歴史国道とは、歴史上重要な幹線道路として利用され、歴史的・文化的価値を有する道路として国土交通省(旧建設省)の選定による24カ所の道路。
類似の選定には、文化庁の「歴史の道百選」、建設省(当時)の「日本の道100選」があるものの選定基準はそれぞれ違っており、国土交通省では、一里塚、関所、並木、宿場などの歴史的な面影を残していて、文献などによって歴史的評価が定まっている道を歴史国道と定義した。
明治以降の自動車交通に対応する道路開削と拡幅により、旧街道沿いにあった一里塚、道標、石畳等は次々と撤去され、新しい道としての姿に変わっていった。
そこで、かつて人や物資が往来した形跡があり、歴史的価値のある文化財や遺構を守り保護しつつ、新しい文化や情報も往来する道路としていくことを目的に歴史国道として選定されることになった。
日本最古の官道で知られる竹内街道(大阪府)、鯖街道と有名な若狭街道の熊川宿(福井県)、当時の石畳が長く残されている薩摩街道大口筋の白銀坂(鹿児島県)、桜並木の美しさで知られる出雲街道新庄宿(岡山県)等、1995年(平成7年)6月に12箇所、1996年(平成8年)3月に12箇所、下記一覧にあるように全国計24箇所である。
歴史国道一覧
名称 | 所在地 | 認定年・備考他 |
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赤松街道(札幌本道) | 北海道函館市-七飯町 | 国道5号函館市桔梗町から七飯町字峠下までの区間14.3km 。かつては札幌本道ともよばれた日本最初の西洋馬車道の一部で「赤松の並木」で知られる。保存樹木数が多く景観が美しいのは、七飯町大中山から鳴川町までの約2kmの区間。これら赤松は、箱館奉行所組頭の栗本瀬兵衛が佐渡から赤松の種子を取り寄せ五稜郭周辺に植樹、明治天皇の行幸を記念して札幌本道に移植したもの。1986年(昭和61年)には、日本の道100選にも選定。1996年(平成8年)3月認定。 |
奥州街道(七戸)松並木 | 青森県上北郡七戸町 | 現国道4号の一部で、明治時代初頭に奥州街道沿いに植栽されたもの。主要幹線のため明治時代以降に多くの遺構が失われたものの、七戸町の松並木は遺され当時の街道の様子を現在に伝えてくれる。そのため同町内にある延長1.6 km区間が選定された。1996年(平成8年)3月認定。 |
羽州街道 楢下宿 | 山形県上山市 | 現主要地方道上山七ヶ宿線、市道楢下宿(ならげしゅく)線の一部で、茅葺屋根の古民家や、石造眼鏡橋をはじめ宿場町の面影を偲ばせる町並みが残る。藩政時代には奥州諸大名の参勤交代の宿場町として、本陣、脇本陣、旅籠屋などを備えて賑わった羽州街道の要衡。古民家の一部は一般公開もされている。 |
浜街道 木戸宿 | 福島県楢葉町 | 県道小塙上郡山線の一部、楢葉町と富岡町を結ぶ全長約7.6kmの道路、整備区間は楢葉町の天神岬スポーツ公園西側の1.2km。この浜街道は江戸時代に相馬中村藩によって整備が進められたもので、現在は木戸宿周辺の歴史的・文化的遺産を現代に合う形で復元し、魅力ある町並みにするために道路の整備等を地域全体で取り組んでいる。 |
三国街道 須川宿 | 群馬県みなかみ町 | 主要地方道中之条湯河原線、町道須川笠原線の一部。三国街道は、中山道から分かれ北陸街道の寺泊へ至る街道。参勤交代路でもあり須川宿には本陣と脇本陣が置かれていた。匠を活躍させる一体的な取組「たくみの里づくり」で知られ、古い景観が保存、維持されている。1996年(平成8年)3月認定。 |
中山道 追分宿 | 長野県軽井沢町 | 国道18号、町道追分村中線の一部。北国街道(北陸道)との分岐点でもあり「追分」の名はこれに由来し、民謡追分節の発祥の地でもある。宿場町の景観・雰囲気を今に伝える旧街道の宿場町。 |
北国街道 出雲崎宿 | 新潟県出雲崎 | 国道352号と町道海岸線の一部。北国街道は金山で有名な佐渡と江戸を結ぶ重要な交通路。出雲崎は幕府の天領として栄え、現在も妻入りの町並みが残り当時の風情を残す。1996年(平成8年)3月認定。 |
北陸道 倶利伽羅峠 | 富山県小矢部市-石川県河北郡津幡町 | 市道埴生倶利伽羅線の一部で、倶利伽羅峠を含む小矢部市桜町から津幡町までの12.8km区間。平安時代末期にはここ倶利伽羅峠で、木曾義仲が平維盛率いる平氏の北陸追討軍十万を打ち破ったことでも知られる。北陸道は古くから畿内と日本海側中部を結ぶ重要な路線で、江戸時代には加賀藩の参勤交代の街道としても使われた。文化庁の「歴史の道百選」にも選定。1995年(平成7年)6月認定。 |
東海道 岩渕間宿-蒲原宿-由比宿 | 静岡県富士市-静岡市清水区 | 県道富士由比線と富士市道横町坂線の一部。 |
東海道 藤川宿 | 愛知県岡崎市 | 県道市場福岡線と岡崎市道藤川1号線の一部。「藤川の松並木」や、宿場町出入口の「棒鼻跡」、江戸時代の門が残る「脇本陣跡」等々が残る。1996年(平成8年)3月認定。 |
東海道 関宿 | 三重県亀山市 | 亀山市道地蔵院小野線と亀山市道地蔵院西ノ口線の一部。国の重要伝統的建造物群保存地区、文化庁の歴史の道百選にも選定。1995年(平成7年)6月認定。 |
中山道 妻籠宿・馬籠宿・落合宿 | 岐阜県中津川市、長野県南木曽町 | 主要地方道中津川南木曽線と南木曽町道妻籠町中線の一部。 |
若狭街道 熊川宿 | 福井県若狭町 | 国道303号と県道河内熊川線の一部。若狭街道は若狭小浜から京都まで続く街道、主要な交易品は海産物で特に鯖の人気が高く鯖街道ともよばれた。熊川宿は国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定され、交易の拠点として発展した宿場町を今に伝える。1996年(平成8年)3月認定。 |
竹内街道 竹内峠 | 大阪府太子町、奈良県葛城市 | 国道166号の一部。竹内街道は、日本書紀に613年『難波より京(飛鳥京)に至る大道を置く』と記され、日本最古の国道とされる。江戸時代には伊勢詣での道としても栄えた。1995年(平成7年)6月認定。 |
熊野古道 中辺路 | 和歌山県田辺市中辺路町 | 国道311号の一部。中辺路は田辺から山中に分け入り熊野本宮に向かう道。熊野神の御子神を祀った「王子」もしくはその遺跡が点在するのが特徴。古代から中世にかけて熊野三山の信仰が高まり、旅人の切れ目がなく行列ができた様子は「蟻の熊野詣」と称された程。 |
出雲街道 新庄宿 | 岡山県新庄村 | 村道町中線と村道中山線の一部。出雲街道は奈良時代には出雲国造の神賀詞奏上の道であり、松江藩主の参勤交代や公儀諸役人や公家息女の輿入れの道でもあった。現在の町並みは、日露戦勝記念に植えた「がいせん桜」並木が彩り、生活用水として使用される石積みの水路の音は日本の音風景百選にも選定されている。 |
石見銀山街道 上下宿 | 広島県府中市上下町 | 市道辰の口切田尻線と市道陣屋翁線、市道駅栄線の一部。 |
石見銀山街道 天領石見銀山 | 島根県大田市 | 主要地方道仁摩邑南線と太田市道大森市街線の一部。 |
撫養街道 | 徳島県美馬市脇町 | 撫養街道は吉野川流域を東西に結ぶ四国東部の重要な路線で、撫養(現徳島県鳴門市)から吉野川北岸を通り、阿波池田を経由し愛媛県川之江市を結んだ。街道沿いにあった脇町は、江戸・明治時代には阿波藍と繭の集散地として栄え歴史的風致が残されている。 |
梼原街道 | 高知県梼原町 | 町道梼原野越線の一部。梼原街道は、土佐と伊予を結ぶ重要な路線として古来より栄え、幕末には、坂本龍馬などの志士達が脱藩した道としても知られる。街道沿いには藩政時代に建立された「化粧坂の茶堂」などが残る。維新の道として「日本の道百選」にも選ばれた。 |
日田往還 | 大分県日田市 | 国道212号と日田市道、里道の一部。日田は江戸時代に天領として西国筋郡代及び同代官所が設置され、九州の江戸幕府直轄領の民治などを統括。九州の政治経済の中心的存在であったため、日田往還として豊後、豊前などの六か国を結ぶ街道の一つとしてつくられたもの。豆田地区を中心にのこる古い町並みが知られる。 |
長崎街道 日見峠 | 長崎県長崎市 | 長崎市道芒塚町本河内町1号線と同市道芒塚町2号線、同3号線、同市道本河内町4号線、里道の一部。長崎街道は出島のあった長崎と小倉を結んだ江戸時代の重要な路線。西の箱根とも呼ばれた日見峠は、往事の名残が色濃く残る。1996年(平成8年)3月認定。 |
薩摩街道 大口筋(白銀坂) | 鹿児島県姶良市-鹿児島県鹿児島市 | 国道10号の一部、大口筋は鹿児島城下から吉田・姶良・加治木・溝辺・横川・栗野・菱刈を経て大口に至る道。白銀坂の約2.8kmと龍門司坂約500mは保存状態が良好な石畳が残る。 |
国頭方西海道 仲泊地区 | 沖縄県恩納村 | 国道58号と県道6号の一部。国頭方西海道は、首里城を起点に読谷、名護を経由し本部半島の今帰仁番所を終点とする宿道で、仲泊地区は中休みをする場所が地名の由来とされる。 |