同市長浜町今坊。▼九州の「うとんごし」と共にウト≒オト系なのか、四国に多いオオト・オオトウ系なのかは現状で判断できない。前者であるならオソやウソ系の語彙との関連も見えてくる。
鬼峠 おにがとう 愛媛県宇和島市三間町小沢川(こそうがわ)。宇和島市三間町北増穂-同町宮野下。▼読みは旧地図の「オニガトー」より、現行地図では集落名だが
温戸峠 おんどとうげ 愛媛県松山市立岩米之野。今治市玉川町龍岡上-松山市立岩米之野。▼元は峠が不要で「オンド」であったと推測してみる♪ すると音地などの「オン」に峠を意味する「ト」が加わったか、折戸(オリト)系の語彙が転訛したかとなるが不明。まぁ辛い坂道だから音頭を歌いながら登った峠と言われても納得するかもw
がくが峠 がくがとう 愛媛県喜多郡内子町臼杵。伊予郡砥部町多居谷-喜多郡内子町臼杵。
角ぜん峠 かくぜんとうげ 愛媛県西予市野村町大野ケ原。大洲市河辺町北平-西予市野村町小松。
笠置峠 かさぎとうげ 愛媛県西予市宇和町岩木。県道25号八幡浜宇和線、予讃線、八幡浜市釜倉-西予市宇和町岩木。▼「国史跡」、「歴史の道百選」でもある「八幡浜街道笠置峠越。室町時代から峠越えが知られ、江戸時代は宇和島藩が参勤交代に利用、九州方面の巡礼者が四国遍路を往来する道でもあったと。峠の南南西尾根に笠置峠古墳がある。
笠取峠 かさとりとうげ 愛媛県四国中央市新宮町新瀬川。旧土佐北街道、四国中央市新宮町新瀬川-同市市新宮町馬立。▼笹ヶ峰から続く道は「北山越(笹越)」と呼ばれ、かつての参勤交代道であった。ルートの中間にあたり、旅人はここで一度は笠を外したことからとされる。
鍛冶屋峠 かじやとうげ 愛媛県伊予郡砥部町玉谷。県道221号広田双海線、伊予市中山町栗田-伊予郡砥部町玉谷。
柏坂 かしわざか 愛媛県南宇和郡愛南町柏。▼旧地図より。
風峠 かぜんとう 愛媛県大洲市肱川町名荷谷。大洲市肱川町名荷谷-同町山鳥坂。▼旧地図には「風ヶ峠」と。
峨蔵越 がぞうごえ 愛媛県新居浜市別子山。四国中央市土居町浦山-新居浜市別子山保土野。
カバケ峠* かばけとう 愛媛県上浮穴郡久万高原町直瀬。▼「相ノ峰・本組から下直瀬に通ずるカバケ峠(面河村誌より)」から。読み・位置ともに推定。
加町坂* かまちさか 愛媛県宇和島市三間町音地(おんじ)。県道282号小倉三間線、北宇和郡鬼北町大字畔屋-宇和島市三間町音地。▼加町坂隧道上の旧道峠。▼「加町坂峠」とも、吉田藩の主要街道として発展。くねくねと曲がり幅員も狭く住民にとっては難所であったが、昭和53年に加町坂隧道が完成し便利になったと。「DB愛媛の記憶」より。
上林峠 かみはやしとうげ 愛媛県上浮穴郡久万高原町上畑野川。上浮穴郡久万高原町上畑野川-東温市上林。▼現状は上林トンネルや県道209号などが代替する。旧ルートは北の白糸滝から谷筋を登るルートがあった。
茅の峠 かやのとうげ 愛媛県西宇和郡伊方町中浦。西宇和郡伊方町中浦-同町亀浦。
唐岩峠 からいわとうげ 愛媛県西予市城川町遊子谷(ゆすたに)。西予市城川町遊子谷-西予市野村町予子林。
から岩ノ峠 からいわのとうげ 愛媛県上浮穴郡久万高原町西谷。高知県境、県道383号、上浮穴郡久万高原町西谷字古味-高知県高岡郡檮原町永野。▼天保国絵図より、国境にから岩ノ峠とあり、伊予国西谷村之内古味村と土佐国永野村を結ぶ行程が見える。ただし、旧地図では既にその行程は見えず地芳峠が記載されている。▼土佐と伊予の国境として、唐岩番所跡あり、現唐岩として地理院地図にも記載。
刈屋峠 かりやとうげ 愛媛県大洲市長浜町下須戒字刈屋。大洲市豊茂-同市長浜町下須戒。▼目的地由来でなく、位置由来の峠名と思われる。刈屋は旧地図では「假屋」とされる。
北谷越 きただにごし* 愛媛県西予市野村町釜川。西予市城川町魚成-同市野村町釜川。
木谷越* きたにごえ 愛媛県松山市高浜町五丁目。松山市太山寺町-同市高浜町五丁目。▼旧地図より。第52番札所太山寺に関連する越路と。
経塚 きょうづか 愛媛県西宇和郡伊方町二名津。▼国道197号三崎トンネル上。
草木越 くさきごえ 愛媛県南宇和郡愛南町小山。高知県境、南宇和郡愛南町小山-高知県宿毛市大深浦・草木薮。
九十九曲峠 くじゅうくまがりとうげ 愛媛県西予市城川町川津南。高知県境、西予市城川町川津南字大麦-高知県高岡郡檮原町宮野々。▼土佐脱藩志士たちが伊予へ抜ける為に通った峠、「勤王志士脱藩遺蹟九十九曲峠」の碑が建立されている。▼天保国絵図では「大麦坂」と記される。
九町越 くちょうごし 愛媛県西宇和郡伊方町九町。▼越地名。
熊の坂 くまのさか 愛媛県大洲市河辺町河都(かわと)。▼坂地名だが、旧道が西予市野村町惣川方面とを結ぶ。
雲原峠 くもはらとうげ 愛媛県新居浜市別子山。▼「旧別子案内」の地図画像より、物住頭西側尾根の南側が雲ヶ原と。「雲原越」や「雲ヶ原越」などの文字も見られる、後者の場合は物住頭の西側を越えたのかもしれない。地名と合わせ銅山関連で調べる必要がある。
くるすの峠 くるすのとう 愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥。上浮穴郡久万高原町七鳥-同町本組。▼大味川本組から竹谷へ通ずるくるすの峠は大味川谷から久万町へ通ずる街道であり、弘法大師開山の四国八十八か所、海岸山岩屋寺参りの峠として旧暦三月二十一日は、年一回のお大師さんの日である。峠にたどりつくと、岩屋寺から鐘の音が春霞の中に響く。昭和十二年(村長八幡文太郎)竹谷から本組まで、この村へ初めて電気の燈をともしたのも、この峠を越えたたった一本の電線である。「面河村誌」より。
黒瀬峠 くろせとうげ 愛媛県西条市黒瀬。県道142号石鎚伊予小松線、西条市氷見丁-同市黒瀬甲。▼氷見側から石鎚神社一の鳥居を潜り、切り立った堀切を過ぎると県道12号西条久万線と合流、黒瀬峠バス停有。かなり高さがある堀切の為か、旧地図の頃は東に大きく迂回するルートが記されている。
黒滝峠 くろたきとうげ 愛媛県上浮穴郡久万高原町黒藤川。高知県境、上浮穴郡久万高原町黒藤川-高知県吾川郡仁淀川町用居乙。
黒森峠 くろもりとうげ 愛媛県東温市河之内。国道494号、上浮穴郡久万高原町笠方-東温市河之内。▼江戸時代までの割石峠を越える道に代わり明治期に開削されたのが黒森街道と黒森峠。面河方面から松山へと出る主要ルートであり、昭和初期までは峠に茶店もあったが、国道494号線開通でその役目を終えたと。北東約5kmにある黒森が由来か。
桑坂 くわざこ 愛媛県大洲市平野町平地。▼旧地図より、坂=サコ例の為記載。
桑瀬峠 くわぜとうげ 愛媛県西条市藤之石。高知県境、西条市藤之石戊-高知県吾川郡いの町桑瀬。
幸次が峠 こうじがとうげ 愛媛県松山市柳谷町。▼すぐ脇には首なし地蔵が祀られており、昔から首より上の病気を治してくれることで知られている。大月山の中腹に「カンゾ山」があり、そこにはかつて盗賊住んでいた。その「カンゾ山」から煙が出ているのを見た風早郷(旧北条市)の人が見に来たところ盗賊と争いになった。この地蔵はその際の死者を弔ったものと。▼人名由来の峠名には見え、地蔵関連の方の名かもとは思うが詳細は不明。
高地ヶ峠 こうちがとうげ 愛媛県八幡浜市保内町宮内。八幡浜市保内町喜木津-宮内。
郷峠 ごうとうげ 愛媛県八幡浜市郷。八幡浜市郷-大洲市平野町平地。
鴻之坂* こうのさか 愛媛県松山市下難波。松山市下難波-同市浅海原(あさなみはら)。▼「鴻之坂峠」とも。峠部には、遍路道中務茂兵衛道標があり、浅海原がわに少し行くと休憩所兼展望所もある。
郷の峠 ごうのとうげ 愛媛県八幡浜市日土町。県道28号長浜保内線、八幡浜市日土町-大洲市豊茂。▼旧地図では「郷峠」とある。
小坂 こさか 愛媛県松山市東大栗町。▼坂地名。松山市福角町から笹ヶ峠へ至る南側の行程にあたる坂道。北の行程が長坂(なぐさこ)。
越ノ峠 こしのとう 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生。土佐街道、県道153号落合久万線、上浮穴郡久万高原町上野尻-同町菅生。
瞽女が峠 ごぜがとうげ 愛媛県八幡浜市保内町喜木津。八幡浜市保内町喜木津-宮内。
小箱越 こばこごえ 愛媛県四国中央市富郷町津根山。四国中央市富郷町津根山-新居浜市別子山保土野・別子山大野。▼赤石山系の小箱越を通るこの道は、第一次泉屋道は呼ばれる。ただ別枝銅山の経営極めて不便であったため第二次泉屋道が使用されることとなった。「DB愛媛の記憶 愛媛県史 地誌Ⅱ(東予東部)」より。
コマ越 こまごえ 愛媛県今治市玉川町木地。西条市黒谷-今治市玉川町木地。▼旧地図より。峠西方の楢原神社には、明治42年に臍緒神社、門脇神社、大己貴、今宮天王、駒越一ノ郷、二ノ郷を合祀したとあり、駒越の名が見える。昭和初期の旧地図にもルート上に建物跡がないためこの頃に廃村となったか。
込ノ峠* こみのとうげ 愛媛県大洲市長浜町須沢。▼旧地図より。詳細は不明、込は古味・小見もしくはミが海等想像は膨らむが今後に期待♪
子持坂 こもちざか 愛媛県大洲市野佐来(やさらい)。▼現在は地名としてあるが、南に札掛、大掛、三本松と街道関連の地名群を経て鳥坂峠への道を形成、一部は国道56号が上書きする形になっている。参考のため記載。
小屋峠 こやとうげ 愛媛県松山市杉立町。松山市小野町-同市杉立町。
小屋峠 こやとうげ 愛媛県松山市北梅本町。▼旧地図の峠地名。谷沿いに北進すれば、小屋峠に出る。詳細不明。※久米郡小屋峠村(こやのとうむら)有、現松山市小野町。
権現越 ごんげんごえ 愛媛県新居浜市別子山。四国中央市土居町上野-新居浜市別子山登美野。
さか 愛媛県東温市松瀬川。▼旧地図の坂地名。北西上之段集落への道がある。
境野峠 さかいのとうげ 愛媛県上浮穴郡久万高原町東川。高知県境、国道494号境野隧道、上浮穴郡久万高原町東川-高知県吾川郡仁淀川町用居字瓜生野。▼「瓜生野越」とも。天保国絵図にある国境の地名が「境野」、行程から峠を越えたのだろうが当時は峠名は記されていない。
境柱峠 さかいばしらとうげ 愛媛県伊予郡砥部町中野川。伊予市中山町栗田-伊予郡砥部町中野川。
境目峠 さかいめとうげ 愛媛県四国中央市川滝町下山。徳島県境、四国中央市川滝町下山-徳島県三好市池田町佐野▼国道192号境目トンネル旧道峠。
桜峠 さくらがとう 愛媛県西予市城川町野井川。高知県境、西予市城川町野井川-高知県高岡郡檮原町坪野田・文丸。▼読みは旧地図の「サクラガトー」より。
桜が峠 さくらがとうげ 愛媛県西予市城川町田穂(たお)。国道441号、西予市城川町田穂-西予市野村町野村。
桜三里 さくらさんり 愛媛県東温市則之内。国道11号、東温市-西条市。▼桜の名所で、金毘羅街道(讃岐街道)の峠道の通称。由来は、源氏に追われた平家の樫原源太季秋が植えた、また江戸時代の松山藩士矢野五郎右衛門源太によるものなどとされる。
笹峠 ささがとう 愛媛県大洲市河辺町北平。県道55号小田河辺大洲線、喜多郡内子町寺村-大洲市河辺町北平。▼「笹峠(ささとうげ)」とも。峠には地蔵また、峠近傍に笹ケ峠砦あり。
笹ヶ峠 ささがとう 愛媛県松山市大西谷。県道204号長井方堀江線、松山市東大栗町-松山市客字長井方(なんかた)。▼読みは旧地図の「ササガトー」から。旧大栗町(現東大栗町)側から小坂。長坂(なぐさこ)の二つの道が峠部にに至り、そのまま東の長井方へと下る旧道がある。現状は県道が長井方へも大きく迂回し、地名となっている。
笹ヶ峠 ささがとうげ 愛媛県松山市庄府。県道17号北条玉川線、今治市玉川町龍岡下-松山市庄府。▼心霊スポットしても有名。ただし、旧地図によると姥捨て伝承のあった死入道峠は県道開設前と思われここから少し東にあったようだ。
笹ヶ峠 ささがとうげ 愛媛県西条市丹原町臼坂。▼峠地名。臼坂と共に地名になっているが、川を迂回するルート。現県道327号湯谷口川内線。▼おんびき石(伊予の蛙石)があり百日咳や喉の神様として知られると、臼坂郷土を守る会の案内板より。
笹ヶ峰 ささがみね 愛媛県四国中央市新宮町馬立。高知県境、四国中央市新宮町馬立-高知県長岡郡大豊町立川下名。▼「笹越」、「北山越」、「笹ヶ峰峠」とも。古代は太政官道、江戸期は土佐藩の参勤交代の街道で、水無峠、笠取峠、腹包丁、下り付といった参勤交代に関連する地名が古道沿いに残る。▼天保国絵図にもその名が見える。
さやの峠 さやのとうげ 愛媛県今治市玉川町鈍川。県道154号東予玉川線、今治市朝倉上-今治市玉川町鈍川。▼現峠部は堀切で、サヤノ峠の石造標柱が建てられている。
猿坂峠 さるさかとうげ 愛媛県西予市野村町四郎谷。西予市野村町四郎谷-同町野村。
猿田峠* さるたとうげ 愛媛県四国中央市富郷町寒川山。高知県境、県道264号坂瀬吉野線白髪隧道、四国中央市富郷町寒川山(さんがわやま)字猿田-高知県長岡郡本山町沢ケ内(そうがうち)。▼旧地図に名称があり、愛媛県側に猿田川が流れる。▼天保国絵図によると伊予国猿田村から土佐国桑ノ川村へ至る土佐道、土佐国では伊予道峯と呼ぶとあり、この峰も峠の意と捉えることができそうだ。
サレガ峠 されがとうげ 愛媛県上浮穴郡久万高原町二名。県道220号上尾峠久万線、上浮穴郡久万高原町二名-伊予郡砥部町満穂。▼崩壊地名の「サル」の変形か?
椎ノ木越 しいのきごし 愛媛県今治市朝倉上。県道154号東予玉川線、愛媛県今治市朝倉上-西条市福成寺。
獅子越峠 ししごえとう 愛媛県喜多郡内子町本川。県道52号小田柳谷線、喜多郡内子町中川-同町本川。
地蔵坂 じぞうさか 愛媛県松山市石風呂町。県道183号辰巳伊予和気停車場線、松山市太山寺町-同市石風呂町。▼旧地図より。
地蔵峠 じぞうとうげ 愛媛県北宇和郡松野町大字目黒。北宇和郡松野町富岡-目黒、県道8号西土佐松野線。▼旧地図には「目黒峠」と記される。
志津見峠 しつみとうげ 愛媛県今治市吉海町仁江。
死入道峠 しにゅうどうとうげ 愛媛県松山市庄府。今治市玉川町龍岡下-松山市庄府。▼名称、位置ともに旧地図より。笹ヶ峠は県道開通で越路が西に移動後の名称と思われ、旧地図には孤立樹記号もあり、こちらが主道に見える。死入道峠の先にある高縄山は江戸時代の頃は姥捨て山だったとされ、姥捨に行く家族がこの峠を通っていたため死入道峠という名前がついたとされる。心霊スポットと言われているが、位置が変更しているので姥捨てとの関連は微妙に思われる。▼姥捨て事例は全国にあるが、青森の出来島海岸、山形のジャガラモガラ、東京の多摩湖、静岡のバンバ穴等も知られている。連れていくというのは優しい事例であり、徳島県の事例では滝壺に投げ込むという場合もある。これは、大洲の白滝るり姫まつり(瑠璃の方(るり姫)とその娘の八重姫・九重姫が落城の為滝に身を投げたことの慰霊行事)で、60m下の滝壺に神輿を投げ込む行事があるが、それとの関係性も疑われるもの。
柴大越 しばおおこし 愛媛県大洲市柴。▼越地名。
芝ヶ峠* しばがとうげ 愛媛県松山市鷹子町。▼山地名。
下坂場峠 しもさかばのとう 愛媛県喜多郡内子町臼杵。県道42号久万中山線、上浮穴郡久万高原町二名-喜多郡内子町臼杵。▼読みは旧地図の「シモサカバノトー」より。
宿名峠 しゅくなとうげ 愛媛県西宇和郡伊方町川永田。西宇和郡伊方町川永田-豊之浦。
十本松峠* じゅっぽんまつとうげ 愛媛県宇和島市吉田町立間尻。宇和島市三間町是能-同市吉田町立間・立間尻。▼吉田藩領三間と吉田の主要行程として延宝(えんぽう)年間(1672~1680年)に開かれた。三間の人が吉田街道と呼んだこの道は幅員約1mの小道だが、人馬の往来が盛んであった。「DB愛媛の記憶」より。廃道になっていたが再整備された。
小岩道 しょうがんどう 愛媛県南宇和郡愛南町僧都。
正持ヶ峠 しょうじがとうげ 愛媛県上浮穴郡久万高原町二名。上浮穴郡久万高原町二名-同町東明神。
菖蒲峠 しょうぶとうげ 愛媛県西条市東之川。西条市東之川戊-荒川。
地芳峠 じよしとうげ 愛媛県上浮穴郡久万高原町西谷。高知県境、県道383号、上浮穴郡久万高原町西谷-高知県高岡郡檮原町永野。▼尾根線を県道が走るが、古道の行程は国道440号地芳トンネルが代替している。旧地図には孤立樹記号も見える。▼地芳の由来は不明だが北西に地芳谷川がある。また、天保国絵図に土佐国幡多郡上山村枝郷地芳村の名が見え、高知県の現大字(地吉)もある。目的地由来の峠名には遠いが名称考察のヒントになるかもしれない。
白猪峠 しらいとうげ 愛媛県東温市河之内。上浮穴郡久万高原町直瀬-東温市河之内。▼東の三角点1201.5が白猪山、峠の北に白猪の滝。
シラサ峠 しらさとうげ 愛媛県西条市西之川。高知県境、西条市西之川丁-高知県吾川郡いの町寺川。いの町道瓶ヶ森線(UFOライン、町道瓶ヶ森線)。
須田越 すだごえ 愛媛県八幡浜市向灘字須田。八幡浜市保内町川之石字楠町-同市向灘。▼「名坂峠」の間道的な越路。楠町方面から徒歩だと須田越の方が早かったと。「DB愛媛の記憶」より。
関ノ戸 せきのと 愛媛県新居浜市船木。国道11号、讃岐街道、四国中央市-新居浜市。▼「関ノ峠(せきのとうげ)」、「宇摩ノ関」、「新居関」とも。字地に関ノ峠、小字に関の原、また道筋には道の下、道面、坂之下などの街道に関連する地名も遺る。遍路道でもあり、遍路宿も多く栄えていたという。
瀬戸風峠* せとかぜとうげ 愛媛県松山市祝谷東町。松山市祝谷東町-同市下伊台町。▼旧地図より。峠部は現在の南白水三丁目付近でもあり宅地化され詳細不明。松山市内の夜景名所にもなっている模様♪
銭尾峠 ぜにおとうげ 愛媛県伊予市三秋(みあき)。国道378号。▼地理院地図は「銭尾峠」、バス停名は「三秋峠」。
千本峠 せんぼのとう 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生。上浮穴郡久万高原町下畑野川-菅生。▼今戸の上に千本口(せんぼんぐち)という地名があります。千本口は、千本峠(せんぼんとうげ・昔はセンボノトーと言っていた)へ通じる道の入口という意味ではないかと思います。」とある、「DB愛媛の記憶」より。読みはこちらを採用した。
大岩道 だいがんどう 愛媛県南宇和郡愛南町御荘長月。
タイマツ峠 たいまつとうげ 愛媛県西予市野村町白髭。大洲市宇和町信里-西予市野村町白髭。
大明神峠 だいみょうじんとうげ 愛媛県松山市菅沢町。
大門峠 だいもんとうげ 愛媛県西予市城川町高野子(たかのこ)。県道284号日向谷高野子線。
高台越 たかだいごえ 愛媛県上浮穴郡久万高原町。高知県境、上浮穴郡久万高原町河の子-高知県吾川郡仁淀川町大野。▼若山・峰から高台越に通ずるいわゆるガンサラ道は、若山方面から土佐へ行く重要路であったが、この道はもはや、道そのものの跡かたもない。「面河村誌」より。
高峠 たかとぎ 愛媛県西条市中野丙。▼山地名、旧地図では西側鞍部に古道が見える。現在は「たかとうげ」で、ここには山城があり高峠(たかとうげ)城と呼ぶが、古くは高外木(たかとぎ)城と言った。「タカトギ」は鹿児島、高知、愛媛で山名・峠名に残る名称で、トギ=峠であったかは現時点では不明だが、峠の由来を考察していく上では重要な語彙だと思われる。
高研峠 たかとぎとうげ 愛媛県北宇和郡鬼北町大字日向谷(ひゅうがい)。高知県境、国道197号、北宇和郡鬼北町大字日向谷字境-高知県高岡郡檮原町上西の川。▼愛媛県分として隧道側に位置を指定した。おそらく昔は「タカトギ」で意味が通じたのかもと考えている。▼天保国絵図では土佐国西ノ川村と伊予国日向谷村を結ぶ道が見え、土佐国では境峯、伊予国では「坂井ノ峠」と呼ぶとある。
宝坂 たからざか 愛媛県松山市立岩米之野。▼谷名の「宝坂谷」より、旧地図には谷沿いの西側尾根に道があり、南の石ヶ峠や高縄寺へと至る。
滝野越 たきのごえ 愛媛県上浮穴郡久万高原町東明神。上浮穴郡久万高原町上畑野川-同町東明神。
竹のはざ たけのはざ 愛媛県大洲市豊茂。大洲市上須戒-豊茂。▼詳細は不明。素直に竹の狭間からか?それとも竹はダキ系からかと想像はするが今後に期待♪
只越 ただこし 愛媛県大洲市阿蔵。▼越地名。大洲市街地から西の山越え入り口にあたり、根元越峠や内越への道筋があった。
立石越* たていしごえ 愛媛県南宇和郡愛南町柏崎。南宇和郡愛南町柏-同町須ノ川。▼「DB愛媛の記憶」より、位置は旧地図古道より推定。柏から須ノ川方面へ徒歩で行く場合は柏崎経由の旧国道ではなく、立石(たていし)の山道を通る『立石越え』で大浜へ出て、そこから旧国道を歩くことが多かったと。
田ノ浦越 たのうらごえ 愛媛県伊予市八倉(やくら)。伊予郡砥部町田ノ浦-伊予市八倉。▼旧地図より。
田浦峠 たのうらとうげ 愛媛県今治市吉海町泊。県道49号大島環状線、今治市吉海町泊-同町田浦。
知永越 ちながごえ 愛媛県宇和島市吉田町知永。国道56号、宇和島市吉田町知永-宇和島市高串。
杖立峠 つえたてとうげ 愛媛県伊予市中山町佐礼谷。伊予市中山町佐礼谷-同市鵜崎。
杖峠 つえとうげ 愛媛県北宇和郡松野町大字奥野川。高知県境、県道106号、北宇和郡松野町大字奥野川-高知県四万十市西土佐江川。
土ノ峠* つちのとうげ 愛媛県新居浜市大永山。▼旧地図に見える峠地名。508.9の四等三角点名が土峠。東側に流れる足谷川を迂回するルートが想定できる。
都梅越 つばいごし 愛媛県大洲市柴。大洲市柴-同市長浜町下須戒。▼大字柴の字都梅が関連地名。
鶴首峠 つるのくびとうげ 愛媛県大洲市長浜町櫛生。大洲市豊茂-同市長浜町出海・櫛生。▼峠北の大洲市長浜町櫛生周辺には気になる地形関連地名が多く、西の山に「トギ」があり、土佐の「高研山」、鹿児島の「高時」との関連も窺える。
出合峠 であいとうげ 愛媛県四国中央市土居町浦山。▼小箱越から続く別子銅山の第一次泉屋道の峠。
天ヶ峠 てんがとう 愛媛県西条市小松町石鎚。
天神坂 てんじんさか 愛媛県宇和島市三浦東。宇和島市祝森-同市三浦東。
天道ヶ峠 てんとがとう 愛媛県今治市朝倉上。▼山地名。天頭ヶ頭が一般的か。別名に天道ヶ峰、金山とも。山頂は昔の狼煙場で、昭和初期までは毎年盆に藁を燃やし、仏教行事の一つである万灯を実施。山頂から南西の朝倉上字金山に鉱山があった。
天満峠 てんまとうげ 愛媛県四国中央市土居町天満。県道13号壬生川新居浜野田線、四国中央市土居町天満(てんま)-新居浜市荷内町。
砥畦峠 とあぜとうげ 愛媛県伊予郡砥部町大角蔵。伊予市上唐川-伊予郡砥部町大角蔵。▼旧地図には孤立樹記号も記載。
とうげ 愛媛県北宇和郡鬼北町大字出目(いずめ)。▼鬼北町から広見川右岸の北宇和郡松野町大字延野々(のびのの)字五郎丸・檜本方面への入り口部に残る峠地名。越路に名称が窺えるが不明、地名として残ったものだろう。
とうげ 愛媛県大洲市多田。▼峠地名。
とうげ 愛媛県今治市朝倉上。▼峠地名。さやの峠の東口にあたり、北に行けば旧鉱山のあった金山、天道ヶ頭へと至る。
とうげ 愛媛県今治市伯方町伊方。▼峠地名。
東越 とうごえ 愛媛県伊予市双海町高岸。▼漢字からは東の越路を思わせるが、読みが正確であるならば「トウの越路」であったことが理解できる。行程を南に進んだ峠部傍に牛ノ峯地蔵尊(旧地図にも記載)があり、古くからの行程があったのだろう。ただ、注意したいのは峠を下った南側の喜多郡内子町石畳字東(ひがし)がある点か。
銅山越 どうざんごえ 愛媛県新居浜市立川町。新居浜市別子山七番-同市立川町。▼銅山越には峰地蔵があり、行き倒れとなった仲持(荒銅を担いで運搬した人、男性で45kg、女性で30kgと)を祀るものだとか。峠御堂にもある板状の岩を四角囲いの中に祀られている、徳島の例で名前があったと思うが忘れている><確認したら書いておくつもり。
峠御堂 とうのみどう 愛媛県上浮穴郡久万高原町下畑野川。県道12号西条久万線峠御堂トンネル。▼三角点名にもあり、山名でもありそう。峠としても使用されていたようで、峠を見守るお地蔵さんが祀られていることが名の由来と。大宝寺へ至る遍路道でもある峠の地蔵は、徳島県で特有の祭祀(民俗)で良く見られる板状の岩を四角囲いとする祠の中に祀られているが、詳細は不明。名称に信仰に興味深い峠である。
トギ とぎ 愛媛県大洲市長浜町櫛生。▼山名、長浜町櫛生付近には越地名、峰地名が多くルート的にもかなり古い尾根伝いの道が想起される。現時点では確とは言えないが、高知の「高研山」、鹿児島の「高時」と同じく山名であり関連があるように思う。山頂でもあるのだが、尾根伝いの道の最高所とでも言うべき場所で、あとは下りになる点は峠と同様でもある。その他の類例や関連伝承を捜索中。
鳥坂峠 とさかとうげ 愛媛県西予市宇和町久保。国道56号、大洲市稲積-西予市宇和町久保字鳥坂(とさか)。
鳥越 とりごえ 愛媛県四国中央市川之江町余木。▼県境の越地名、詳細なルートが見えないため、位置は地名を示した。
鳥越 とりごえ 愛媛県南宇和郡愛南町城辺甲。▼越地名、鳥越から南へ進むと東の鯆越からの道と合流し、西の日土峠に至る。
鳥越 とりごえ 愛媛県南宇和郡愛南町平碆。▼鳥越隧道より。
鳥越 とりごえ 愛媛県伊予市中山町中山。伊予市双海町上灘字大栄(おおえ)-同市中山町中山字永木。
鳥越峠 とりごえとうげ 愛媛県八幡浜市釜倉。県道25号八幡浜宇和線、八幡浜市釜倉字鳥越-西予市宇和町伊延。
鳥越峠 とりごえとうげ 愛媛県喜多郡内子町石畳。県道226号串中山線、伊予市双海町串-喜多郡内子町石畳。
中川峠 なかがわとうげ 愛媛県四国中央市金砂町小川山。高知県境、四国中央市金砂町小川山-高知県長岡郡本山町沢ケ内。
長坂* なぐさこ 愛媛県松山市東大栗町。▼旧地図にある坂地名、ナガでなくナグに見えるため。松山市福角町から笹ヶ峠へ至る北側の行程にあたる坂道。南の行程が小坂。
名駒峠 なごまとうげ 愛媛県今治市吉海町名。県道49号大島環状線、今治市吉海町名-同町名駒。
名坂峠 なざかとうげ 愛媛県八幡浜市保内町須川。国道197号、八幡浜市保内町須川-同市大平。▼「名坂越え」とも呼んだと。
七曲峠* ななまがりとうげ 愛媛県宇和島市吉田町立間。▼「DB愛媛の記憶」より、十本松峠よりも古い道で、その北で吉田から三間町則(すなわち)字西谷への道があり「殿様街道」と呼び、四十二番札所仏木寺への道であったとも。読み、位置は推定。
名野川越 なのかわごえ 愛媛県西条市西之川。高知県境、瓶ヶ森林道、西条市西之川丁-高知県吾川郡いの町寺川。
並松峠 なみまつのとう 愛媛県大洲市肱川町大谷。大洲市肱川町大谷-同町宇和川。▼読みは旧地図より、孤立樹記号も。また、「なんまつとうげ」とも。
韮ヶ峠 にらがとうげ 愛媛県西予市野村町小松。高知県境、県道379号韮ヶ峠文丸線、西予市野村町小松-高知県高岡郡檮原町井高。▼坂本龍馬脱藩の道。この韮ヶ峠の後、榎ヶ峠、封事ヶ峠と2つの山越えをし、日除からは尾根筋を水ヶ峠・泉ヶ峠・耳取峠・石上峠と辿って宿間で肱川下りの船に乗ったとされる。▼天保国絵図に「薤が峠」と記載有、伊予国小屋村(現西予市野村町小松付近)ノ内つつら村(ささらではないと思うが? 地名等は検索中、小屋村の出作程度かも)と土佐国四万川村(高知県高岡郡檮原町神の山・四万川付近)の行程が記されている。
ヌダノ峠 ぬだのとう 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生。上浮穴郡久万高原町七鳥-菅生。▼ヌダ自体は不明で愛媛方言だろうか? ヌタ場の同意ならヌタ≒ニタであり、じるい場所か。また、愛媛県のため池データベースによると北宇和郡鬼北町大字畔屋に「ヌタノ峠池」がある。
ねむりが峠 ねむりがとう 愛媛県喜多郡内子町中田渡(なかたど)。喜多郡内子町中田渡-同町吉野川。
根元越峠 ねもとこしとうげ 愛媛県大洲市上須戒。大洲市上須戒・阿蔵・高山。▼旧地図に記載はないが、峠南東に只越、峠西に打越と越地名が残ることからもある程度の昔から道筋があったことが窺える。
ネンジョ越 ねんじょごえ 愛媛県東温市明河(みょうが)。西条市丹原町鞍瀬-東温市明河。▼旧地図より、「念上峠」ともあり、峠付近に地蔵様も安置されている。歩荷の人が使う杖もネンジョというが詳細は不明。
農祖峠 のうそのとう 愛媛県上浮穴郡久万高原町下野尻。上浮穴郡久万高原町露峰-同町下野尻。▼読みは旧地図より、今は「のうそとうげ」が主流か。
野地峰越 のじみねごえ 愛媛県四国中央市富郷町津根山。高知県境、四国中央市富郷町津根山-高知県土佐郡大川村朝谷。▼天保国絵図にもある行程、牛馬不通、伊予国では「浅谷峯」と呼び、土佐国では「野地峰」と呼ぶとある。国絵図を参考にすれば、土佐国浅谷村(現朝谷)へ向かうという目的地由来の名称であることからも、このあたりで言う峰には今の峠を意味があったことも見える。
野福峠 のふくとうげ 愛媛県宇和島市吉田町法花津。県道45号宇和明浜線野福トンネル、宇和島市吉田町法花津-西予市宇和町伊賀上。▼新道トンネル上旧道峠部を指定、旧道側の俵津隧道の北口側に馬頭観音有。俵津隧道の坑門両脇にはピラスターと呼ばれる意匠がなされ、造形美を堪能できる。
生ぇ越 はえごし 愛媛県上浮穴郡久万高原町西谷。高知県境、上浮穴郡久万高原町西谷-高知県高岡郡檮原町井の谷・太田戸。▼西にある唐岩には、藩政期に番所が置かれていた。
羽子の木峠 はごのきとうげ 愛媛県西予市野村町長谷。西予市宇和町新城-西予市野村町長谷。
畑峠 はたがとう 愛媛県喜多郡内子町臼杵。喜多郡内子町大平-同町臼杵。▼すぐ北が臼杵字畑谷。
八丁坂 はっちょうざか 愛媛県西条市西之川。▼石鎚山の登山道。
八百坂 はっぴゃくざか 愛媛県南宇和郡愛南町御荘菊川。国道56号。▼「八百坂峠」とも、八百坂峠バス停有。「DB愛媛の記憶」にも記載有、現在は切り開かれたが以前は九十九折れの面倒な坂道であったと。
羽藤峠* はとうとうげ 愛媛県今治市玉川町御厩(みまや)。今治市玉川町葛谷-同町御厩。▼旧地図より、詳細不明。読みは人名の羽藤氏より。
歯長峠 はながとうげ 愛媛県宇和島市吉田町立間。県道31号宇和三間線、宇和島市吉田町三間町則字歯長-西予市宇和町下川。▼昭和初期まで宇和と三間、宇和島を結ぶ唯一の生活道路であった。峠は大勢の人でにぎわい、茶店もあったと。宇和は現西予市宇和町。「DB愛媛の記憶」による。▼鼻ヶ峠の変化かと思ったが、旧地図に歯長の地名がある。
花山越 はなやまごえ 愛媛県東温市上林。東温市上林字花山-東温市井内。
祓川峠 はらいがわとうげ 愛媛県西予市城川町土居。県道2号城川檮原線旧道、現祓川トンネル、西予市城川町下相-土居。
腹包丁 はらぼうちょう 愛媛県四国中央市新宮町馬立。旧土佐北街道の急坂、南へ笠取峠、水無峠を経て旧国境に至る。▼参勤交代の武士が、腰の刀が邪魔で腹に回して差して歩いたことが由来とされる。坂を登り切ると樫の休場に至る。
日土峠 ひつちとうげ 愛媛県南宇和郡愛南町久良字日土(ひつち)。▼峠部は、現県道297号の交差点。
平石峠 ひらいしとうげ 愛媛県西宇和郡伊方町二見。国道197号、西宇和郡伊方町二見字大成-同字古屋敷。
ひろいあげ坂 ひろいあげざか 愛媛県今治市菊間町長坂。今治市菊間町田之尻-町長坂。▼「DB愛媛の記憶」より、位置は推定。今治街道、「殿様道」とも呼ばれたルートの坂道・峠部で遍路道でもある。松山市浅海から海岸線を避ける行程で窓坂で田之尻に出た後に再び山へ道をとり「ひろいあげ坂」を越えて菊間町長坂字明田に出ると。
桧皮峠 ひわだとうげ 愛媛県東温市河之内。東温市松瀬川(ませがわ)字桧皮-同市河之内。▼旧地図では「檜皮田峠」と記す。
鴇田峠 ひわだのとう 愛媛県上浮穴郡久万高原町久万。上浮穴郡久万高原町久万-同町二名。▼読みは旧地図の「ヒワダノトー」からで、「ひわたのとう」、または「ひわだとうげ」とも。峠名の由来は、弘法大師が大洲からここまでずっと雨の中を歩き、この峠でやっと晴れて「日和りだ」と言ったのが訛って「ひわだ峠」になったとか。また、途中には「だんじり岩」があり、弘法大師がこの峠であまりの空腹と疲労のため、自分の修行の足りなさにこの岩の上で地団駄を踏んだことが由来とか。
封じヶ峠* ふうじがとうげ 愛媛県大洲市河辺町北平。▼坂本龍馬脱藩の道。「封事ヶ峠」とも。
吹ヶ峠 ふきがとう 愛媛県大洲市河辺町北平。喜多郡内子町南山-大洲市河辺町北平。▼「ふきがとうげ」ともある。
藤ヶ峠 ふじがとうげ 愛媛県大洲市豊茂。大洲市上須戒-同市豊茂。
札峠 ふだのとう 愛媛県上浮穴郡久万高原町相の峰。県道341号直瀬渋草線、上浮穴郡久万高原町渋草-同町相の峰。▼読みは旧地図「フダノト-」より。
ほうじが峠 ほうじがとう 愛媛県喜多郡内子町上川。県道211号美川小田線、上浮穴郡久万高原町大川-喜多郡内子町上川。▼現行地図では県道が、西の水が峠の方へ大きく迂回しているが、現状では峠部で繋がっており迂回道は林道となっている。
法華津坂 ほけづざか 愛媛県宇和島市吉田町法花津(ほけづ)。国道56号、宇和島市吉田町法花津-西予市宇和町皆田。▼国道56号旧道部、「ほけつ」の読みも。法花津峠に至る坂道。旧地図にもすでに現行地図の旧道が見えるので古道は不明。
法華津峠 ほけづとう 愛媛県西予市宇和町皆田。▼読みは旧地図より、「ほけつとうげ」とも。現在は国道56号法華津ずい道が代替する。峠部から少し南の法華津峠展望所からの宇和海の眺めは「南予随一の絶景」とも。
星ヶ森峠 ほしがもりとうげ 愛媛県西条市小松町石鎚。横峰寺奥の院にあたり、「星森峠(ほしのもりとうげ)」とも。寺からは石鎚山道、大頭道と呼ばれる道もあった。南面するモエ坂からは頂にあたる。▼「星森峠(ほしのもりとうげ)」とも、参考⇒https://www.i-kahaku.jp/publications/dayori/backnumber/24/wadai/002.html”
仏峠 ほとけとうげ 愛媛県喜多郡内子町石畳。伊予市双海町大久保-喜多郡内子町石畳。
保土野越 ほどのごえ 愛媛県新居浜市別子山。▼西の赤石山系から続き、権現山、エビラ山、二ツ岳の尾根線上に位置する三等三角点名、登山時は黒岳とも。
ホドノ峠 ほどのとうげ 愛媛県西予市野村町惣川。高知県境。▼高知県の梼原町史に「ほどの峠」、「ホドガ峠」とも記され、位置・読みは推定。『神の山-なら山-ほどの峠-惣川(愛媛県西予市野村町)』の行程。▼天保国絵図に「ほとの峠」と記載有、韮が峠と札の峠の間にて、伊予国惣川と土佐国坪田村(現坪野田か)を結ぶ行程がある。
堀切峠 ほりきりとうげ 愛媛県西宇和郡伊方町塩成。国道197号、県道254号三机港線、西宇和郡伊方町三机-同町塩成。▼峠の上に堀切大橋が架かる。現在はコンクリートによって壁面が整備されているが、堀切の名が付く程に深いのが理解できる。
堀切峠 ほりきりとうげ 愛媛県四国中央市金田町半田。旧土佐街道、四国中央市新宮町馬立-四国中央市金田町金川。▼旧地図では「堀切」。現場は緩いカーブこそあるものの長い直線の堀切が残される。峠傍には峰の地蔵尊、土佐北街道お茶屋跡、土佐北街道廻国供養塔などがある。県道5号線堀切トンネルが代替。
前田峠 まえだとうげ 愛媛県西条市中奥。西条市東之川-同市中奥字前田。▼西条からの石鎚参詣、東之川から西条へのルートでもあった。峠には工藤冨造・トソさん夫婦の安全祈願碑(明治30年)が建つ。
松尾峠 まつおとうげ 愛媛県南宇和郡愛南町小山。高知県境、四国のみち、南宇和郡愛南町小山-高知県宿毛市大深浦。▼天保国絵図では「松尾坂」とされ、「傍示杭」、「傍示はえ」の文字も見える。
松尾峠 まつおとうげ 愛媛県宇和島市津島町高田。▼遍路道、旧国道56号松尾隧道の上。現在は新道(松尾峠局改)に松尾トンネルが開削されている。
松之越 まつのこえ 愛媛県西予市野村町予子林(よこはやし)。県道32号野村柳谷線、西予市野村町予子林字奈良野-同字藤之原。▼松之越隧道より。
窓坂 まどさか 愛媛県今治市菊間町田之尻。松山市浅海本谷字小竹-今治市菊間町田之尻。▼旧地図、「DB愛媛の記憶」より、「窓坂峠」とも。今治街道、「殿様道」とも呼ばれたルートの坂道・峠部で遍路道でもある。古い海岸沿いの道は危険なため、再び山へ道をとり「ひろいあげ坂」を越えて菊間町浜方面へと向かう。
窓峠 まどとう 愛媛県宇和島市三間町務田。県道57号広見三間宇和島線、宇和島市三間町務田-迫目。▼「窓峠(まどとうげ)」とも。旧地図の読みは「マドノトー」と記す。▼江戸期は宇和島藩と吉田藩両用の街道の要衝であり、明治以降に吉田街道(十本松峠)が衰退し重要性を増し、現在は県道・予土線も走る主要ルートになっている。「DB愛媛の記憶」より。
間戸峠 まどとうげ 愛媛県伊予郡砥部町川登(かわのぼり)。県道223号中山砥部線、伊予市中山町栗田字天翅(あまつばさ)-伊予郡砥部町万年・川登。
窓峠 まどとうげ 愛媛県西条市丹原町関屋。県道152号寺尾重信線。東温市山之内-西条市丹原町関屋。
窓の峠 まどのとうげ 愛媛県今治市玉川町鈍川。今治市玉川町小鴨部-同町鈍川。
真弓峠 まゆみのとう 愛媛県喜多郡内子町大平。国道380号、上浮穴郡久万高原町父野川-喜多郡内子町大平。▼読みは旧地図より。真弓トンネル上、「まゆみとうげ」とも。トンネル直上の真弓峠北側の峰は眉見城跡(眉見氏)ともされる。
三坂峠 みさかとうげ 愛媛県松山市久谷町。国道440号、上浮穴郡久万高原町東明神字三坂-松山市久谷町。▼国道33号は新道として三坂第一トンネルのルートになった。古くから松山と高知と結ぶ主要陸路、土佐街道と呼ばれる。峠から北に流れるのが「御坂川」で、麓部分が旧温泉郡坂本村と関連地名も見える。▼三坂地名も残るが、日本各地に「ミサカ」の名前が残る峠の一つで、重要な峠地名でもある。
水が峠 みずがとう 愛媛県喜多郡内子町上川。上浮穴郡久万高原町露峰-喜多郡内子町上川。▼「みずがとうげ」とも。
水が峠 みずがとう 愛媛県大洲市蔵川。県道308号蔵川大谷線、大洲市肱川町大谷-同市蔵川。▼読みは旧地図より、「水ヶ峠」とも。
水が峠 みずがとうげ 愛媛県松山市米野町。今治市玉川町龍岡上-松山市米野町。▼国道317号の不通区間だったが、水ヶ峠トンネルが峠の北に開削され開通した。
水が峠 みずがとうげ 愛媛県大洲市河辺町川崎。県道342号池田川崎線、大洲市河辺町川崎-喜多郡内子町山鳥坂。▼坂本龍馬脱藩の道。「水ヶ峠」とも。
水無峠 みずなしとうげ 愛媛県四国中央市新宮町馬立。旧土佐北街道、旧国境へと至る峠道、現笹ヶ峰登山道。▼旧地図より。北から下(お)り付、腹包丁、笠取峠、水無峠、急坂の七曲りを経て笹ヶ峰を西に見つつ現県境を越える。湧水が無いことによる命名らしく、かつての峠の茶屋は下から水を運んだと云う。
水の峠 みずのとう 愛媛県大洲市柳沢。▼読みは旧地図「水峠(ミズノトー)」より。
三ヶ峠 みつがとう 愛媛県大洲市河辺町三嶋。大洲市河辺町三嶋-西予市野村町小松。▼「みつがとうげ」とも。
三ツ森峠 みつもりとうげ 愛媛県新居浜市別子山。高知県境、新居浜市別子山七番-高知県土佐郡大川村小麦畝。
水戸森峠 みともりとう 愛媛県喜多郡内子町五百木(いよぎ)。喜多郡内子町五百木字水戸森-同字富浦。▼読みは旧地図より。今は「みともりとうげ」とも。
峯大越 みねおおこし 愛媛県大洲市柴。▼越地名。
見残 みのこし 愛媛県伊予郡砥部町川登。伊予市中山町栗田-伊予郡砥部町川登字十郎。▼位置・名称は旧地図より、行程は推定含む。地名の由来は、「大洲藩が検地の時、見残したところ」からとされる。▼行程もはっきりとしており、越地名かと思う、見ノ越、簑越の類例として記載。
耳取峠 みみとりとうげ 愛媛県大洲市肱川町中居谷。市道、町道、喜多郡内子町北表-大洲市河辺町山鳥坂・同市肱川町中居谷。▼坂本龍馬脱藩の道。
耳取峠 みみとりとうげ 愛媛県八幡浜市日土町。八幡浜市日土町-大洲市長浜町出海。
三村峠 みむらとうげ 愛媛県今治市上浦町井口。県道21号大三島上浦線、今治市上浦町井口-同市大三島町宮浦。
峰峠 むねんとう 愛媛県大洲市肱川町中津。大洲市河辺町植松-同市肱川町中津。
モエ坂 もえさか 愛媛県西条市小松町石鎚。▼由来はやはり弘法大師。21日間の日参修行をし、急坂を登る帰路、「しんどいのう、この郷のモエ坂よのう」とぼやかれたことによると。「モエ」は、足が燃えそう、体が燃えそうの「燃え」だと。
木綿越 もめんごえ 愛媛県宇和島市三間町宮野下。▼木綿越池より参考記載。旧地図にも同行程が見える。
焼棟峠 やきむねとう 愛媛県西予市城川町遊子谷(ゆすたに)。西予市城川町遊子谷-西予市野村町舟戸。▼読みは旧地図より、「やきむねとうげ」とも。峰峠(むねんとう)と類例か?
薬師峠 やくしとうげ 愛媛県四国中央市金砂町小川山。
夜明峠 よあかしとうげ 愛媛県西条市小松町石鎚。石鎚山系登山道の峠。▼名前の由来は、今宮の八郎兵衛が四手坂の多郎左衛門と夜を徹して登山の折、ここで夜が明けたことから、また夜明けをここで待って頂上に向かったためなどと言われる。
横野峠 よこのとうげ 愛媛県八幡浜市日土町。県道234号大洲保内線、八幡浜市日土町-大洲市平野町平地。
よさこい峠 よさこいとうげ 愛媛県西条市西之川。高知県境、瓶ヶ森林道、西条市西之川丁-高知県吾川郡いの町寺川。
夜昼峠 よるひるとうげ 愛媛県八幡浜市川之内。国道197号、八幡浜市川之内-大洲市平野町野田字夜昼。▼「八幡浜街道夜昼峠越」として国史跡に指定。「昼なお暗い峠」、「未明に麓を出発し,峠で夜が明けた」ほどの難所であったから、大洲と八幡浜の地形がもたらす霧が「寄る引く」等が由来とされるが詳細は不明。▼北にある郷峠と共に目的地由来の峠名だろう。
六部堂越 ろくぶどうごえ 愛媛県上浮穴郡久万高原町上畑野川。上浮穴郡久万高原町上畑野川-同町東明神。▼江戸時代に造立された六十六部塔がその由来とされる。
割石峠 わりいしとうげ 愛媛県上浮穴郡久万高原町笠方。上浮穴郡久万高原町笠方-東温市河之内。▼峠には名前の由来になった割石がある。東温市側から表川の谷沿いに唐岬(からかい)ノ滝を越えて峠に至る。明治に黒森峠を越える黒森街道(国道以前)が開通してその役目を終えた。
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