高知県の峠、越、坂の地名

高知県の峠地名

国土地理院地図を中心に高知県内の○○峠、△△越、××坂等の地名を収集し一覧に。
自然地形地名から伝承・語源・祖型等を探り、地名・方言研究の一助になればと。
※2023年10月28日、追加・修正済。

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高知県の峠地名

高知県の峠確認用地図:四国地方 峠・越地名地図

【凡例】
※ 地名の読みの*付きは推定・未確認を含む。
※ 行程が地図上にて明瞭でなく集落地名のみと思われるような越・坂地名は一部を除いて記載していない。

峠地名 読み 位置・行程他
赤荒峠 あかあれとうげ 高知県長岡郡本山町吉延。県道267号上穴内本山線、長岡郡本山町吉延-香美市土佐山田町上穴内。▼旧地図及び調査報告書等では赤荒越が一般的。上穴内側に赤荒谷(橋名に残る)があり由来はこれか。
赤土峠 あかつちとうげ 高知県高岡郡佐川町丙。国道33号赤土トンネル、高岡郡佐川町丙-同郡越知町越知。▼トンネル上の旧道峠、赤土峠脱藩志士集合の地としての石碑や祠がある。
赤良木峠 あからぎとうげ 高知県高知市土佐山高川。県道16号高知本山線赤良木隧道、土佐郡土佐町地蔵寺-高知市土佐山高川。▼旧仁淀村三方山付近にあった「アカラギ峠」と同名な上、近くにある三辻山と三方山も似たような名称なのが気になるところ。現時点で此處の由来は不詳。▼アカラギはヒメシャラノの木の事、美しい老樹林があるアカラギの峠(とう)とも記される、「土佐山民俗誌」より。
上の峠 あげのとう 高知県高岡郡越知町越知字上の峠。▼峠地名、現行地図東南東に道と鞍部があり此処が由来か。南の安徳天皇御陵参考地のある横倉山、西の字大屋敷(旧地図)等へと至る。
薊野坂 あぞうのざか 高知県高知市薊野。高知市薊野-同市重倉。▼旧地図より、小坂峠の東側のルートであり西ノ峯山の南尾根に沿って峠部へと登る道筋。取り付きにあたる薊野北町には赤坂(旧地図)の地名も。
浅尾峠 あそおとうげ 高知県高岡郡越知町宮地。高岡郡越知町浅尾-柴尾。▼「越知町史」に名前が残る、位置は旧地図古道よりの推定。
網川越 あみがわごえ 高知県高知市三谷。高知市円行寺-高知市土佐山都網。▼旧地図からは高知市側から幾つかのルートが見えるが、宇津野から一の谷沿いに峠部を目指すルートの古道は意外に残りもよく道端に多くの石仏が祀られている。
荒倉峠 あらくらとうげ 高知県高知市朝倉己。国道56号荒倉トンネル、高知市針木南-同市春野町弘岡中。▼「鶉坂」とも、旧地図にも見える名で、峠南側伊予川・飛石からの登りに記されている。▼江戸時代、宇佐の港にあがったカツオを無塩のままで新居坂、仁淀川の十文字の渡し、そして荒倉峠を越え城下の雑喉場(ざこば)に運ぶ「宇佐の夜売り」が流行、「砂付きのカツオ」とも。宇佐で一匹50匁のカツオが、城下では70匁で売れたとか。四里の距離を一刻程で駆け抜けたという、「土佐の峠風土記」他より。
池ノ峠 いけのとう 高知県吾川郡仁淀川町別枝字池ノ峠。▼地名だが、別枝から県境を越える旧道が見え、愛媛県上浮穴郡久万高原町中津の休場へつながることから古道峠関連の地名だろう。
石神峠 いしがみとう 高知県吾川郡仁淀川町大植。吾川郡仁淀川町別枝-同町泉。
石神峠 いしがみとうげ 高知県高岡郡檮原町東川。高岡郡檮原町東川-同町田野々。
伊豆田峠 いずたとうげ 高知県土佐清水市下ノ加江。国道321号伊豆田トンネル上旧道、四万十市津蔵渕(つくらぶち)-土佐清水市下ノ加江。▼旧地図より。旧幡多郡伊豆田村(下ノ加江)からだろう。
一ノ谷越 いちのたにごえ 高知県吾川郡いの町桑瀬。愛媛県境、吾川郡いの町桑瀬-愛媛県新居浜市別子山七番。
猪伏越 いのぶせごえ 高知県吾川郡仁淀川町別枝。愛媛県境、吾川郡仁淀川町別枝(べっし)生芋(せいそう)-愛媛県上浮穴郡久万高原町柳井川。
妹背峠 いもせとうげ 高知県高岡郡日高村大花。高岡郡日高村本郷字妹背-高岡郡日高村本村船越。▼峠には改修記念碑。
岩佐 いわさ 高知県室戸市吉良川町。安芸郡北川村大字弘瀬-室戸市佐喜浜町。▼野根山街道沿いの峠部にある集落名、旧地図にも地名、建物が描かれている。「岩佐峠」ともあるが、これは「土佐の峠風土記」の筆者が便宜的につけた模様。番所跡などが残る。
宇津野越 うつのごえ 高知県高知市孕西町。高知市横浜-同市孕西町。▼旧地図より、「宇津野峠」とも。西に宇津野山。
馬路峠* うまじとうげ 高知県幡多郡大月町大字弘見。国道321号。▼馬路峠バス停有。
瓜生野越 うりゅうのごえ 高知県吾川郡仁淀川町用居。愛媛県境、県道494号、境野隧道、吾川郡仁淀川町用居(もちい)字瓜生野-愛媛県上浮穴郡久万高原町東川。▼「境野峠」とも。▼名称位置は「池川町誌」より。周辺の折尾、ミヨウセン屋敷、ヲヲカゲ、ナガノヂ、三光ノ辻山など、気になる地名が多い。
海老ヶ峠 えびがとうげ 高知県室戸市吉良川町。室戸市吉良川町乙-同市羽根町甲。
追い剥ぎ峠 おいはげとうげ 高知県香美市物部町庄谷相(しょうだにあい)。▼「塩の道マップ」より、位置は推定。
逢坂峠 おうさかとうげ 高知県高知市一宮。県道384号北本町領石線、南国市岡豊町蒲原-高知市一宮。▼逢坂峠バス停有。旧地図では「大坂峠」。旧一宮村、旧岡豊村、旧布師田村の三村界でもある。
大峠* おおうね 高知県高岡郡越知町鎌井田桑藪(くやぶ)。高岡郡越知町鎌井田桑藪-吾川郡いの町下八川十田(とうだ)。▼旧地図より、小字名では確認できなかった。西の桐ノ峠(きりのとう)と同様に「おおとう」かと思うのだが「ウネ」と記されているように見える…。尾根に沿い南に三角点があり、その名前が布巻畝であるので、オオウネと読んだのかもしれない。
大茅峠 おおがやとうげ 高知県高岡郡檮原町文丸(ぶんまる)。愛媛県境、県道2号城川檮原線、高岡郡檮原町文丸-愛媛県西予市城川町窪野字大茅。
大越峠 おおごえとうげ 高知県高岡郡檮原町広野。高岡郡檮原町川西路(かわにしじ)-広野。▼現在は維新トンネルが代替。直ぐ西には藤の越(トンネル)があり、川西路の地名と共に梼原町中心部からの古道が想定できる。
大峠 おおたう 高知県長岡郡本山町瓜生野。土佐郡土佐町下川-長岡郡本山町瓜生野・七戸(ななと)。▼旧地図には「オホタヲ」の読み。
大峠 おおたお 高知県四万十市西土佐黒尊。愛媛県境、大峠林道大峠隧道、四万十市西土佐黒尊-愛媛県宇和島市津島町御内。▼旧地図より、読みは「オホタヲ」。
大田尾越 おおたおごえ 高知県土佐郡大川村大北川。愛媛県境、県道6号高知伊予三島線、土佐郡大川村大北川-愛媛県新居浜市別子山登美野。
大タヲ山 おおたおやま 高知県高岡郡越知町佐之国。▼タオ地名の為記載、鞍部を指定、詳細場所等は不明。北の聖神社には投入堂がある。
大峠 おおとう 高知県土佐郡土佐町地蔵寺。県道16号高知本山線、土佐郡土佐町地蔵寺-同町樫山。▼すぐ東にある立割も気になる地名。
大峠 おおとう 高知県高岡郡越知町桐見川字大峠。県道18号伊野仁淀線、吾川郡仁淀川町長者-高岡郡越知町桐見川。▼「大峠坂」とも。
大峠 おおとう 高知県吾川郡仁淀川町大平。国道439号、吾川郡いの町小川柳野-同郡仁淀川町大平。▼「大峠越」とも。峠部南に旧道の大峠トンネル、現道の新大峠トンネルがある。▼この峠が重要となったのは藩政期以降。旧池川町内の大平・楮原(かじはら)地区は峠を越えた現いの町小川柳野地区との婚姻関係も多く、明治から昭和初期にかけては夜這いの要路でもあった。また松山方面への間道的な要素もあったため、間者や志士の往来も伝えられておりそれを示す祠(若宮八幡宮と号す)の由来書きも残されている。「池川町誌」より。この話は六部殺し系の伝承にも似ているので注意しておきたい。
大峠* おおとう 高知県長岡郡大豊町穴内。▼旧地図より。現小字名では読みが見えず、『長宗我部地検帳長岡郡下 23本山郷地検帳之事(天正十七年四月十日) 660頁』の穴内名に、「大トウ」と「大トウヤシキ」のホノギが見えるので恐らくは「オホトウ」の読みで良いと思う。現行小字名に「ヲゝ畝子(オオウネ)」が見え場所は不明だがもし同じなら、峠の呼び方が「トウ」から「ウネ」に変わった可能性も見えてくる、今後に期待♪
大峠 おおどう 高知県土佐市高岡町丁字大峠。▼峠地名で読みは「オードー」と、旧地図より。
大峠* おおとうげ 高知県土佐清水市浦尻。土佐清水市窪津-同市浦尻。▼旧地図より。窪津から小峠、大峠を経て浦尻へ至る旧道で、峠部両側の谷筋に沿って道が開かれている。おおたお、おおとうかもしれないが読みは不明。
大引割峠 おおひきわりとうげ 高知県高岡郡津野町芳生野。吾川郡仁淀川町別枝-高岡郡津野町芳生野丙。▼峠の西約160mの地点に大きな亀裂が二本ある。南のものが大引割、北のものが小引割で、国指定天然記念物。
興津峠 おきつとうげ 高知県高岡郡四万十町興津。県道52号興津窪川線、高岡郡四万十町与津地-興津。
奥大野越 おくおおのごえ 高知県吾川郡いの町寺川。吾川郡いの町寺川-小川樅ノ木山。
おそ越 おそこえ 高知県四万十市西土佐江川。愛媛県境、四万十市西土佐江川-愛媛県北宇和郡松野町奥野川。
小舟峠 おぶねとうげ 高知県高岡郡越知町越知。県道298号、高岡郡越知町越知女川-同郡佐川町庄田。▼越知町史」に名前が残る、位置は推定、読みは小字名から。峠部には小舟太子堂。
鉤ノ坂* かぎのさか 高知県室戸市吉良川町。室戸市吉良川町字釣ノ口-同字日南。▼旧地図より、釣ノ口も「鉤ノ口」と記される、変更読み等詳細不明。
風早峠* かざはやとうげ 高知県高岡郡檮原町神在居(かんざいこ)。▼「風早の峠」とも。津野山一揆の指導者であった中平善之進隠敦(1709-1757)は宝暦7年に風早の峠で打首の刑に処せられ、義人としてその碑が建立されている。高知や津野で暴風となったのは善之進の祟りとも言われた。▼坂本龍馬脱藩の道でもあり国道197号は、土佐勤王の志士脱藩の道として「日本の道百選」、また梼原街道も「歴史国道」に選定されている。
梶尾杉 かじおすぎ 高知県安芸郡東洋町大字野根。▼現行、旧地図共に東洋町大字野根字名留川から北川村大字菅ノ上字尾河(おごう)への道が見える。杉や松が峠の意味を代替することもあるため参考記載。
樫ヶ峠* かしがとう 高知県吾川郡いの町中追。吾川郡いの町上八川下分-中追。▼現行地図には樫に「とう」の読みがふられており、「とうがとうげ」もしくは「とうがとう」の可能性もあるが詳細は不明。
樫の峠越え* かしのとうごえ 高知県高岡郡越知町桐見川。高岡郡越知町桐見川字田代-吾川郡仁淀川町長者字木半夏(させぶ)。▼「越知町史」に名前が残る、位置は旧地図古道よりの推定。桐見川の小字に「カシガトウ」と「カシガトヲ」の二つがあり迷ったが一応町史の名称のまま記載。峠は一応「トウ」と読んでおく。▼木半夏(させぶ)は「しゃせぶ」とも。
樫山峠 かしやまとうげ 高知県高知市土佐山高川。土佐郡土佐町樫山-高知市土佐山高川。▼嶺北と高知市街とを結ぶ里道的峠。中ノ川越よりも早く開かれた。戦国時代、嶺北の豪族本山氏が樫山峠を越えたとも。現在は県道16号高知本山線が赤良木隧道、大峠と大きく西に迂回する道で土佐町樫山へと繋がる。
片坂 かたさか 高知県幡多郡黒潮町市野瀬。高岡郡四万十町峰ノ上-幡多郡黒潮町市野瀬。▼旧地図より。国道56号の旧道部。
蟹越 がにごえ 高知県吾川郡いの町中追。吾川郡いの町中追-高知市鏡梅ノ木。▼地名研究家・徳弘勝氏はカニ越えは、カニ歩きを強いられる急坂だからこの名前がついたのではないかと。▼「むかし、たくさんのカニが列をなして坂を登り始め、峠を越えて行った。その直後に大地震が起き、大津波が浦々を襲った」という話や、峠東の「夜泣き岩」には山中での出産とオオカミによって喰い殺された話が伝わる。「土佐の峠風土記」より。
蟹越 がにごえ 高知県南国市亀岩。南国市八京字上八京-南国市亀岩。▼旧地図より。
蟹越 がにごえ 高知県高知市土佐山菖蒲。県道33号南国伊野線、南国市上倉-高知市土佐山菖蒲。▼蟹越から上倉を抜け穴内川源流部の中ノ川へ至る道は学生時代にもよく使った。
カブリ石峠 かぶりいしとうげ 高知県香南市香我美町上分。県道221号奥西川岸本線、香南市香我美町上分字安尾(やそ)-山川。▼工事時期は不明だが、峠部の堀切両壁は見事な岩肌と取り付く木々の根が見事。▼類例にカブリ山(島根県那賀郡旭町大字都川字弥居谷)もある。▼カンムリ(冠山等)、カムロ(禿)、カブト、カムイロキ(アイヌ語)、ズキン(頭巾)、烏帽子等々との関係が窺えるが現時点では不明。
亀ヶ峠 かめがとう 高知県香美市物部町黒代。▼峠地名。読みは旧地図より。
加羅立ヶ峠 からたちがとうげ* 高知県高岡郡越知町桐見川。仁淀川町大平-高岡郡越知町桐見川。
河原越 かわらごえ 高知県高岡郡四万十町仁井田。県道324号河原越隧道、高岡郡四万十町七里(ななさと)-同町仁井田。
神根越* かんねごえ 高知県高岡郡檮原町仲洞(なかとう)。▼梼原街道、津野町野越から梼原町神在居(かんざいこ)に至る。バス停名にその名が残り、国道197号神根越トンネルが下を走る。直ぐ西の風早トンネルだが、風早は峠名にも点々とある名の為怪しいと思ったら峠名もあった。
記念坂 きねんざか 高知県香南市香我美町別役。県道221号奥西川岸本線、香南市香我美町別役-同町奥西川乙。
京柱峠 きょうばしらとうげ 高知県長岡郡大豊町西峯。徳島県境、国道439号、長岡郡大豊町西峯-徳島県三好市東祖谷樫尾。▼弘法大師が阿波から土佐へ向かった時、麓の祖谷の村よりあまりにも遠く、この峠を越えるのは京に上るほどだということからこの峠名がついたと。
清坂 きよさか 高知県須崎市下分甲。須崎市多ノ郷甲字キエキ-同市下分甲字坂ノ川。▼トンネル名より。
桐ノ峠 きりのとう 高知県高岡郡越知町鎌井田桑藪。▼峠地名、旧地図では桐峠(キリノトー)と記す。
霧生関 きりゅうぜき 国道33号旧道、現霧生関トンネル、高岡郡佐川町甲。▼「切塞(きりふさぎ)」、「久兵衛坂」とも。古くから佐川町から高知方面を繋ぐ道、時に防塞としたことから切塞(きりふさぎ)と呼び、それが訛って霧生関と呼ばれるようになったと、「土佐の峠風土記」より。大分県玖珠町大字岩室の「ハゲの台」にも切塞という地名があり、藩内の罪人などを退去させると偽ってこの地で切り殺したと伝わる、「九州の峠」より。
草木越 くさきごえ 高知県宿毛市大深浦。愛媛県境、宿毛市大深浦-宿毛市草木薮・愛媛県南宇和郡愛南町小山。
九十九曲峠 くじゅうくまがりとうげ 高知県高岡郡檮原町宮野々。愛媛県境、高岡郡檮原町宮野々-愛媛県西予市城川町川津南字大麦。▼旧地図には杖立の名も見える。▼天保国絵図に宮野々-川津南の行程があり、「大麦坂」と記されている。
楠峠 くすのきとうげ 高知県吾川郡仁淀川町寺村。吾川郡仁淀川町蕨谷-同町町寺村。
クチキ峠 くちきとうげ 高知県高岡郡津野町三間川。高岡郡佐川町川ノ内組-同郡津野町三間川。▼津野山郷(梼原村、東津野村)や半山(葉山町)から佐川を経て高知へ至る往来の峠。峠には馬頭観音の祠がある。
朽木峠 くちのとう 高知県高岡郡越知町横畠北。▼旧松山街道黒森越は黒森山頂を西側に迂回する行程であったようで、山頂から南に延びる尾根鞍部が朽木峠と。トラバースしつつ北へ向かうと鈴ヶ峠(すずがとう)に至る。
国見越 くにみごえ 高知県香美市土佐山田町樫谷。長岡郡本山町吉延-香美市土佐山田町上穴内。▼「国見峠」とも、野根山街道の後に整備された参勤交代北山道の峠。穴内には口番所が、本山には本陣が置かれており、峠北側には「殿様道」と呼ばれる往時の道が残る。
クボノ越 くぼのごえ 高知県高岡郡檮原町松谷(まつだに)。愛媛県境、高岡郡檮原町松谷-愛媛県西予市城川町窪野。▼梼原町史より、位置・行程は推定。松谷からの行程は「いさご峠」と「ひるぞう谷」の二つで、旧地図には二本の行程が見えるのでその北側を指定している。上成(うわなろ)-正井野から「いさご峠」を経る行程もあるようで「いさご峠」の位置は不明。
熊越 くまごえ 高知県四万十市九樹(くじゅう)。四万十市九樹-幡多郡三原村大字宮ノ川。▼旧地図には「熊坂」とある。
熊笹峠 くまざさとうげ 高知県室戸市羽根町。四国の道。▼野根山街道、現行地図で装束峠の場所にあたると。
黒崎越 くろさきごえ 高知県高知市池。県道376号大畑山トンネル、高知市五台山-同市池。▼旧地図より。
黒滝峠 くろたきとうげ 高知県吾川郡仁淀川町用居。愛媛県境、吾川郡仁淀川町用居乙-愛媛県上浮穴郡久万高原町黒藤川。▼通称「雑誌越え予州高山通り」とも。予土国境越えの重要な峠として、北の境野峠(瓜生野越)とともに利用されたと。「土佐の峠風土記」にも記載。
黒森越 くろもりごえ 高知県吾川郡仁淀川町峯岩戸。高岡郡越知町今成-吾川郡仁淀川町見ノ越・日浦。▼旧松山街道、「鈴ヶ峠越」とも。越知町大字今成からは堂ノ岡-焼坂-薬師堂-朽木峠(くちのきとうげ)-鈴ヶ峠(すずがとう)-見ノ越・日浦へと至る。「越知町史」他より。地名等より大凡の行程を旧地図から推定。
桑瀬峠 くわぜとうげ 高知県吾川郡いの町桑瀬。国道194号寒風山トンネル、吾川郡いの町桑瀬-愛媛県西条市藤之石。▼南西にあるシラサ峠とともに土佐と伊予西条を結ぶ古くからの峠道。藩政期には桑瀬に境番所があった。現在は伊予富士と笹ヶ峰の登山道でもある。▼天保国絵図にも桑瀬から西条方面への行程が見え、愛媛県側の川来須にて寺川からの道と合流する。寺川からの道は、自念子ノ頭の東側鞍部を越えて川来須に至る道が旧地図に記されており、おそらくこの道だろうと思うが特段名称はない。桑瀬峠は天保期は土佐国では「サブカゼ」と呼ばれており、伊予国では「桑瀬峰」であったことも記されている。
化粧坂 けしょうざか 高知県高岡郡檮原町梼原。▼国道197号に化粧坂トンネル、化粧坂バス停がある。茶堂や六志士の墓所もあり、梼原街道も「歴史国道」に選定されている。梼原市街地の入り口にあたった。
源太坂 げんたざか 高知県香美市物部町庄谷相。▼「塩の道マップ」より、位置は推定。
郷ノ峰峠 ごうのみねとうげ 高知県吾川郡いの町上八川上分。国道439号郷ノ峰トンネル、県道6号伊予三島線、吾川郡いの町上八川上分-土佐郡土佐町東石原。▼峠部の切通は石垣が残る。
光明峠 こうみょうとうげ 高知県土佐市積善寺。土佐市積善寺字光明-同市谷地。
小坂峠 こさかとうげ 高知県高知市重倉。県道16号高知本山線、高知市薊野-重倉。▼小坂峠バス停有。北秦泉寺からの登坂道は正連寺の峠道として走り屋さんが出没、高知市街地を眺める夜景でも有名♪逢坂峠と名称の関連があるのかは不明。
小峠* ことうげ 高知県土佐清水市浦尻。土佐清水市窪津-同市浦尻。▼旧地図より。窪津から小峠、大峠を経て浦尻へ至る旧道。読みは不明。
駒背越 こませごえ 高知県安芸市別役(べっちゃく)。徳島県境、安芸市別役-徳島県那賀郡那賀町木頭北川。▼地形図記載の駒背越隧道の名より、峠部は旧地図の古道峠部付近。古道は峠から徳島県に入ると池野子(いのこ)山、御朱印谷山と尾根を繋ぐ古い道を思わせる。
権若峠 ごんにゃくとうげ 高知県香美市土佐山田町上穴内。南国市亀岩字釣瓶-香美市土佐山田町上穴内。▼参勤交代北山道より。「ごんにゃく」は蒟蒻の方言(寺川郷談より)だろう。
境峠 さかいとうげ 高知県安芸郡馬路村大字馬路。安芸郡馬路村馬路-魚梁瀬。
桜峠 さくらがとう 高知県高岡郡檮原町坪野田。愛媛県境、高岡郡檮原町坪野田・文丸-愛媛県西予市城川町野井川。▼読みは旧地図の「サクラガトー」より。
ササガトウ ささがとう 高知県高知市久礼野。▼トウ=峠地名かと記載。小坂峠から重倉を経て北に行った場所、ササガトウから北の土佐山西川から東へ、蟹越、南国市上倉から中ノ川越へと続く。
笹ヶ峰峠 ささがみねとうげ 高知県長岡郡大豊町立川下名。愛媛県境、愛媛県四国中央市新宮町馬立-高知県長岡郡大豊町立川下名。▼「笹ヶ峰」、「笹越」とも。旧土佐街道(北山越)の峠で、古代は太政官道、江戸時代中期(享保3年:1718年)以降は土佐藩の参勤交代の街道。現在は県道5号川之江大豊線笹ヶ峰隧道が代替、高知自動車道笹ヶ峰トンネルが峠の南側下部に開削されている。県道5号沿いには、旧立川番所書院、土佐北街道駕籠立休憩所跡、木番所跡などがある。峠を愛媛県側に越えると水無峠、笠取峠、腹包丁、下り付といった参勤交代に関連する地名が古道沿いに残る。▼東の三傍示山は三国境、天保国絵図にもその名が見える。
笹越 ささごえ 高知県長岡郡大豊町西峯。長岡郡大豊町西峰-香美市物部町笹。
笹の越 ささのこえ 高知県高岡郡四万十町勝賀野(しょうがの)。県道323号笹越隧道、高岡郡四万十町勝賀野-同町魚ノ川。
左手ヶ坂 さでがざか 高知県安芸郡東洋町大字野根。野根山街道。▼野根山街道東側の登り口にあたる急坂。明治三年に公道としての利用は終えたが、今も石畳等がわずかに残る。この道は急坂のため、殿様の駕籠かきは蟹の横ばいのように横向きに担ぐため、片方は左肩で担いだ。そのため野根の百姓は、左肩でかつぐ練習を日頃より心がけていたようで左手ヶ坂と呼ばれたと。
猿田峠* さるたとうげ 高知県長岡郡本山町沢ケ内。愛媛県境、県道264号坂瀬吉野線白髪隧道、長岡郡本山町沢ケ内(そうがうち)-愛媛県四国中央市富郷町寒川山(さんがわやま)字猿田。▼旧地図より。天保国絵図では伊予道峯と記され、伊予国では土佐道と呼ぶとある。
猿丸峠 さるまるとうげ 高知県高岡郡佐川町乙。国道494号、高岡郡佐川町乙-佐川町甲。▼「猿丸坂」とも。
沢の峠 さわのとうげ 高知県幡多郡黒潮町出口。県道339号出口古津賀線、四万十市古津賀-幡多郡黒潮町出口。
椎野峠 しいのとうげ 高知県高知市北秦泉寺。高知市七ツ淵-北秦泉寺。▼旧地図には村野三柱大神から尾根沿いに登る路筋に椎野坂も併記される。現在の案内板には椎野道とあり、伏尾谷沿いに登るのは伏尾道と。
塩塚坂 しおつかざか 高知県四万十市川登。四万十市川登-板ノ川。▼国道441号塩塚トンネルが代替。板ノ川側に出合。
塩屋谷峠* しおやたにとうげ 高知県土佐清水市片粕。土佐清水市貝ノ川字歯朶ノ浦(しだのうら)-市片粕。▼旧地図より。
宍喰峠 ししくいとうげ 高知県安芸郡東洋町大字甲浦。徳島県境、安芸郡東洋町甲浦-徳島県海部郡海陽町宍喰浦古目。▼「古目峠」ともある。旧国境の街道、甲浦東股番所跡、江藤新平(佐賀の乱)捕縛の地などがある。
地蔵峠 じぞうとうげ 高知県安芸郡北川村大字弘瀬。安芸郡北川村大字安倉-同大字弘瀬。
地蔵峠 じぞうとうげ 県道321号宗呂中村線、高知県幡多郡三原村大字上長谷。
地蔵峠 じぞうとうげ 高知県室戸市吉良川町、野根山街道。▼1832年に地蔵様が祀られた事による、旧称に「千本峠」。
四手峠 しでとうげ 高知県高岡郡四万十町昭和字四手。▼国道381号三島トンネルが代替。
四道峠 しどうとうげ 高知県高岡郡四万十町道徳(どうとく)。高岡郡中土佐町上ノ加江-四万十町道徳。
柴尾峠 しぼおとうげ 高知県高岡郡越知町柴尾。高岡郡越知町柴尾-浅尾。▼「夕映え(ゆばえ)峠」とも「越知町史」に名前が残る、位置は旧地図古道よりの推定。
下川峠* しもかわとうげ 高知県土佐郡土佐町下川。▼位置は二等三角点名から詳細不明。山頂西尾根鞍部にて愛媛へと越える道が見えるが位置はそちらかもしれない。
杓子峠 しゃくしとうげ 高知県四万十市片魚。国道439号、四万十市片魚-高岡郡四万十町大正。
シャクジョウ越* しゃくじょうごえ 高知県須崎市吾井郷乙。県道388号。▼旧国道にあたり、峠部付近に土佐七守護・津野氏の分家である中平兵庫助元忠の墓がある。尺重越(高知県誌)、錫杖越(土性偉人伝)、塩九升越(さくじょうごえ・さくじょうごこ、伝承)等とされる。この塩九升越は、斗賀野の地名とも関連するとも、『須崎風土記』による。
春分峠 しゅんぶんとうげ 高知県高岡郡四万十町日野地。県道322号松原窪川線、四万十町-檮原町。林道開設記念に命名されたとのこと。
装束峠 しょうぞくとうげ 高知県安芸郡北川村大字弘瀬。四国の道。▼標高900m前後の尾根筋を伝う野根山街道の峠。ここは街道の半ばにあたり良い休憩地であったようで、峠近辺には「三里塚跡」、「宿屋杉」が残ることからも窺える。現行地図の位置は熊笹峠で、北西三角点1083.1が装束山とされる。▼装束峠の名前の由来は、参勤交代の殿様がここで旅の装束を替えたとか、田野や奈半利へ嫁入りする花嫁が山装束を花嫁装束に着替えたなどの話が残る。
地芳峠 じよしとうげ 高知県高岡郡檮原町永野。愛媛県境、国道440号、高岡郡檮原町永野-愛媛県上浮穴郡久万高原町西谷。
シラサ峠 しらさとうげ 高知県吾川郡いの町寺川。愛媛県境、吾川郡いの町寺川-愛媛県西条市西之川丁。▼白く枯れた笹を「しらさ」と呼ぶことから付いた名称とか。▼吉野川最奥の本川郷寺川から伊予西条へ越える道だが、天保国絵図の土佐・伊予を確認したところ、亀ヶ森(現瓶ヶ森)より東側で峠部を越えてる『寺川村より川くるす村(現川来須)迄…、以下略』の行程があり、シラサ峠は亀ヶ森の西にあたるし、川来須より下流側で桑瀬からの道と合流するため別行程だろう。この道も『寺川村出口道』とは記されるが峠名などは記載されていない。▼寺川からの登り道にあたる白猪谷・石据谷には室町末期の「作小屋」跡があり、古くからの人住の地であったようだ。昭和初期に西条市にパーマネント屋ができ、本川村の娘さんたちがこの峠を越えて通ったという、「土佐の峠風土記」より。
白土峠 しらととうげ 高知県高知市春野町芳原。高知市春野町芳原-高知市神田。▼春野町坂本の観音堂、峠の嶺の烏帽子山山頂の石土神社、北は高知市(峠麓)にその奥の院と、霊所をつないだ峠、「土佐の峠風土記」より。春野や宇佐などと高知の城下を結ぶ往還の峠で人の往来はかなり多かったという。
四郎ヶ野峠 しろがねとうげ 高知県安芸郡東洋町大字野根。国道493号、安芸郡北川村大字安倉-東洋町大字野根、野根山街道。▼野根山街道を東へ急坂の佐手ヶ坂へと続く。
鈴ヶ峠* すずがとう 高知県吾川郡仁淀川町峯岩戸。▼「スズガ峠越」とも。旧松山街道黒森越の峠。峠から北に旧池川町日浦・見ノ越方面へと下る。▼明治から大正にかけて牛馬による荷物運搬が多かった。明治四十年頃は手漉和紙の荷役が多く、一人平均十八貫(約64kg)をおおく(天秤棒の一種)に結わえて肩で担いで運んだ。旧池川町の大平集落から越知町の今成の渡(直線距離で約10km程)を日帰りし、一回につき六十銭であった。店屋(てんや≒茶店)も何軒かあったと。「池川町誌」より。
千本峠* せんぼんとうげ 高知県安芸郡馬路村大字魚梁瀬。▼旧地図山名より、峠の読みが確認できていない。稗己屋山(ひえこややま)の別名、三角点名は千本峠。現小字名は稗己屋山となっている。北東に千本山があるが関係は不明。
雑誌越 ぞうしごえ 高知県吾川郡仁淀川町用居。▼予土街道、池川一揆での逃散や幕末の土佐藩脱藩志士が使ったとされ、水ノ峠から雑誌山を巻いて愛媛県に至る古道、位置は旧地図行程からの推定。
添蚯蚓 そえみみず 高知県高岡郡中土佐町久礼。▼「添蚯蚓坂」とも。中土佐町久礼長沢上より国道56号北西尾根を伝い七子峠に至る道。
高台越 たかだいごえ 高知県吾川郡仁淀川町椿山(つばやま)。愛媛県境、吾川郡仁淀川町大野・椿山-愛媛県上浮穴郡久万高原町河の子(こおのこ)。▼古老によれば、平均して週に二人ほどの商人が通るばかりで、牛や馬は通れなかった。他の峠越では良くあったという夜這いもほぼなかったが、商人の口利きで県境を越えての婚姻は年に1、2件ほどあった。また、石鎚登山の行者も使っていたと。「池川町誌」より。
高樽越 たかたるごえ 高知県吾川郡仁淀川町吉ヶ成(よしがなる)。吾川郡仁淀川町土居-同郡いの町小川樅ノ木山字高樽。▼南の大峠の間道的な道であった。祭礼を中心に吉ヶ成と現いの町高樽方面の主要道で、若い衆にとっては夜這い道でもあり、重要な婚姻圏でもあったと。「池川町誌」より。
高研山 たかとぎやま 高知県高岡郡檮原町上西の川。愛媛県境、高岡郡檮原町下西の川-愛媛県北宇和郡鬼北町大字日向谷(ひゅうがい)。▼「高研峠(たかとぎとうげ)」とも。詳細な行程は不明だが、梼原町史で確認できるルートの一つ、現在は国道197号高研トンネルや旧道の高研隧道が代替した。鹿児島にある高峠(たかとき)との類例かと、町史では高研。北の雨包山や南の霧立山等と繋がる尾根道は、宮崎県中部に見られるような古道を思わせる。
種間越 たねまごえ 高知県高知市春野町秋山。▼トンネル名より。
千鳥坂 ちどりざか 高知県高知市五台山。高知市五台山-同市池。▼旧地図より。
杖立峠 つえたてとうげ 高知県長岡郡大豊町北川。長岡郡大豊町久壽軒-同町庵谷。▼『大豊町史』には「この峠は黒石から北川に抜ける当時の土佐北口の街道であった」と記され天正年間には存在していたとし、「杖立山の送り狼」として「魔人の集団から旅人を救った」と話と北川側の笠松でお礼をしたという話が残る。また、『土佐州郡志』に「杖立峰は、庵谷村の西にあって登る者必ずここで憩う。故に杖植(つえたて)峰」とも。
杖峠 つえとうげ 高知県四万十市西土佐江川。愛媛県境、県道106号、四万十市西土佐江川-愛媛県北宇和郡松野町奥野川。
塚地峠 つかじとうげ 高知県土佐市塚地。土佐市宇佐町宇佐-同市塚地。▼現在は県道39号線塚地坂トンネルが代替。四国八十八か所第35番「清瀧寺」から第36番「青龍寺」への歩きへんろ道。往時を感じさせる石畳や堀切が残り散策にもよさげ。新居坂と共に「宇佐坂」とも。
辻越峠 つじごえとうげ 高知県高知市鏡吉原。土佐郡土佐町西石原-高知市鏡今井。▼土佐町地蔵寺から峠を越え樽の滝を過ぎて旧鏡村へと至る道。峠東の1044.6は「辻ケ峰」、名称もこれと関連すると思われる。▼文政十二年(1829)年一月、窮状を訴えた一揆勢が越えた道でもあると。
手結坂 ていざか 高知県香南市夜須町手結山。国道55号手結山トンネル。▼寛永十二年に二代藩主山内忠義がこの地に御茶屋を置き、参勤交代の道中の休憩所兼御山番にした。御茶屋を継いだ者の子孫(沢家の分家と)が餅屋を開き、現トンネル西口の「澤餅茶屋」として今に続く。「手結山の餅」「お茶屋餅」としても知られる。
手箱越 てばこごえ 高知県吾川郡いの町寺川。吾川郡いの町寺川-仁淀川町大屋。▼「手箱山越」、「手箱峠」とも。峠部付近には立派な石垣やトイレもあり登山時にも助かる。この石垣の上には大峰宗覚心寺派の修行道場がある。▼このルートは北西の石鎚山山道にあたり、山岳宗教の修験場として参拝するものが多かったと、「池川町誌」より。
天狗峠 てんぐとうげ 高知県香美市。徳島県境、香美市物部町久保和久保-徳島県三好市東祖谷久保・東祖谷阿佐。▼旧地図には「躄峠(いざりとうげ)」とある。足の不自由な人の意もあり天狗峠とされたのかも。巨人伝承と共に土佐弁で「いざる」は「座る」の意味がある。
とうげ 高知県香南市香我美町奥西川乙。▼峠地名。北と東の尾根を越えれば物部側の水系となり香南市香我美町舞川へ至る場所、旧地図には分岐点に神社記号が見える。北にある峠部付近から北の熊王山への登山道があり、途中に竃戸神社がある。元は熊王山山頂に鎮座とのこと、通称「熊カセ様」と呼ばれて昔は大変な賑わいだったと。
峠ノ越 とうのこえ 高知県吾川郡仁淀川町峠ノ越。▼現状は地名だが、「仁淀村史」の安徳帝の行程伝承にもその名が見える。旧地図には「トーノコエ」とあり、同行程により位置は推定。
斗賀野峠 とがのとうげ 高知県高岡郡佐川町川ノ内組。国道494号斗賀野トンネル、高岡郡佐川町中組-須崎市桑田山乙。▼位置は推定、国道トンネル上旧道峠部。『須崎風土記』にもその名が見える。川ノ内にて分岐、西(葉山街道ともある)はクチキ峠を越え津野山、梼原方面へと続き、南は須崎方面へと続く。
橡尾峠 とちおとうげ 高知県長岡郡大豊町立川上名。愛媛県境、長岡郡大豊町立川上名-愛媛県四国中央市新宮町馬立(またて)。▼参勤交代北山道より、笹ヶ峰越の間道的な行程だったのだろう。西にカガマシ山。
轟峠* とどろとうげ 高知県香南市香我美町撫川。香南市香我美町撫川(むがわ)-安芸市舞川。▼弓木隧道上峠部、詳細等不明。弓木の名も気になるので、今後確認できればと記しておく。東に弓矢八幡、聖神社、伊気神社等がある。
当別峠 とべつとう 高知県高岡郡津野町北川。国道197号当別峠トンネル。▼現トンネル、旧道当別隧道と峠道の隧道(崩壊し切通風に、旧東津野村役場によると「この峠は初めから切り通しだった」と回答という話も)で三代の隧道がある。▼バス停名には現トンネル西側に西坂口、東側に木桑口、旧道隧道側に戸別当トンネル西口、戸別当トンネル東口等の関連地名。▼四万十町地名辞典による小字名は當別峠(トベツトウ)で、バス停名の戸別当もおそらくこれと同じ。地検帳をざっと見たところ関連地名は見えなかった。
鳥ヶ峠* とりがとうげ 高知県四万十市奥鴨川。四万十市奥鴨川字大津江又-同字川奥口。▼旧地図より。集落地名だろうが、行程北の鞍部からか?
鳥越 とりごえ 高知県香南市香我美町徳王子。県道221号奥西川岸本線、香南市香我美町上分-徳王子。▼南西に天皇。
鳥越 とりごえ 高知県高岡郡日高村本郷。高岡郡日高村岩目地-同村宮谷。▼現在は妹背峠から村道が続きゴルフ場へ至る。
鳥越峠 とりごえとうげ 高知県香美市土佐山田町逆川(さかかわ)。県道22号龍河洞公園線、香南市野市町東佐古-香美市土佐山田町逆川。▼龍河洞トンネンル上旧道峠部。
鳥坂 とりさか 高知県須崎市浦ノ内西分。県道23号須崎仁ノ線鳥坂トンネル、須崎市押岡-同市浦ノ内西分。▼トンネル名より、旧道峠部。
長畝峠 ながうねとうげ 高知県高知市行川(なめがわ)。▼旧地図より、峠には寛政七年の銘のある地蔵有。「土佐の雪道」という碑が峠に建てられている。これは土佐藩2代藩主忠義の頃、手箱山にあった雪屋(氷室)から毎年六月朔日に此の雪を取て壷に納め、夜送の早飛脚にて雪を届けた道のこと。「領家郷より直ちに行近道を今も雪道と云(本山村史)」ともある。▼峠付近は小さいながらも良好な堀切を残している。高知では畝も峠を意味している(大峠=おおうね他)。
中川峠 なかがわとうげ 高知県長岡郡本山町沢ケ内(そうがうち)。愛媛県境、長岡郡本山町沢ケ内字坂瀬-愛媛県四国中央市金砂町小川山字中之川。
中坂 なかさか 高知県高岡郡津野町北川。▼バス停名に残る坂名。津野山街道、野越と至る坂であったろうと思う。
中坂峠 なかさかとうげ 高知県高岡郡中土佐町久礼。高岡郡中土佐町久礼中大坂-奥大坂。▼旧地図より。大坂谷川沿いに迂回しない近道。
中ノ川越 なかのかわごえ 高知県土佐郡土佐町田井。南国市中ノ川-土佐郡土佐町田井。▼高知方面から中ノ川越、楢ヶ峠を越えて本山へ。
中ノ浜峠 なかのはまとうげ 高知県土佐清水市中浜。県道27号、中ノ浜峠バス停有。
名古屋坂 なごやさか 高知県土佐市市野々(いちのの)。国道56号、新名古屋トンネル、土佐市市野々-須崎市吾井郷甲。▼北に旧街道と樫迫隧道が残る。「名越坂」、「名古屋」、「莫坂」、「奈古也坂」とも。峠南に角塔婆、明應五年(1496)の銘有。
夏枯峠 なつかれとうげ 高知県高岡郡中土佐町大野見吉野。県道41号窪川中土佐線、高岡郡中土佐町久礼字長沢中-同町大野見吉野字奥分。▼本蚯蚓の北側にあるルート、ただ峠部のバス停名は奥分峠とある。吉野から長沢にかけてバス停名は順に平越口、大造暗、奥分、ウツゲヤブ、ツヅラ、奥分吉野橋、奥分峠、切抜と続く。
七子峠 ななことうげ 高知県高岡郡四万十町床鍋。国道56号近傍、高岡郡中土佐町久礼-同郡四万十町床鍋。▼現在は国道56号に標識がある。中土佐町久礼の古谷・中大坂・中坂峠・奥大坂から谷沿いに七子峠に至る旧道の片峠。国道56号が代替する。久礼から添蚯蚓を通る行程も北から合流する。昔は集落が七郷あったから、七戸茶屋があったとかが由来とか。
名野川越 なのかわごえ 高知県吾川郡いの町寺川。愛媛県境、瓶ヶ森林道、高知県吾川郡いの町寺川-愛媛県西条市西之川丁。▼よさこい峠から尾根伝いに西にある。
楢ヶ峠 ならがとうげ 高知県土佐郡土佐町田井。土佐郡土佐町田井-長岡郡本山町大石。▼主行程は、本山町側から楢ヶ峠、中ノ川越を経て高知方面へ。
新居坂 にいざか 高知県土佐市新居(にい)。県道282号新居中島線本村トンネル。▼「宇佐坂」とも呼ばれる(西の塚地峠も)。本村トンネル北口の東側に「津波避難場所宇佐坂」の標識があり、高台にあたる峠部には神社もある。▼宇佐の夜売り(荒倉峠に詳細)が駆け抜けた坂道でもある。
ニゴオヅ峠 にごおづとうげ 高知県吾川郡仁淀川町上名野川。愛媛県境、吾川郡仁淀川町上名野川-愛媛県上浮穴郡久万高原町中津。▼旧地図より。
西分峠 にしぶんとうげ 高知県高知市春野町西分。県道37号高知春野線、高知市春野町西分-同市朝倉己。▼旧地図に「横峰峠」とも。北に鳥屋ノ奥。▼西分峠と西の荒倉峠を高知市側へ下り合流すると搖岩(ゆるぎいわ)がある。現在は公園になっているが、乗ると揺れるからとか。木々に覆われた大きな岩もあり弘法大師様が頂部に祀られている。
韮ヶ峠 にらがとうげ 高知県高岡郡檮原町井高。愛媛県境、県道379号韮ヶ峠文丸線、愛媛県西予市野村町小松-高岡郡檮原町井高。▼坂本龍馬脱藩の地として整備されている。
韮生越 にろうごえ 徳島県境、高知県香美市-徳島県三好市東祖谷菅生(すげおい)。▼三嶺(みうね)と白髪山の尾根線登山道鞍部、北西にカヤハゲ。
根曳峠 ねびきとうげ 高知県南国市成合(なれあい)。国道32号、南国市成合-香美市土佐山田町北滝本。▼南北に長くひいた尾根が名前の由来と。古くから阿波から土佐の交通路として利用され、かつては領石には賃犬が置かれ、峠を越える荷車や自転車を引いて登ったと。
野越 のごえ 高知県高岡郡津野町北川。▼越地名。国道197号新野越トンネルが開削されている。津野と梼原を結んだ主要道でもあり、津野山街道・梼原街道の名称もある。野越も街道関連の地名で旧国道側のバス停(つのバス高野線)にもその名が残り、野越トンネル東側の中坂、同西側の神根越のバス停を経て、風早トンネル、化粧坂トンネルと過ぎて梼原中心街へ至る。
野地峰越 のじみねごえ 高知県土佐郡大川村朝谷。愛媛県境、土佐郡大川村朝谷-愛媛県四国中央市富郷町津根山折宇。▼天保国絵図にもある行程で牛馬は不通、伊予国では浅谷峯と呼ぶと。
生ぇ越* はえごし 高知県高岡郡檮原町井の谷。愛媛県境、高岡郡檮原町井の谷・太田戸-愛媛県上浮穴郡久万高原町西谷。
八丁越 はっちょうごえ 高知県長岡郡本山町下関。長岡郡大豊町立川上名-同郡本山町下関。▼北西に八丁山。
花折峠 はなおれとうげ 高知県安芸郡東洋町大字野根。野根山街道。▼峠に至る坂を「八丁坂(花折坂)」とも。野根山街道は参勤交代道でもあり、殿様が籠の中から花を折れる程の坂道だったことに由来すると。
半山越 はんやまごえ 高知県吾川郡仁淀川町大植。吾川郡仁淀川町大植-高岡郡津野町白石甲。
百日峠 ひゃくにちとうげ 高知県宿毛市橋上町還住薮(げんじゅうやぶ)。宿毛市山北-橋上町還住薮。▼名称の由来・伝承は不明だが、三年坂系の話(転ぶと三年以内に亡くなる)が思い浮かぶ。
吹越峠 ふきごしとうげ 高知県安芸郡北川村大字竹屋敷。徳島県境、安芸郡北川村大字竹屋敷-徳島県海部郡海陽町船津。▼旧地図には「吹越ノ峠」とある。
藤の越 ふじのこし 高知県高岡郡四万十町藤ノ川。県道325号上ノ加江窪川線、高岡郡四万十町見付-同町藤ノ川・八千数(はっせんずう)。▼旧地図に名称は無いが独立樹記号がある。
藤の越* ふじのこし 高知県高岡郡檮原町広野。▼藤の越トンネル、藤の越バス停名から推測、東の大越峠から続き広野に至る旧行程で、谷沿いに下らずそのまま宮野々への旧道がある。
布施坂 ふせさか 高知県高岡郡津野町船戸。県道377号、378号、国道197号布施坂トンネルが代替。▼布施ヶ坂とも、布施ヶ坂峠も。坂は見事な茶畑の仲を進み、峠部はトンネル上から少し北、新荘川の源流部。旧東津野村の入り口にあたる要所。▼津野氏の頃悪疫流行し大般若経転読を行ったが、その時のお布施が羽山(葉山)では足りずに津野山に建て替えてもらったので津野山の領分になったと。命名と境界の伝承である。北東登り口に坂本。
仏瀬越 ぶっせごえ 高知県高知市円行寺。高知市円行寺-高知市土佐山弘瀬。▼「佛瀬越」、地元では「仏生越」とも。峠に地蔵様と四国霊場巡拝供養塔があり、「土佐山街道」として土佐山と高知市街を結んだ。
船戸越 ふなとごえ 高知県高岡郡津野町船戸。吾川郡仁淀川町大植-高岡郡津野町船戸。
船ヶ峠* ふねがとうげ 高知県幡多郡三原村大字宮ノ川字船ヶ峠。▼峠地名だが、位置と道からも元は峠部だったことが窺われる。
文代峠 ぶんしろとうげ 高知県香南市香我美町中西川。県道30号香北赤岡線、香南市香我美町中西川-香美市香北町西川。▼香我美町側の安場坂から至る峠、馬頭観音が祀られている。県道の為舗装こそされているが、趣のある堀切がある。現在は「塩の道ウォーキング」として整備され、店屋、宿場の跡もある。
宝蔵峠 ほうぞうとうげ 高知県安芸市畑山乙。安芸市別役-畑山乙。▼峠部には看板があり、林道が「昭和46年3月31日開通」とある。北東に約8.3kmに宝蔵山がある。
望六峠 ぼうろくとうげ 高知県高知市北秦泉寺。▼ボーロク峠とも。1990年前後には峠部の茶店は営業しており、蕎麦、寿司(蒟蒻やタケノコ)などを食べた記憶がある。伏尾谷の東尾根の登る坂道で峠に至るが、現案内板には嘉助道の名がある。土佐山村との行き来や七ツ淵神社への参詣に使われていた。▼「嘉助道(かすけみち)」は、旧「土佐山村桑尾」の「和田嘉八」翁が私財を投じ、明治15年に着工し足掛け14年をかけて明治29年に完成した土佐山村の縦断道路。▼「望六峠」の「六」は歌舞伎の「勧進帳」の「飛び六方」の「六」、「東西南北」に「天地」を加えた全方位を表すことを意味し、峠からは全ての方位を見渡せるからに由来するとのこと。
程ヶ峠 ほどがとう 吾川郡いの町上八川下分。▼「辞職峠」とも、「お城下」高知市街から本川村に赴任するお役人が道のつらさに辞職して引き返した事が由来と。『寺川郷談』を記した春木次郎八繁則は、この峠を越え更にその奥にある寺川へ山回り役として赴任したと、「土佐の峠風土記」より。
仏が峠 ほとけがとう 高知県吾川郡いの町成山。吾川郡いの町神谷(こうのたに)-同町成山。▼旧伊野町が紙の町として栄える理由となった紙漉き技法を守るための伝承が残る峠。▼藩政時代に伊予国の新之丞という人物が製紙技法を伝え、その後助けてくれた養甫(長宗我部元親の妹)、安芸三郎左衛門家友(安芸国虎の次男)と草木染を施した美しい七色の紙を作り出した。数年後に帰国の途上、秘密を守るために家友によってこの峠で惨殺された話が伝わる。その祟りを鎮めるために、峠には仏堂や地蔵様、新之丞君碑なども建っている。▼読みは「ほとけがとうげ」とも。
仏坂 ほとけざか 高知県須崎市神田(こうだ)。県道314号、須崎市神田-同市浦ノ内東分。▼峠部には鋭く刻まれた切通しが残る。
仏峠 ほとけとうげ 高知県高岡郡日高村宮谷。県道299号庄田伊野線、高岡郡佐川町四ツ白-日高村宮谷。▼峠部はブロックの堀切となり、お地蔵様が祀られている。
ホドノ峠* ほどのとうげ 高知県高岡郡檮原町井高(いこう)。愛媛県境。▼梼原町史より、「ほどの峠」、「ホドガ峠」とも記され、位置・読みは推定。『神の山-なら山-ほどの峠-惣川(愛媛県西予市野村町)』の行程。
堀切峠 ほりきりとうげ 高知県吾川郡仁淀川町大尾。国道33号堀切隧道、吾川郡仁淀川町鷲ノ巣-同町大尾(おおお)。▼国道旧道部、剥き出しの岩が迫る堀切は中々の迫力がある。
本蚯蚓 ほんみみず 高知県高岡郡中土佐町久礼。▼「本蚯蚓坂」とも。中土佐町久礼長沢奥から中土佐町大野見吉野へと至る。添蚯蚓の北。
松尾越 まつおごえ 高知県香美市。長岡郡大豊町八畝-香美市香北町川ノ内。▼明治中期、根曳越の道(現国道32号)が開かれるまでは、豊永郷と高知平野を結ぶ主要往還だった。
松尾峠 まつおとうげ 高知県宿毛市大深浦。愛媛県境、四国のみち、宿毛市大深浦-愛媛県南宇和郡愛南町小山。▼江戸期は「松尾坂」、峠には伊予土佐の両側に休み茶屋があり、二基の国境の碑も今に残る。
ミコノ峠 みこのとうげ 高知県高岡郡佐川町東組。高岡郡佐川町東組-土佐市永野。▼旧地図より。虚空蔵山の北側鞍部、佐川町立山崎記念天文台近傍、土佐市側に鉾ヶ峰寺。▼峠北東に神子野(みこの)がある、また窪川方面にもミコノ川がありなんらかの心意的な背景がありそうだ。
三島山越 みしまやまごえ 高知県土佐郡土佐町田井。土佐郡土佐町境-田井。
水ノ峠 みずのとう 高知県吾川郡仁淀川町北川。吾川郡仁淀川町寄合-同町用居。▼「水の峠越」とも。「雑誌越え」の予土街道の峠。峠には太子堂と泉があり、これが名前の由来の模様。天明七年(1787)二月に起きた「池川一揆」の群衆や元治元年(1864)十一月、脱藩を企てた中島信行ら三人がこの峠を越えた。ただ脱藩を望んだ中島与市郎は足の腫れもののためにこの峠に残り、太子堂に籠って自害、その碑もあると、「土佐の峠風土記」より。
三嶽越 みたけごえ 高知県高岡郡越知町越知。▼横倉山は古くは三嶽山と呼ばれ修験道の霊場(熊野権現を勧請した熊野修験道)でもあった。「三嶽」とは東から「カブト嶽」、「馬鹿だめし」、「住吉」の三つで、さらに古くには、順に「日向(ひむか)の嶽」、「日室(ひむろ)の嶽」、「日置(ひおき)の嶽」、もしくは「日受の嶽」「玉室(たまむろ)の嶽」「日暮の嶽」とも呼んだ。そのため三嶽古道とも呼ばれる。▼現在の横倉山は安徳帝の伝承と結びついており、その遺跡を辿り横倉三山を越える15kmの峠道で、幕末には土佐と伊予とをつなぐ道の一つとして、那須信吾ら脱藩志士が越えていると。「土佐の峠風土記」より。この「三嶽越え」は左記筆者の便宜的な名称の模様。▼高知や宮崎には尾根続きに峰を渡る古道(古代からを思わせる遺跡・遺物と共に)が残っている様に思われる。
三津坂 みつざか 高知県室戸市領家。県道202号椎名室戸線。室戸市領家字蔵戸-堂市室戸岬町字三津。▼トンネル名より。
三ッ森峠 みつもりとうげ 高知県土佐郡大川村小麦畝。愛媛県境、土佐郡大川村小麦畝-愛媛県新居浜市別子山七番。
峰ノ上峠 みねのうえとうげ 高知県高岡郡四万十町金上野。国道56号、高岡郡四万十町金上野-峰ノ上。▼バス停名。
宮ノ越* みやのごえ 高知県幡多郡大月町大字姫ノ井字宮ノ越。幡多郡大月町大字口目塚-同大字大字春遠(はるどう)。▼現行地図では地名のみが残るが、旧地図には行程として記される。
峰峠 むねんとう 高知県幡多郡大月町大字泊浦字峰峠。▼旧地図では「ミネトウ」の読み、詳細は不明。高知県内の例で見ていくと「畝」に山や峠的な意味合いが見られるが、読みの音感からして「むね」と「うね」が近いかとは思われる。
六部が峠 むべがとうげ 高知県高岡郡中土佐町大野見野老野。高岡郡中土佐町大野見野老野-四万十町上秋丸。
元越 もとごえ 高知県安芸郡東洋町大字河内。徳島県境、安芸郡東洋町河内-徳島県海部郡海陽町日比原。
桃木坂* もものきざか 高知県須崎市桑田山乙。国道494号桃木坂トンネル。▼トンネル名より。
焼坂 やけざか 高知県高岡郡越知町横畠東。高岡郡越知町横畠東字堂ノ岡-同町横畠中字薬師堂。▼松山街道黒森越の登り口にあたる坂。
焼坂峠 やけざかとうげ 高知県高岡郡中土佐町久礼。須崎市安和-高岡郡中土佐町久礼。▼国道56号焼坂トンネルが代替。
屋敷峠 やしきとうげ 高知県高岡郡四万十町津賀。国道381号、高岡郡四万十町津賀-同町茅吹手(かやぶくて)字屋敷。
安場坂 やすばさか 高知県香南市香我美町中西川。県道30号香北赤岡線。▼文代峠へと至る坂道、現在は「塩の道ウォーキング」として整備。
矢筈峠 やはずとう 高知県吾川郡仁淀川町大植。国道439号矢筈トンネル、吾川郡仁淀川町大植-高岡郡津野町芳生野丙。▼津野町側の峠道の傍らに「弘法の石垣」と呼ばれる奇岩有。幅4m、高さ2.5mほどの粘土で固めた石垣様で、一見すると人工物だとか(土佐の峠風土記)。
矢筈峠 やはずとうげ 高知県香美市。徳島県境、香美市物部町笹-徳島県三好市東祖谷古味。▼北西の土佐矢筈山(とさやはずやま、標高1606.6m)が関連するのだろう。「矢筈」とは、矢の尻尾の方の弓の絃を掛ける、二股に分かれたV字(U字)の部分を指す、または竹や棒の先が二股になった掛け物を掛ける道具等を言う。山容が「矢筈」に似ていることから名付けられたと思える。▼物部村明賀の普賢堂参りを中心とした往来のあった峠。明治中期に祖谷の谷道に銅鉱山が開発されたのに伴い整備された。戦後、旧上韮生村の五王堂から笹谷に沿う道路の工事に従事していた韓国人が、故国の峠に似ていることからと「アリラン峠」とも呼び、当地では「矢筈峠」より「アリラン峠」が一般的と。
藪が峠 やぶがとう 高知県高岡郡檮原町上折渡(かみおりわたり)。▼峠地名、国道197号の野越ルートの南にあたる。西の「仲洞(なかとう)」、北の「当別峠」とトウ音が関連、大字の折渡の名称も気になるところ。
山伏峠 やまぶしとうげ 高知県四万十市横瀬。県道50号有岡川登線。▼峠地名。山伏峠バス停有。
山伏峠 やまぶしとうげ 高知県土佐清水市下益野。国道321号。▼峠地名。山伏峠バス停有。
山伏峠 やまぶしとうげ 高知県安芸郡北川村大字竹屋敷。安芸郡北川村大字久木-堂大字竹屋敷。
よさこい峠 よさこいとうげ 高知県吾川郡いの町寺川。愛媛県境、県道40号石鎚公園線、吾川郡いの町寺川-愛媛県西条市西之川丁。▼峠部には公衆トイレも♪
四ツ足峠 よつあしとうげ 高知県香美市物部町別府。徳島県境、国道195号四ツ足峠トンネル、香美市物部町別府-徳島県那賀郡那賀町木頭北川。▼小字傍爾山の頂にあるのが四ツ足堂(傍爾堂とも)。お堂の四隅の床柱が四本足のようにして立っていたことから四ツ足の名になったと。傍爾が示す通り、土佐と阿波との国境にもなっており、足の2本は土佐側に、残り2本は阿波側にあったという。寛永十四年に石造の地蔵菩薩が安置された(物部村史より)。
呼坂峠 よびさかとうげ 高知県高岡郡四万十町窪川。県道19号呼坂トンネル、高岡郡四万十町窪川-根元原(ごんげんばら)。▼呼坂バス停有。峠付近に「横倉神社遥拝所」があったが、現在は西の身代大師のお堂の方に遷していると。▼1932年に呼坂隧道が開通するまで、県中央部と幡多地域をつなぐ往還道だった。長宗我部元親が幡多方面に進攻した際、峠から一條勢に降伏を呼び掛けた故事が由来。植物学者の牧野富太郎や坂本龍馬、ジョン万次郎らも通った記録が残る。
竜王峠 りゅうおうとうげ 高知県長岡郡本山町七戸。長岡郡本山町七戸-同郡大豊町立川上名。▼本山町・大豊町の登山マップより。
竜坂 りゅうざか 高知県土佐市宇佐町竜。土佐市宇佐町井尻-同町竜。▼竜岬の内陸部を越える峠。峠部は「一本松の峠」とも、旧地図に孤立樹記号がある。宇佐大橋の架橋前は「竜の渡し(龍渡=旧地図)」で渡り、この峠を越えて二十六番青龍寺に詣ったという。生活道として、四国巡礼の道として利用されていた。
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