鹿児島県の峠地名 段・越・坂を含めて

鹿児島県の峠

国土地理院地図を中心に鹿児島県内の○○峠、△△越、××坂等の地名を収集し一覧に。
自然地形地名から伝承・語源・祖型等を探り、地名・方言研究の一助になればと。
九州地方 峠・越地名地図付き♪

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鹿児島県の峠地名一覧

鹿児島県の峠確認用地図:九州地方 峠・越地名地図

【凡例】
※ 地名の読みの*付きは推定・未確認を含む。
※ 行程が地図上にて明瞭でなく集落地名のみと思われるような越・坂地名は一部を除いて記載していない。

峠地名 読み 位置・行程他
秋目峠 あきめとうげ 鹿児島県南さつま市大浦町。県道271号秋目上津貫線、南さつま市坊津町秋目字秋目峠-南さつま市大浦町有木。▼旧地図には秋目の地名しかなく、現在は峠名とともに集落地名もあるのは県道開通以降に起きた地名変化なのかもしれない。
朝戸峠 あさととうげ 鹿児島県奄美市名瀬大字朝戸。国道58号、奄美市名瀬平田町-同市名瀬大字朝戸。旧道の名瀬隧道が代替し、現在は朝戸トンネルが代替した旧道の峠。
阿母峠 あぼんとうげ 鹿児島薩摩川内市樋脇町市比野。県道39号串木野樋脇線、旧薩摩郡樋脇町市比野、庵の宇都山の東南麓。▼旧地図では地名の阿母のみ。この阿母だけでなく庵の「宇都」山、逆瀬山、湯之牟礼山といった山名と宇都、上段前、上段後、上野久平、下野久平、小牟礼(読みは旧地図より=こねびら)、沢牟田、牟礼、祢礼北(ねれきた)等々気になる地名が多い。
網野子峠 あみのことうげ 鹿児島大島郡瀬戸内町大字節子。国道58号網野子トンネルが代替、奄美市-瀬戸内町。旧道峠。
伊作峠 いざくとうげ 鹿児島日置市吹上町与倉。県道22号谷山伊作線、鹿児島市中山町(ちゅうざんちょう)-日置市吹上町与倉(よくら)、伊作バス停が柳ヶ谷の県道22号と291号の丁字路にある。▼旧伊作街道、旧地図の街道沿いにも雪ノ茶屋、上場の茶屋の地名が、またこれ以外にも坂名や石畳も残っているとのことで機会があればルートを追ってみたい。
今藤峠 いまふじとうげ 鹿児島南さつま市坊津町久志。国道226号、南さつま市坊津町久志の池屋敷と平崎の間。旧地図には峠名こそないが並木道であったようで、峠部は三辻となっている。
入来峠 いりきとうげ 鹿児島鹿児島市花尾町。国道328号、薩摩川内市入来町浦之名-鹿児島市花尾町。心霊スポットの話もある。
魚野越* うおのごえ 鹿児島県姶良郡湧水町川西。旧地図より薩摩国、大隅国の旧国境越えの峠道、旧姶良郡吉松村と旧伊佐郡菱刈村の間。現在は県道448号川西菱刈線が代替、旧行程は現姶良郡湧水町川西中野から北西尾根を登る路。
牛根峠 うしねとうげ 鹿児島県鹿屋市輝北町上百引。県道72号垂水大崎線、垂水市二川(ふたがわ)-鹿屋市輝北町上百引(かみもびき)。少し西に行った垂水市牛根麓(うしねふもと)には桜島の噴火による「牛根麓埋没鳥居(稲荷大明神)」がある。
大内山峠 おおうちやまとうげ 鹿児島県肝属郡南大隅町根占山本。国道269号、肝属郡(きもつきぐん)の旧佐多街道の峠道。
大中尾峠* おおなかおとうげ 鹿児島県肝属郡南大隅町。県道74号内之浦佐多線、南大隅町佐多伊座敷-同町佐多辺塚(へつか)、大中尾峠バス停付近。現地図には見えないが、峠西の川北、川南付近が大中尾。
小島峠 おしまとうげ 鹿児島県薩摩川内市上甑町中甑。県道346号山田入来線、小島トンネル上の旧道。旧地図には上甑島の小島と中甑を結ぶ古山道がある。
尾立峠 おだてとうげ 鹿児島県熊毛郡屋久島町。県道592号屋久島公園安房線、荒川分れとも、峠部には荒川バス停有。西に少しで天柱石有。
加世間峠 かしけんとうげ 鹿児島県大島郡龍郷町屋入。加世間は「かせけん」とも言い地元では「ちぢ」、また屋入(やにゅう)峠とも。
亀割峠 かめわりとうげ 鹿児島県霧島市国分敷根。国道220号、旧佐多街道、霧島市福山町福山-同市国分敷根。峠付近に亀割峠バス停有。また東に長尾城跡、北約2km程に上野原遺跡。
川辺峠 かわなべとうげ 鹿児島県鹿児島市平川町。国道225号川辺トンネルの旧道峠部。旧谷山町から峠を越えて枕崎へと至る古くからの街道だったという。▼旧地図には堀切峠とあり、鹿児島市側には中ノ茶屋(現地図は中茶屋)も残る。周辺の街道誌もあるので調査したい。
喜次ノ殿越 きじのどんごえ 鹿児島県薩摩郡さつま町永野。薩摩郡さつま町永野段と同町中津川白猿を結んだ古山道、旧国境付近。旧地図には喜次殿(キジドン)越と記される。▼甑島でも使われる段だけでなく、岡のつく山名も多いため注意したい。▼現状からは人名由来の峠名であるが、段⇒殿への転訛があるのなら少し変わってくる。
久七峠 くしきとうげ

鹿児島県伊佐市大口木ノ氏。熊本県境極手前、国道267号久七トンネルが代替、人吉市西大塚町-伊佐市大口木ノ氏。峠部および県境部に石標柱有。葦書房刊「九州の峠」(1996年初版発行)によれば、「久七」とは水俣の久木野地区からこの峠に移り住んだ、変わり者かつ悪戯好きの爺さんの名前からで、肥後と薩摩の旧国境が峠部分から北東側なのもこの爺さんが境界線を勝手にずらしてしまったからとか。▼ネット上では「きゅうしちとうげ」の読みが多い、旧地図にはフリガナは無いが久七垰と記される。また地元では「くしち」と呼ぶとの話もあり、読みに揺れが見られる。▼天保国絵図の薩摩国と肥後国には、鹿児島県伊佐市大口目丸(めまる)から同青木を通って国見山の西側(旧地図には青木から尾根を登る坂に野坂と記される行程)で国境を越え、熊本県人吉市の薩摩瀬に至る小径が記されている、青木からを考えると久七峠は使っていない。おそらくだが、久七峠はこの小径の間道であり、元々は「くしち」や「くしき」だったので地理院側にも記録が残っているのだが、旧国道が開通した際に通行が増えて、通行する人々によって分かりやすい「きゅうしち」として広まったのではと。

霧桜峠 きりざくらとうげ 鹿児島県霧島市福山町佳例川。県道491号大川原小村線、曽於市財部町(たからべちょう)北俣-霧島市福山町佳例川(かれいがわ)。▼峠下を貫通する池之段隧道は1970年(昭和45年)竣工、県道491号の開通もこの前後か。旧地図による峠越えの行程は、北側尾根から現市境に沿って丁字路をなしており小径が池之段集落に下ることから、現在の峠下の行程とは異なる。霧桜の由来はよくわからないが、トンネル名でもある集落地名の池之段が峠の古名ではないかと考える。
亀嶺峠 きれいとうげ 鹿児島県伊佐市大口小川内。熊本県境、旧薩摩街道大口筋(亀嶺峠から、大口、栗野、溝辺、加治木までの街道)、下ってすぐ薩摩三大関所の一つとされる「小川内関所跡」(他に野間関、去川関)がある。▼山名峠であり古道から少し登る。
越路峠 こえじとうげ 鹿児島県志布志市志布志町田之浦。県道110号塗木大隅線、志布志市志布志町田之浦-同町内之倉。
木床峠 こどことうげ 鹿児島県鹿児島市平川町。県道17号指宿スカイライン下、南九州市知覧町郡木床-鹿児島市平川町。東に烏帽子岳神社。
笹原峠 ささばいとうげ 鹿児島県肝属郡錦江町田代麓。県道68号鹿屋吾平佐多線。肝属郡錦江町馬場笹原(ささばい)からの道との合流付近か詳細は地図からは見えない。▼周囲には原(バイ)地名や岡、宇都地名が残るので要確認区域。
三太郎峠 さんたろうとうげ 鹿児島県奄美市住用町大字神屋。国道58号三太郎トンネルが代替、奄美市住用町大字見里(みざと)-同町大字神屋、旧道の峠。
地頭峠* じぞうとうげ 鹿児島県大島郡瀬戸内町大字古仁屋。国道58号地頭トンネルが代替、旧道の峠。▼読みには注意したい。トウの漢字は使われているが微妙だろう。ド=ゾは大分にあるが鹿児島にもあるのだろうか?
潮見峠 しぢみとうげ 鹿児島県鹿児島郡十島村大字口之島。十島村口之島の西之浜と前之浜の間の古道峠。
紫尾峠 しびとうげ 鹿児島県出水市武本。県道394号鶴田定ノ段線、薩摩郡さつま町紫尾(しび)-出水市武本定ノ段、国道394号紫尾トンネル上、西に紫尾山(上宮山)。峠部には宮之城街道分岐点…と書かれた石標柱有。▼wiki等によれば、継体天皇の時代に空覚という僧侶が夢のお告げを得て山に登った際に、山頂から麓へ向かって紫の雲がたなびく様子を見て名付けた、また秦の使者除福が皇帝に命ぜられ不死の薬を探すためにここを訪れた際、紫の紐を献じたことから名付けられたなどが由来として知られている。
白銀坂 しろがねざか 鹿児島県姶良市脇元。姶良市脇元-鹿児島市宮之浦町、薩摩国と大隅国の旧国境。海岸線を避けた古山道、石畳も残り現在は遊歩道整備もされている。
新田峠 しんでんとうげ 鹿児島県肝属郡錦江町田代麓。国道448号新田トンネル旧道、田代麓の八ノ尾と新田の間。
杉ノ峰* すぎのみね 鹿児島県薩摩川内市百次町。現地図からは地名のように見えるが、旧地図では山名に見える。また旧地図の古道は旧薩摩郡樋脇村上手(現薩摩川内市樋脇町市比野(いちひの)上野久平)から杉ノ峰を越え旧薩摩郡永利村浦田(現薩摩川内市百次町(ももつぎちょう)浦田)への道が見える。▼江戸期に峰や山が国境、峠を示す例があるので、古道があり位置も裏付けるために中近世地名の参考としてあげておく。
スマン峠 すまんとうげ 鹿児島県垂水市新御堂。高隈山の尾根上、垂水市と鹿屋市の境。▼広報かのや(2017年2月号)によると、大箆柄岳の「箆」は「スズタケ」の意味で、地元では「柄(ガラ)」とも呼び、一帯がスズタケに覆われていたことに由来しています。古くからの霊山で修験道の本山として山伏たちの修行がなされていました。また、妻岳は昔、「スマン岳(須摩岳 すまだけ)」と呼ばれていました。「スマン」の語源は角・隅で、その麓がスマン峠です。▼旧地図を見ても西側海岸付近の中俣(ナカンマタ)、浦谷(ウランタン)の読みがあるのも参考になる。
高峠 たかとうげ 鹿児島県垂水市海潟。山名の峠地名、垂水市海潟(たるみずしかいがた)、南には高峠高原が広がる。▼旧地図ではタカトキと読まれている。▼峠の成立は複雑と言えるかも、例えば田尾・多尾・越・背・瀬は鞍部を指し、峠・頭・塔などは頂上部もしくは登る頂上を意味していたのかもしれない。
高峠 たかとうげ 鹿児島県志布志市松山町新橋。峠地名。有明町伊崎田-松山町新橋。旧地図に地名は見えないが道路及び切通しが見られる。ただ詳細は不明。
長雲峠 ちょううんとうげ 鹿児島県大島郡龍郷町久場。現在は新道が旧道の一部区間を上書きしている。旧地図による旧道は大島郡龍郷町龍郷(たつごう)の中心部から峠の西尾根を下り大島郡龍郷町嘉渡(かど)と幾里(いくさと)へと分岐する。
辻峠 つじとうげ 鹿児島県熊毛郡屋久島町。旧地図には峠名こそないが、熊毛郡上屋久町楠川から城之川沿いに峠を越えて三代杉に至る古山道が見える。
辻の堂* つじのどう 鹿児島県薩摩川内市上甑町中野。県道348号桑之浦里港線、上甑町里町里-同町中野。南からの合流点付近に石碑有。▼旧地図に峠名は見えないが神社記号有。要資料確認だがトウ系の残峠地名かもしれない、同島の牧の辻段、遠見の段等と共に考察したい。
手蓑峠 てみのとうげ 鹿児島県南九州市知覧町郡。県道23号谷山知覧線、鹿児島市喜入瀬々串町-南九州市知覧町郡。▼旧地図には峠名が見えず、知覧側から新規開拓の道路は現鹿児島側では進んでいない。古山道は現県道からは東、現知覧IC付近に降りてくる。これも新規道路による峠名移動の上書きだろう。
とうげ 鹿児島県薩摩郡さつま町紫尾。▼峠地名、紫尾峠から南東。
とうげ 鹿児島県鹿児島市花尾町。▼峠地名、入来峠のすぐ南。旧地図の入来峠すぐそばに土瀬戸(ツセド)の地名も見える。
遠見の段* とおみのだん 鹿児島県薩摩川内市里町里。遠見山の南麓、市山の峠とも。上甑島の市の浦から里町里への古山道。▼遠見の段と直接的な関連は見えてこないが峠部には「七人合頭(しちりがっとう)」、「八人合頭(はちりがっとう)」と呼ばれる自然石の墓標がある。案内板等によると、この伝承は承久の乱の際に活躍した小川季能が戦後の恩賞として肥後国益城郡のうちと薩摩国甑島を賜り、その庶子であった小川小次郎季直が入島。この時期は明確ではないが先住島民との間で合戦沙汰となった際の戦死者(敵味方の)七人、八人を弔ったと言う。▼トウ系峠名を考える上で貴重な伝承である。
新留峠 にいどめとうげ 鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名。薩摩国と大隅国の旧国境、姶良市蒲生町白男(しらお)-薩摩川内市入来町浦之名、現在は南側に新留トンネルが開削済。
荷辛路峠 にがらじとうげ 鹿児島県指宿市開聞仙田。「荷辛地峠」や「にからじとうげ」と表記も読みも揺れる。旧地図では「荷辛峠」と記される。瀬平渡りと呼ばれる海岸沿いの道(現国道226号)もあった。▼開聞岳から北西には砂浜が続いているが、南九州市頴娃町郡(こおり)の鬼口と長崎の間は「瀬平渡り」と呼ばれ、海に突き出た岩の間を波しぶきを浴びながら跳んで渡らねばならず、老人、女子、子供は一人では通れない難所だった。ここに瀬道が開かれたのは元文3年(1738年)頃の事という。
野坂 のさか 鹿児島県伊佐市大口青木。▼旧地図より、北の久七峠参考。江戸期はこちらが主道であったようようだ。
般若寺越* はんにゃじごえ 鹿児島県姶良郡湧水町般若寺。▼旧地図、旧国絵図にも記載。薩摩国、大隅国、日向国を繋ぐ旧国境越えの峠道、旧姶良郡吉松村と旧伊佐郡菱刈村の間。指定位置は旧地図より、当時の行程は現地図より北側を辿っている。また日向国からも直接峠部分に出る行程もあったようだ。
堀切峠 ほりきりとうげ 鹿児島県出水市高尾野町柴引。国道504号、薩摩郡さつま町泊野(とまりの)-出水市高尾野町柴引(しばひき)、旧地図には堀切と記される。その名の通り峠部は堀切(切通)である。すぐ東に四辻の脇に大石が安置されているが詳細は不明。
本茶峠 ほんちゃとうげ 鹿児島県奄美市名瀬大字浦上。国道58号本茶トンネルが代替する旧道峠、大島郡龍郷町大勝(おおがち)-奄美市名瀬大字浦上。▼旧地図には大勝峠と記される。
牧の辻段* まきのつじだん 鹿児島県薩摩川内市里町里。上甑島の里町里(さとちょうさと)と馬込浦の古山道峠部にあたる。▼旧地図では三辻で西の江石方面へと繋がる。
峯尾峠 みねおとうげ 鹿児島県枕崎市東鹿篭。国道225号、南九州市川辺町上山田-枕崎市東鹿篭(ひがしかご)。峠部分は堀切だが、両壁はかなり切り立っており往時の苦労が偲ばれる。
美濃峠 みのうとうげ 鹿児島県肝属郡肝付町南方。国道448号、肝属郡肝付町南方(みなみかた)の内之浦宇宙空間観測所付近。旧地図に名称記載がないのは少し残念か。
耳取峠 みみとりとうげ 鹿児島県南さつま市坊津町坊。国道226号、番屋山の南にある緩やかな峠。
耳取峠 みみとりとうげ 鹿児島県曽於市財部町北俣。旧地図にも記された古山道の峠、財部町(たからべちょう)北俣の浦興禅寺と大峯の間。現在は砕石場により採掘が進み、町道も寸断されているようだ。
目倉越 めくらごえ 鹿児島県姶良郡湧水町川西。▼旧地図より薩摩国、大隅国の旧国境越えの峠道、旧姶良郡吉松村と旧伊佐郡菱刈村の間。ほぼ旧行程が現地図でも示されている。▼鹿児島県には越系の峠名は少ないが宮崎県には多い。旧日向国境付近ということもありその影響もあったのだろうか。
矢筈峠 やはずとうげ 鹿児島県出水市上鯖渕。熊本県境、県道117号水俣出水線、熊本県水俣市湯出(ゆで)-出水市上鯖渕(かみさばぶち)。▼旧地図では堀切は見えるが、峠名は見えない。ここの堀切も道の狭さも手伝ってか見応えがある。
山田峠 やまだとうげ 鹿児島県薩摩川内市永利町。県道333号川内祁答院線、川内市永利町-同市樋脇町塔之原。旧地図には樋脇峠と記されている。
横座峠 よこざとうげ 鹿児島県阿久根市鶴川内。薩摩川内市城上町(じょうかみちょう)-阿久根市鶴川内、県道44号横座トンネル上。▼旧地図には古道に横座峠と記される。薩摩川内市城上町の下ノ段から峠部分で幾つかの分岐があり阿久根市鶴川内米次へとその古道は見える。現在は一部区間が林道となり舗装もされている。
和瀬峠 わせとうげ 鹿児島県奄美市名瀬大字朝戸。国道58号和瀬トンネルが代替、旧道には和瀬隧道、奄美市住用町大字和瀬(わせ)-同市名瀬大字朝戸(あさと)。峠部分は隧道部のさらに旧道となる。▼旧地図ではスタル峠と記される、また三太郎峠から市道スタル俣線もある。この「スタル」は奄美の言葉と思われるが不明。
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