大分県の峠地名 坂・越を含めて

大分県の峠

国土地理院地図を中心に大分県内の○○峠、△△越、××坂等の地名を収集し一覧に。
自然地形地名から伝承・語源・祖型等を探り、地名・方言研究の一助になればと。
九州地方 峠・越地名地図付き♪

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大分県の峠地名一覧

大分県の峠確認用地図:九州地方 峠・越地名地図

【凡例】
※ 地名の読みの*付きは推定・未確認を含む。
※ 行程が地図上にて明瞭でなく集落地名のみと思われるような越・坂地名は一部を除いて記載していない。

峠地名 読み 位置・行程他
明石峠 あかしとうげ 大分県佐伯市蒲江大字丸市尾浦。宮崎県境、佐伯市蒲江大字丸市尾浦-宮崎県延岡市北浦町三川内。▼西南の役の古戦場址。現在は国道388号線が走るものの酷道としても知られ、新明石峠とでも言うべき県境付近の看板には「巾員極狭」の文字が光る。
赤松峠 あかまつとうげ 大分県佐伯市宇目大字重岡。▼宇目大字重岡方面から同宗太郎方面とを繋ぐ古道、現在は林道が上書きし、標高約394m。古くは重岡から黒土峠、梓峠を通って日向国へと向かう道が、古代の豊後小野駅と日向長井駅を結ぶ官道(日向街道)らしいが、明治6年に廃止となりこの赤松峠が主要道となった。
赤松峠 あかまつとうげ 大分県速見郡日出町大字藤原。▼国道10号線、日出町から峠を越えれば赤松、そのまま北上し立石峠、旧国境へと至る。
アクタ神峠 あくたがみとうげ 大分県豊後大野市大野町安藤。県道41号大分大野線、大分市大字安藤新田-豊後大野市大野町安藤貫原。▼長い切通部分が存在。▼アクタ神とは芥神のことだろうか、傾山にも芥神の滝、旧宇目町の悪所内との関連も気になるところ。熊本にも芥神(坂梨宿周辺 昔、日向往還は此処より高森方面の日尾峠道と野尻方面の箱石峠道に分かれていた、いずれも難所にさしかかる。旅の安全を祈るため祀られた。芥神は東北地方に多く見られるが阿蘇地方には大変珍しい、泌尿器関係の神としての信仰もあるという。▼芥なら塵やごみ・無益な物そして辛子のカラシナを言うこともあると。また芥(あくた)は阿久津(あくつ=圷(あくつ)の転訛とも)とあり川沿いの低湿地を意味する場合がある。
梓峠 あずさとうげ 大分県佐伯市宇目大字重岡。宮崎県境、宇目町の水ヶ谷の南東と宮崎県東臼杵郡北川町との境にある峠。標高約700メートル。古代は豊後小野駅と日向長井駅を結ぶ官道ルートであったと推測される。天正6年(1578年)の大友勢の日向侵攻、天正14年(1586年)の島津軍の豊後侵入のルートとなっている。江戸期の豊後・日向を結ぶ最も重要な峠の一つであった。『豊後国古城蹟 并 海陸路程』には「酒利村より梓山二本杉、日向境迄三里弐拾八町。この内二里は梓坂也。難所。牛馬の通ひはあり」とある。また、『豊後国志』には「梓嶺。宇目郷水箇谷の南にあり。桑原山と相対す。高山長嶺。上に路あり。日の延岡に達する七里。碑あり。豊日の界を標す。元禄二年定むる所なり。」とある。明治10年(1877年)の西南戦争の古戦場でもあった。この梓ルートは明治6年11月に廃止され、赤松峠を本道とすると布告されたことにより、以後荒廃の一路をたどり、現在廃道となり、滅びた峠となった(宇目町史 134ページ)。
雨ヶ池越 あまがいけごえ 大分県竹田市久住町大字有氏。登山道、玖珠郡九重町大字田野長者原方面と坊ガツル方面との鞍部。
穴川峠 あながわとうげ 大分県日田市中津江村合瀬。熊本県境、県道133号鯛生菊池線。菊池市班蛇口(はんじゃく)-日田市中津江村合瀬。
嵐峠 あらしとうげ 大分県竹田市大字神原。現在は祖母山登山ルート上「三県境」。天保国絵図には三国境嵐峠と記され、日向国では箱峯、肥後国では賀子原山と。境の位置が推定だが地図からは国観峠とは別になると考え、標高点1488付近に推定しておく。詳細は不明、調査待ち。
有屋峠 ありやとうげ 大分県大分市大字佐賀関。旧佐賀関街道に面した山道。
石神越 いしがみごえ 大分県佐伯市大字青山。宮崎県境、佐伯市大字青山の黒沢と延岡市北浦町三川内の本口を結ぶ古道の峠、標高約466m。旧国境峠でもあるため天保国絵図にもその名が見え、「日向国にては黒澤越峯と申候」とある。
石建峠 いしたてとうげ 大分県日田市前津江町赤石。県道9号日田鹿本線から分岐してすぐ北側、渡神岳東側の登山口にあたる。
市井(櫟)峠 いちいとうげ 大分県佐伯市宇目大字南田原。北川ダムの南三角点402.4から東へ265頂の尾根線鞍部を旧国道326号線が越える地点と推定。峠地名、宇目町誌によれば江戸期からの地名。▼参考「宇目の木地師」戸髙厚司。
一石峠 いちこくとうげ 大分県日田市前津江町柚木。県道698号西大山大野日田線の日田市前津江町柚木柚木本村と同星払・出野を結ぶ間の峠。標高は凡そ900mの古道。▼同柚木本村地区は900m前後の山々に囲まれた小さな盆地にあるが、日田市街等へはこの698号線のみで、福岡県のうきは方面に出る方が早くて安全な場所でもある。▼周囲には鬼田(おんた)、テイラブチ、三春原(うらせばる)等の地名も気になるところ。
一人ヶ塔(峠) いちにんがとう 大分県宇佐市安心院町下毛。▼位置、読みともに推定で、九人ヶ塔の関連で出てくる名称。院内町二日市と安心院町木裳(きのも)を繋ぐ旧道、現在は県道42号・山香院内線で九人ヶ塔トンネルの二日市側にあったようだが掘削されているようで不明。旧地図の段階でもすでに隧道があり、この旧道の重要性が分かる。▼トウの古名が残る重要地名。
稲星越 いなぼしごえ 大分県竹田市久住町大字久住。登山道、沢水(そうみ)キャンプ場からのルートだが現在は通行止め。
犬鼻峠 いんばなとうげ 大分県国東市国東町成仏。県道652号線、成仏から赤根へ抜ける峠道。
打越 うちこし 大分県日田市天瀬町合田。▼位置は推定。旧地図には久保(旧は柚ノ木)から花香、大鳥へ2本の道がある。現地名でもあるのでおそらくこの坂一帯をさしたものだろう。
大戸越 うとんごし 大分県竹田市久住町大字有氏。男池からソババッケを経由して平治岳への登山道鞍部。
梅津越 うめづごえ 大分県佐伯市宇目大字南田原。県道45号宇目清川線、佐伯市宇目町南田原(みなみたばる)と豊後大野市三重町大白谷(おおしろたに)を結ぶ。旧道上書き、標高約445m。▼現況は切通しているため以前は別のルートがあったのかもしれない。▼西南戦争時の戦闘箇所でもあり、藤田五郎こと斎藤一も小隊を率いて戦ったようだ。
浦代峠 うらしろとうげ 大分県佐伯市大字木立。大野と浦代浦を結んだ江戸期にはあった古道の峠。現県道501号色宮港木立線の浦代トンネルの上。▼国木田独歩が大野から浦代峠を越え元越山へ登った。
榎峠 えのきとうげ 大分県佐伯市宇目大字千束。県道39号小野市重岡線の伏野間にある峠、旧地図でもすでにトンネルは開削済み、旧道が見えないため判然としないが推定位置の標高約280m。
江ノ浦越 えのうらごえ 大分県津久見市大字四浦。▼越地名。旧地図には西側尾根の鞍部を通る古道が見える。地元の人は「えんだごえ」と言ったと。▼周辺にも地図に残らない小さな山越え道は数多かったようで、江ノ浦から網代は網代越え、網代から福良は福良オバネ(尾根)、福良から日代は日代越え等があったという。
笈吊峠 おいずるとうげ 大分県中津市耶馬溪町大字川原口。福岡県境、九州自然歩道、犬ヶ岳と経読岳の尾根線。▼西に笈吊岩。
大峠 おおとうげ 大分県大分市大字沢田。大分市沢田と豊後大野市木浦内を結ぶ山道の峠。大峠トンネルが下を走る。▼東は雲ケ背岳、西は四辻峠、烏帽子岳へと続く平成パークライン。
大切峠 おおきりとうげ 大分県佐伯市宇目大字木浦内。佐伯市宇目木浦鉱山と佐伯市宇目大字南田原の真弓、桑の原方面とを結び、現在の峠付近は新たな林道の一部区間として上書きされている模様。▼峠から南に少し下ると天神原山登山口、千人間府、女郎の墓などへの分岐がある。
大久保越* おおくぼごえ 大分県臼杵市大字佐志生。▼旧地図より。JR日豊本線の佐志生トンネル上に当たる。尾根を越えた大分市大字木佐上だけでなく西へ藤ノ尾、御所峠、再進峠、九六位峠と九六位山からの尾根線上の道でもある。東の佐賀関方面へも続き天狗岩、樅木山、見尾から大分市大字白木へと至る道もあった。
大竿峠 おおさおとうげ 大分県中津市山国町槻木。福岡県境犬ケ岳西側鞍部、現登山道。▼求菩提山からの尾根道等、英彦山修験道との関連などの地名が多数残るので注意したい場所。
大峠山 おおとうげやま 大分県豊後大野市犬飼町柚野木。▼峠の山名。柚野木、於無礼、烏嶽、赤峰、大寒(おおそお)、黒坂等の地名が周囲に見える。
大原越 おおはるごえ 大分県佐伯市宇目大字大平。宮崎県境、佐伯市大字大平の大原地区と宮崎県延岡市北川町川内名柚ケ内、矢ケ内地区間の峠道。▼現在は林道が上書き、推定される最高所の標高は約490m程。天保国絵図にも記される古道だが、梓山を越える道(梓峠)が主要道らしく、大原越の線は細い。同絵図の豊後国では矢ケ峰峠と記されており、現在の地図で確認すると三角点でもある中ノ嶺を中心にいくつかの頂が見える。
大山峠* おおやまとうげ 大分県日田市大字大肥。福岡県境、三日月山、針目山の北。福岡県朝倉市杷木大山-同県朝倉郡東峰村大字福井。▼福岡県の宝珠山駅西に国境石群があり峠道入り口、峠までは県境をなぞるように道が続く。一部は大分県ではあるという程度。
小倉峠 おくらとうげ 大分県竹田市久住町大字栢木。県道30号庄内久住線に県道412号と県道669号が交わる交差点。
大石峠 おしがと 大分県日田市大字東有田。峠地名、県道672号戸畑日田線そば。古道は大石峠隧道で北の日向野へと繋がっている。▼旧地図では「おしがとー」、日田市老人福祉バス亭あり。▼周辺には月出山(かんとう)をはじめとして塔、戸、当地名が多数あり月出山(かんとう)岳と一尺八寸(みおう)山とともにト・トウ関連地名の重要地区。
大石峠 おしがとう 大分県中津市山国町守実。国道212号線、奥耶馬トンネル南の旧道(旧国道ではなかった)に大石峠隧道が残る。正確には「おしがと」もしくは「おしがとー」。
大石峠 おしがとう 大分県中津市山国町長尾野。集落の峠地名、峠道と同じく「おしがと」もしくは「おしがとー」が地元の人による。▼バス停や農業集落データセットなど公的な読みは「おおいしとうげ」となっている。
乙舞峠 おとまいとうげ 大分県日田市大字鶴河内。日田市大字小野皿山から西の乙舞峠を越えて小鹿田へ、次いで金剛野峠から福岡県朝倉郡東峰村大字宝珠山へと繋がる古道。東はガラメキ峠方面になる。
尾平越 おびらごえ 大分県豊後大野市緒方町尾平鉱山。宮崎県境、大分県緒方町尾平鉱山(字コシキ)と宮崎県高千穂町上岩戸(字常光寺坂)との境と。▼天保国絵図では尾平山町から日向国へ道があり三本松越(日向国・元禄絵図で確認)と記される。▼峠を越えた宮崎県西臼杵郡高千穂町大字上岩戸に鉾神社がる。祖母嶽大名神の下宮八社の一つとして県境鉾峠(尾平峠)に勧請したのが神社の起源といわれ、風難除けの守護神(台風除けの神様)として知られている。1736年(享保21)社殿再建の棟札がある。
鏡峠 かがみとうげ 大分県津久見市大字津久見。旧地図に残る峠地名、津久見市鍛冶屋-佐伯市床木、尺間山。▼江戸期佐伯藩の巡視の使った官道だが、庶民は東側の標高の低い竹越峠(たけのこ)を使ったという。鏡峠の由来は佐伯市(旧弥生町)床木側の少し下にキラキラと輝く石があり下から見ると光って見えたから(豊後国志にも記載有)というが、現在は爆破されなくなったという。県道36号佐伯津久見線の床木ダム上流で橋があり道があるが、旧地図でもここが竹越峠と鏡峠の分岐点であり茶屋場橋と呼ばれその名の通り茶屋があったという。
岳滅鬼峠 がくめきとうげ 大分県日田市大字小野。福岡県境、登山道、福岡県田川郡添田町大字英彦山-日田市小野。岳滅鬼山の西尾根に藩境石、三国境石がある。
囲峠 かこいとうげ 大分県佐伯市宇目大字木浦内。新百姓山と天神原山を結ぶ尾根線を木浦と藤河内を繋ぐ形で越えていく道程の峠。鉱山関連(各坑道抗等)の仕事道だったようで、現在は林道が更新しているため判然としない。指定位置は旧地図及び1963年版の国土地理院地図によるもので、現在は東側911頂を大きく迂回する形で林道がある。この現峠付近も切通がされているが、さらに東側の地点にも切通が見られ往時の開発の跡を思わせる。▼かつては犬流越や黒門山にある鉱山に行く道であったが伐採・植林により今は踏み跡を探すことも困難。横岳からのみるダツガタオ(駄積形尾)尾根また天神原の南には尾越・大平・火入・横平の旧坑名等、旧宇目町地域は多くの鉱山・山峠関連地名が残るので早めの収集をしておく必要性が高い場所である。
籠水峠* かごみずとうげ 大分県中津市山国町槻木。福岡県境、福岡県田川郡添田町大字英彦山-中津市山国町槻木。北の1071が鹿ノ角、南の1044が猫の丸尾。
陸地峠 かちじとうげ 大分県佐伯市直川大字仁田原。宮崎県境、佐伯市直川大字仁田原の黒沢地区と宮崎県延岡市北川町川内名の陸地地区との間の古道、現在は直川(赤木)ダムから陸地へと林道が整備されるが、峠付近のみ上書きで旧道は不明。標高は約515m。西南の役の激戦地のひとつで峠付近には今も堡塁跡や墓碑などが残る。
金ヶ峠* かながとうげ 大分県豊後高田市夷。国東市国見町赤根-豊後高田市夷。切通しの峠道が今に残るが旧地図には隧道が記されている。
金口峠 かなぐちとうげ 大分県竹田市直入町大字長湯。由布市庄内町阿蘇野十合野から竹田市直入町長湯に抜ける2本の旧道の北側、上田北方面への峠道。
鹿鳴越 かなごえ 大分県速見郡日出町大字藤原。旧古道、現登山道。東鹿鳴越・殿様道とも呼ばれ、最高部は東の峠とも呼ばれる。日出からは山香・立石方面へと至る。日出町の北で東西に尾根が伸びるこの山地は「鹿鳴越連山」とも呼び、鹿が鳴くほど厳しい道が由来とされる。
カバノ木峠 かばのきとうげ 大分県豊後大野市大野町代三五。三重町向野-大野町代三五の間の山道峠。
上腰越 かみこしごえ 大分県佐伯市本匠大字山部。▼越地名。南の下腰越(しもこしごえ)と共に考察すべきで、周辺には登尾(のぼりお)、山部(やまぶ)、松葉、平原、石峠山、大山。北の佩楯山を越えた旧三重町側には松尾、鷲谷、高屋。旧野津町側に出羽(イヅルハ)、白岩、女男岩等々の地名。
上峠* かみとうげ 大分県竹田市久住町大字有氏。由布市庄内町阿蘇野所小野から黒岳山麓を経て竹田市久住町有氏方面への峠道の鞍部。三尾越へも分かれ道がある。▼大船山・黒岳方面からは尾根が東に延びて庄内町阿蘇野と竹田市直入を分ける形となっており、多くの峠道があったようで、この上峠は最も西側であり、本峠や中峠の名称から見ても峠道群の最も上手にあったことからの命名ではないだろうか。恐らくは古い名称は別だったのだろうが、道の使用度が上がったためこれらの峠群の名称に影響を与えたのかもしれない。
通峠 かよいとうげ 大分県臼杵市大字末広。県道21号大分臼杵線、バス停あり。臼杵市大字田尻字過原2149先。旧北海部郡上北津留村大字末広の大将軍と大字田尻の通を結び、北は久六位峠へと至る。
ガラメキ峠 がらめきとうげ 大分県日田市大字小野。旧国境、日田市大字小野の仏来ノ山(ぶくのやま)の北東。中津市山国町槻木藤原と日田市小野方面を結んだ旧道。▼柳田國男によれば「百目鬼」「沢目木」などの「メキ」は沢や淵の流れ淀む様を表わした地名という。
雁股峠* かりまたとうげ 大分県中津市耶馬溪町大字福土。福岡県境、福岡県築上郡上毛町大字西友枝-中津市耶馬溪町大字福土。▼福岡県側はトンネル含めて県道109号福土吉富線が通るが大分県側は未開通。
川原内越 かわらうちごえ 大分県津久見市大字上青江。津久見市下川内と臼杵市川原内を姫岳の南側で越える峠道。県道204号津久見野津線が上書きする形。▼旧地図では隧道が見えるも幾度も崩壊し門のような短いものとなり、現在は開削されている。
城井峠 きいとうげ 大分県中津市耶馬溪町大字戸原。耶馬溪町戸原-落合、古道の峠道。
木の上峠 きのうえとうげ 大分県大分市大字木上。国道442号線の旧道、バス停名。▼東側地名に市、露(あらわす)、口戸、芹(世利)。
喜平越* きへいごえ 大分県佐伯市宇目大字木浦内。現登山道。
騎群峠 きむれとうげ 大分県竹田市会々。詳細位置不明。城跡等が残される。
臼津峠 きゅうしんとうげ 大分県津久見市大字徳浦。▼徳浦峠とも、位置は旧地図から推定。かつては人一人がやっと通れるだけの山道だったが、大戦前に軍用道路として臼津隧道が開通、臼津峠と名前も変わり国道217号に昇格した。現在の国道217号は西へ大きく移動し鎮南山東の津久見峠下を新臼津トンネルで結んだため、現在は県道217号線となっている。
鞍越峠 くらこしとうげ 大分県大分市大字志生木。▼位置は推定。
国観峠 くにみとうげ 大分県竹田市大字神原。宮崎県境、宮崎県西臼杵郡高千穂町五ケ所-竹田市大字神原、登山道。
九人ケ塔(峠)* くにんがとう 大分県宇佐市安心院町下毛。院内町二日市と安心院町木裳(きのも)を繋ぐ旧道。現在は県道42号・山香院内線に「九人ケ塔トンネル」があり、旧道にも「九人ケ塔隧道」と名前が残る。現在バス停名が国道387号線二日市ににある。隧道名にもトウが残っており、塔や峠があてられたのだろう。かつては手前にも一人ヶ塔(峠)があり隧道(旧地図にも存在)もあったようで、開発も早く主要道であったことが分かる。▼トウの古名が残る注意峠である。▼名称由来の伝承には 「田原紹忍の謀略があった。安心院麟生の長子千代松公糺に長男千代鶴丸があり七歳を迎えた。お祝と共に対面を妙見城に求めた.公糺の妻は実は紹忍の娘であった。妙見城で対面の帰途,大字香下字道舘で伏兵により暗殺された。付添いの家臣は豪の臣と見え、傷つきながら櫛野村の一人が峠まで逃れ主君の死を大音声で告げ絶命した。主君の帰りを今や遅しと待つ九人峠上の家臣は主君守護失敗の責任を取り一〇人中、一人は止むなく竜王城に戻ったが九人は腹かき切って失せた。」(安部正孝・「義人の路探訪」より引用)すなわち九人ヶ塔峠で九人が切腹し、一人だけが越えて帰ったから一人ヶ塔峠と。近くには安心院千代松丸碑もある。また他には,峠で田原軍と戦いこれを防いだ公糺とその家臣を寝返った同胞軍が背後から襲って殺害した峠が九人ヶ峠であったともいう。後日峠に死んだ九人を弔う九つの塔が建てられ、それが九人ヶ塔の由来となったいう説もある。▼宇佐郡誌には九人塔と記されている。▼安心院町史には「九人ケ峠の頂上近い所に明治二十年代に掘さくしたトンネルがあったがこれは用を充さず大正二年に現在使用しているトンネルが掘られて(後略)」ともある。
倉ヶ峠 くらがとう 大分県玖珠郡玖珠町大字古後。道の迫(どーのさこ)から東の七本木に向かう道の途中にある集落地名、旧地図にも七本木への道しかない。天保国絵図では「倉ヶ多尾」と記される。▼峠をとうと読む点には注意。また越は尾根越え道全体の意味が強そうで、峠(鼻や崎など)は鞍部なり頂だったり道の最高所や先端(境界)を意味していると思われる。
鞍峠 くらとうげ 大分県由布市湯布院町塚原。天保国絵図に飛など山(雛戸山)の東にあるが詳細位置不明、鞍峰(豊後国志より)とも。旧地図にはこの西側を古道が走り塚原と天間・須崎を結んでいたように見える。峠=峰の形式だろうが、位置は西側の標高点713かもしれない。豊前豊後の国境にあたり蔵峠東の喉石からは津房川の中央が国境となる。
九六位峠 くろくいとうげ 大分県大分市大字広内。大分市広内と臼杵市田尻の間にある県道21号大分臼杵線の峠。東西に延びる尾根道と大分市大字広内と臼杵市大字田尻を結ぶ道が交差している。▼白木峠(白城峠)茶屋址が臼杵市により紹介されているが詳細不明。臼杵氏の街道研究に通峠から白木(白城)峠を越え広内へという記述がありので、久六位峠の別名かと思われる。東に白山あり、由来に関わるか。
黒仁田峠 くろにたとうげ 大分県中津市耶馬溪町大字川原口。福岡県境、九州自然歩道の経読岳と小屋ヶ岳の鞍部、黒仁田山とも。
黒土峠 くろつちとうげ 大分県佐伯市宇目大字重岡。佐伯市宇目大字重岡蔵小野方面から南へ、水ケ谷手前で梓峠へと至る古道、現在は林道としても整備されており、標高543m。▼天正期の豊薩戦争、西南戦争の古戦場でもある。
合野越 ごうやごえ 大分県由布市湯布院町川上。現正面登山口からルートに西登山口からの合流点で、そのまま由布岳西峰と東峰の鞍部に出る。分岐は「マタエ」と呼ぶ。参考 由布岳に登ろう。
越木原* こしきばる 大分県大分市大字志津留。▼越地名。
御所峠 ごせんた 大分県臼杵市大字岳谷。県道205号臼杵坂ノ市線の峠。▼wikiにもあるように「ごせんたお」、「ごせんとうげ」、「ごせんた」、「ごしょとうげ」、「みせんた」など読みは色々ではっきりしないが、「ごしょとうげ」は大分市報からの引用のようで新しい読みかと。▼峠を意味する「た」もしくは「たお」は大分にもあったのかと♪▼1914の大分市詳細地図には「御所(ごせん)多尾峠」の記載がある。
古峠 ことうげ 大分県中津市耶馬溪町大字川原口。福岡県境、九州自然歩道の雁股山と経読岳の鞍部。新古峠は東へ少し。
小鳥越(峠) ことりごえ 大分県中津市三光下深水。中津市三光下深水久保と宇佐市大字赤尾本谷方面を結ぶ旧道、現廃道。▼キリズシ隧道の知名度が高く、小鳥越えの負担軽減のため天保10年(1839)に作られた掘割が通行に利用されこれを「キリズシ」(切通しの意)と呼び、明治3年その10m下に「キリズシのトンネル」と呼ばれた隧道が掘られたという。
駒鳴峠 こまなきとうげ 大分県佐伯市宇目大字小野市。宇目大字小野市中津留方面と宇目大字重岡蔵小野を結ぶ、標高約330m、峠東側三角点362.9。▼豊薩戦争時に南の蔵小野砦とともに駒鳴砦があった。
金剛野峠* こんごうのとうげ 大分県日田市大字鶴河内。福岡県境、県道107号宝珠山日田線、福岡県朝倉郡東峰村大字宝珠山(ほうしゅやま)栗木野-日田市鶴河内小鹿田(おんた)。
再進峠 さいしんとうげ 大分県大分市大字久土(くど)。大分県大分市市尾と臼杵市藤河内の間にある県道205号・臼杵坂ノ市線の峠。
桜峠 さくらとうげ 大分県宇佐市大字山口。八面山の南東。現在は中津市側の寺川内(旧:螻川内・きゃらかわち)と宇佐市側の山口を結ぶ県道44号宇佐本耶馬渓線に「桜隧道」と名前が残る。▼この隧道は宇佐市民図書館によれば昭和9年3月に竣工式の写真があり、重要な道であったことを窺わせる。旧地図にも隧道が見え古道や峠の様子は今一つ分からない。▼近くに万里(まて)という地名有。また、心霊スポットしてwebにもその名が見える。
山岌越* さんぎゅうごえ 大分県竹田市直入町大字上田北。由布市庄内町野畑加倉(旧地図では鹿倉)から竹田市直入町方面への道。東の竹本越、他多数の地区に道が分かれる。現地図では阿蘇野川を渡って谷筋に取り付くように記されているが、旧地図で見る通り加倉集落前の橋を渡ってからの道が正しかったのだろう。
地蔵峠 じぞうとうげ 大分県宇佐市大字麻生。中津市本耶馬渓町東谷貝塚から宇佐市大字麻生や同院内町小野川内田ノ平等への旧道の峠、地蔵様が安置されている。▼現在は鹿嵐山登山道へも続き、地蔵峠の景として宇佐市が紹介する絶景ポイントでもある。
地蔵峠 じぞうとうげ 大分県杵築市山香町大字山浦。大分県杵築市山香町大字山浦と同大字向野(むくの)の間にある古道の峠。峠には古くから地蔵菩薩(天明五年乙巳年(1785年) 定野尾村の銘)が祀られており、峠の名はこれに由来。現在は荒れてこそいるものの歩行も可能の模様。日出町と旧山香町を結ぶ主要道であったらしく、以前の立石峠は難所であって現在のようになるまでは人の往来ならこの地蔵峠の方が楽であったともいう。▼地蔵峠が盛んに通行された頃は、山浦と向野は交流が盛んで踊りが似通っているのに対して、向野と立石とではまったく異なる。これは、古来、立石峠を利用しての向野・立石間の交流よりも、地蔵峠を利用しての向野・山浦間の交流のほうがずっと盛んであったことを如実に示している。▼勢場ケ原の戦いの跡地でもある。
地蔵峠 じぞうとうげ 大分県国東市国見町赤根。旧地図より、県道31号山香国見線、地蔵トンネル上。
師田ノ木峠 しだのきとうげ 大分県豊後大野市大野町中土師。旧大野町の中土師-師の間、田原県道41号大分大野線。▼周囲には十時(ととき)、水ヶ田尾、岩杉、長尾、木浦内といった地名が見える。
篠生峠 しのおとうげ 大分県大分市大字志生木。位置は推定。
芝やかた(館)峠 しばやかたとうげ 大分県玖珠郡九重町大字町田。柴館峠は九重町の地蔵原から宝泉寺温泉に抜ける県道680田野宝泉寺停車場線にある。
清水越 しみずごえ 大分県宇佐市大字今仁。宇佐市大字清水と中津市三光上秣を結ぶ県道666号線に清水トンネルの名称が残る。旧地図でも現大字上秣出口へとすでに隧道や道が見られるが、183の頂を迂回する旧道が見えるので、その鞍部を推定地としておいた▼三光村誌にある。
下越* しもごえ 大分県中津市耶馬溪町大字樋山路。樋山路川沿いの道にあるバス停にも下越として地名がある。擲筆峰(てきひっぽう)から北への尾根を越えて中津市耶馬溪町大字栃木方面への峠道だったのだろう。
蛇越 じゃこし 大分県由布市湯布院町川西。蛇越峠とも記されており、現県道11号線沿いに蛇越展望台、南南西の1024の頂を蛇越岳ともある。ただし詳細な位置は不明で、指定の位置は現蛇越展望台。旧地図の道路は現県道11号線に上書きされている。▼蛇越はその名の通りの伝承が残されており、立石岩もあるという。
宿ヶ峰尾峠 しゅくがみねとうげ 大分県日田市中津江村合瀬。熊本県境、県道9号日田鹿本線、熊本県山鹿市菊鹿町矢谷-日田市中津江村合瀬。三国山の登山口、不動明王が祀られている。▼天保国絵図には宿峯記載があるが位置・関係等は不明、今後肥後国との国境地名は要確認事項。
城ヶ谷峠 じょうがたにとうげ 大分県杵築市大字岩谷。県道405号成仏杵築線が上書きする古道、杵築市大字岩谷方面と国東市安岐町矢川方面を結ぶ、標高約256m。▼峠には集落があり城ヶ谷バス停も、往時は茶屋や馬小屋などがあったのだろうと想定できる。
新古峠 しんことうげ 大分県中津市耶馬溪町大字川原口。福岡県境、九州自然歩道の雁股山と経読岳の鞍部。古峠は西側。
諏峨守越* すがもりごえ 大分県竹田市久住町大字久住。登山道、玖珠郡九重町大字田野の大曲登山口で三俣山と硫黄岳の鞍部にあたる。
杉ケ越 すぎがごえ 大分県佐伯市宇目大字木浦内。宮崎県境、大分県佐伯市宇目木浦内と宮崎県日之影町見立との間にある県道6号日之影宇目線の峠で現在は杉ケ越トンネルが繋いでおり、旧道は現登山道。トンネル宮崎県側出口の脇から旧道が伸びており鞍部標高は約940m。▼傾山と新百姓山登山道分岐のすぐ近くには杉囲大明神神社があり、峠の由来となった巨杉の切株を残す。峠の歴史は古いものの尾平越や九折越(つづらごし)と同様に鉱山で発達した峠道である。
銭瓶峠 ぜにがめとうげ 大分県由布市挾間町七蔵司。県道51号別府挟間線。▼銭瓶石、通称かんかん石や道標石も置かれている。西の鳥越峠と共に由布市狭間町と別府市の境界。
宗太郎越 そうたろうごえ 大分県佐伯市宇目大字重岡。宗太郎峠とも言い江戸期には既に存在、天保国絵図に峠は見えないが惣太郎川と記される。大分県佐伯市宇目大字重岡の宗太郎地区と宮崎県延岡市北川町川内名の松葉・矢が内両地区を結んだ古道、現在は林道だが通行は難しい。▼鞍部には立派な切通と「享保十一年」の銘がある供養塔もあり、標高は約295m。旧地図(昭和7年頃)でも既に現鉄道と国道らしき道が見えるものの重岡駅以南には集落等が見えず、交通の難所であったことがうかがい知れる。▼宗太郎から下る鐙川下流で切込川の合流点が県境で現在地図で地名は見えないが、天保国絵図には山出のはき(吐き)と記される。
曽家峠 ぞけとうげ 大分県日田市前津江町赤石。日田市中津江村合瀬と同前津江村赤石を結ぶ旧道の峠。集落名由来の峠か。
代太郎峠* だいたろうとうげ 大分県玖珠郡玖珠町大字戸畑。古道、玖珠から高塚を経て日田方面を結ぶ重要な道だったと。
竹原峠 たかはらとうげ 大分県日田市中津江村合瀬。福岡県境、日田市中津江村合瀬鯛生と福岡県八女市矢部村北矢部竹原(たかはら)を結ぶ旧道の峠。現在は国道442号竹原峠道路として整備され竹原峠トンネルが貫いている。
竹越峠 たけのことうげ 大分県津久見市大字津久見。旧地図に残る峠地名。津久見市-佐伯市間、県道36号佐伯津久見線彦岳トンネル上。古道は211.4の水準点と水準点267とを南北に結び、彦岳から西への尾根線上の道と交差する鞍部で、そのまま西進すれば籠峠へと至る。▼彦嶽神社の参道でもあったと思われ、現在も石灯籠や鳥居がある。明治以降は官道であった鏡峠よりも手入れが行き届いたらしく大正末までは茶店も三軒あったようで、鏡峠を通る人は少なくなったという。▼彦岳から尺間山の尾根道上でもあり、山岳信仰や修験道との関連から抑えておきたい古道でもある。
竹本越* たけもとごえ 大分県由布市庄内町柿原。由布市庄内町柿原から竹田市直入町大字下田北小津留方面への峠道。
田代峠* たしろとうげ 大分県日田市大字鶴河内。田代山の西、田代から宮尾、東見寺方面を繋ぐ古道の峠道。
立原峠 たつはらとうげ 大分県日田市前津江町柚木。旧地図には前津江町大野座目木と柚木(ゆぎ)星払を結ぶ古道がある。
立石峠 たていしとうげ 大分県杵築市山香大字立石。旧豊前国境、現国道10号線の立石と向野を結ぶ。▼国道10号だけではなく、その北側にある薫石(ふすべいし)を経由する市道があり、車道開通以前の立石峠はその市道と国道10号とのちょうど中間にあった。向野には豊後国と豊前国との境界を示す「国境碑」が立っており、立石峠は地蔵峠(後述)と並んで豊後の玄関口であった。
狸峠* たぬきとうげ 大分県別府市大字南畑。現登山道、旧古道か。
太郎浦峠 たろううらとうげ 大分県日田市前津江町柚木。県道698号西大山大野日田線、太郎浦トンネルが峠下を走る。集落地名もあり。旧地図では太郎浦(たろう‐ら)と記される。
チシャノ木峠 ちしゃのきとうげ 大分県杵築市大田俣水。大分県道34号豊後高田安岐線、杵築市の大田波多方と大田俣水を結ぶ峠道、標高約265m。「チシャノキ峠」、「苣ノ木峠」とも記し、最高所から俣水側に少し下れば巨石探検道や横岳権現様のある横岳自然公園への分岐点もある。
千怒越 ちぬごえ 大分県津久見市大字津久見。大字津久見にあるのだが、大字千怒が272.7三角点を挟んで東側にあり、旧地図では旧道が現千怒越トンネル上を東西に横断している。江ノ浦越と合わせてみると同様の地名命名なのかもしれない。
茶屋峠 ちゃやとうげ 大分県臼杵市大字久木小野。臼杵市久木小野-落合の間に残る江戸期以降には見られた古道。岡城路と府内城路を障子岩~田尻でつなぐ間道の一部で、久木小野~落合に限って地元の人が殿様道と呼ぶ。▼かつて岡(竹田)藩の中川候が参勤交代の折に通ったという落合地区の伝承による。(臼杵市公式サイトより)
津井越 ついごえ 大分県津久見市大字網代。津久見市網代-佐伯市津井浦。国道217号津井トンネル上の古道の峠。
塚原越* つかはらごえ 大分県別府市明礬。現登山道、旧古道か。▼鍋山方面に下ると兎落としと呼ばれる地名有。
津久見峠 つくみとうげ 大分県津久見市大字上青江。津久見市蔵富-臼杵市内畑の間にあった旧道峠、427.1三角点には峠の看板がある。江戸期に津久見市は臼杵藩と佐伯藩に二分されていており、両藩から津久見への古道は重要でありこの津久見峠は臼杵藩からの主要道でもあった。「豊後国志 巻五」には、津久見嶺とも見える。▼津久見市側には、高登山(カウノボリ、現IC付近)、平岩、蔵富、鬼丸、岩屋口等の地名。
九折越 つづらごえ 大分県豊後大野市緒方町上畑。九折-宮崎県西臼杵郡日之影町見立方面の峠道。傾山の登山ルート、祖母傾の縦走路上。▼地理院地図等には無いが、三ツ尾、三つ坊主、センゲンダイラ等、他にも山地名を抑えておきたい場所。
椿ケ鼻 つばきがはな 大分県日田市前津江町柚木。旧地図に示された位置、現在椿ケ鼻地域雨量観測所がある場所からは西側。日田市前津江町大野方面から日田市中津江村合瀬梅野や八女市矢部村北矢部上御側への旧道があった。矢部方面で最初に至るのが「コズミトコ」で現在は足掛地蔵様があるのみという。▼山地名にも鼻のある恒例かと。釈迦岳から東に延びる尾根線の鞍部でもあり、もしくは大野方面からの最高所等の意味であったのかもしれない。
とうげ 大分県大分市大字中戸次。旧大分郡吉野村と旧同郡戸次村との村境。▼西側の大野川右岸沿いには、尾津留、島(旧⇒嶋)、谷、嶺向、嶺、大塔、上り尾と地形由来と思える地名が連続、旧吉野村へと進むと奥、辻と単純な地名が多くみられるのも特徴か。
とうげ 大分県大分市大字三芳。▼旧地図より。
とうげ 大分県杵築市山香町大字内河野。▼旧地図より。
轟峠 ととろとうげ 大分県佐伯市大字青山。トンネル南出口側に同名のバス停があるが、旧道の鞍部ではないだろうか。旧地図に残る。
虎御前峠 とらごぜんとうげ 大分県大分市大字佐賀関。史跡の標柱あり、古道峠はここから入るようだ。『佐賀関町史』には五輪塔があると記載されるも現在は見当たらない。虎御前の供養塔だったのだろうと。一字一石塔(明和8年(1771)年の塔に、為往還衆人自書妙経の銘あり)3基と、地蔵経塚が残される。
鳥越峠 とりごえとうげ 大分県別府市鳥越。由布市挾間町七蔵司と別府市赤松の間にある県道51号・別府狭間線の峠。地名も峠も両方残っている例。
中峠 なかとうげ 大分県由布市庄内町阿蘇野。由布市庄内町阿蘇野伊小野から竹田市直入町長湯柚柑子(ゆこうじ)方面に抜ける峠道。
中ノ谷峠 なかのたにとうげ 大分県臼杵市野津町大字垣河内。佐伯市大字尺間-臼杵市野津町大字垣河内の間、現在は国道10号線中の谷トンネルが下を走る。
中山峠 なかやまとうげ 大分県佐伯市大字池田。現在は県道37号佐伯蒲江線のトンネルが走る。天正期豊薩合戦の際に堅田合戦が行われ、防衛側の佐伯氏が最初に本陣を置き、その後波越峠に移したとされる戦地址。
鍋割峠 なべわりとうげ 大分県竹田市久住町大字有氏。登山道、沢水(そうみ)キャンプ場から朽網分かれを経て鍋割坂を登り鍋割峠へと至る。鍋割峠からは佐渡窪を経て鉾立峠へ。窪地は鍋とも呼ぶ(三俣山にも同例あり)ため佐渡窪を鍋に見立てそれを割って下る地形故に鍋割峠と言うのだろう。
生木峠 なまぎとうげ 大分県佐伯市宇目大字木浦内。佐伯市宇目大字木浦鉱山と同大字木浦内御泊を結ぶ、現在は林道が迂回路としてあり旧道の峠、標高は約543m。
波越峠 なんごとうげ 大分県佐伯市大字堅田。波越(なんご)と西ノ平を結ぶ天正期からの古道峠。豊薩戦争時の堅田合戦の際佐伯氏の本陣がひそかに移されたとされる場所。
西鹿鳴越 にしかなごえ 大分県杵築市山香町大字広瀬。▼越地名、旧地図には集落も地名も見えない。北から鹿鳴越へ至る道上にある集落名。
西鹿鳴越 にしかなごえ 大分県速見郡日出町大字豊岡。東の鹿鳴越に対しての峠道名。ザビエルが通ったというのはこちら。最高部は西の峠とも。
野峠 のとうげ 大分県中津市山国町槻木。福岡県境、国道500号線、京都郡みやこ町犀川帆柱-中津市山国町槻木。槻木峠とも。
乗越 のりこえ 大分県杵築市山香町大字小武。山香町大字小武越井(こい)と大田波多方乗越の間、旧地図に見られるともに古道が見えるが既に廃道の模様。乗越、越井ともに峠道由来地名の名残かと思われる。今は県道31号山香国見線が西を迂回、波多方トンネルからの県道41号と合流する。▼杵築市大田波多方の石丸川沿いに山香道という道地名が残る。白川稲荷大明神(九州三大稲荷)もある。
走水峠 はしりみずとうげ 大分県国東市安岐町両子。古くから交通が多かったと思われ、現代では多数の県道が入り乱れ、旧道下に走水トンネルがある。東の走水観音が由来だろう。観音様には湧水がある。
旗返峠 はたがえしとうげ 大分県佐伯市宇目大字小野市。佐伯市宇目大字小野市-豊後大野市三重町奥畑の間、県道706号伏野宇目線。▼宇目町史には、「旗返の名は天正14年(1586)の豊薩の戦いに由来するという。すなわち、この峠を大友軍の抵抗なく通過し豊後国に侵入した薩摩軍は、翌15年の退去では大友軍の追撃と地元奥畑勢の襲撃を受け、薩摩勢が旗を巻いて宇目町に退去したのでこの名があるともいい、また、奥畑勢が旗を巻いて退去したとも伝える。江戸期は殿様道ともいわれ、岡藩 (竹田藩)の御郡廻り(領内視察)、木浦鉱山の鉱産物輸送などに利用された。『豊後国志』には「畠返嶺」として、「宇目郷奥畠村の東にあり、山勢峻嶮、迂曲盤登一里余。下り亦一里余。官道 岡より佐伯に達す」とある。また、西南戦争での薩軍の累跡が残る。現在、峠にかかる道は荒廃しており、ほとんど利用されていない」とある。また畠返峠ともいう。
波多方峠 はだかたとうげ 大分県杵築市大田俣水。旧杵築市と旧大田村の境、現大田俣水(またみず)、標高約420m。県道49号太田杵築線の旧道峠、新道には波多方トンネルが開削されている。旧大田村波多方として残る地名由来の峠名か、以前は「羽田方」とも記された。▼波多方峠を中心にして、北に平山、芋尾、東に尾迫、南に尾上(おかみ)、船部、西に三尾平と山地由来の地名と思われるセットがしっかり揃った場所である。
八町越* はっちょうごえ 大分県玖珠郡玖珠町大字帆足。大岩扇山と小岩扇山の鞍部にあたり、参勤交代の街道であった。八丁坂とも記される。
八丁越 はっちょうこし 大分県豊後大野市緒方町尾平鉱山。現在は白水からの登山道。大障子岩の南西尾根。竹田市と豊後大野市境界。
鼻繰峠 はなぐりとうげ 大分県中津市耶馬溪町大字山移。天領日田の代官や豊後森藩の殿様が使った代官道路だとか。鼻峠とも言い、“鼻繰岩”が万年山の一角にもある。参考(http://ooitanoyama.in.coocan.jp/sub3585.html)
鼻牟礼峠 はなむれとうげ 大分県玖珠郡玖珠町大字日出生。日出生台の演習場近くであり牧場関連の作業道でもあるため関係者以外は立ち入り禁止とされているようだ。
張弓峠 はりまとうげ 大分県佐伯市蒲江大字丸市尾浦。浦ノ迫-葛原間の古道峠だったが、県道122号線が海岸線沿いに開通し旧道化、現在は新道が葛原トンネルとして旧峠直下を走る。
日平峠* ひびらとうげ 大分県玖珠郡九重町大字町田。九重町町田バーネット牧場の南側、九州自然歩道と舗装道の合流点から少し上側。
日向越 ひゅうがごえ 大分県別府市大字東山。登山道、由布岳東登山口から日向岳と由布岳東峰への分岐となっている。
兵戸峠 ひょうどとうげ 大分県日田市上津江町上野田。熊本県境、国道387号兵戸トンネル上の旧道峠、切通し。日田市上津江町と熊本県菊池市の境にある標高約680mの峠。日田市上津江町では菊池市との往来が昔から盛んで、峠の名前も日田市上津江町兵籐と戸豊水村(現菊池市)の地名が一緒になったことに由来すると言われる。現在は国道387号が通っている。参考(https://www.pref.oita.jp/site/archive/201447.html)▼ヒョウとトの音には注意すべきか。▼熊本県側に山伏と書かれた鳥居がある。
福土峠 ふくつちとうげ 大分県中津市耶馬溪町大字福土。福岡県境、県道111号東上戸原線、九州自然歩道で大平山へ。岩屋峠とも。
吹原峠 ふきわらとうげ 大分県佐伯市大字長谷。佐伯市直川大字赤木の吹原と同市大字長谷の轟(とどろ)の間、旧地図にも既に轟トンネルが開削済み、県道603号赤木吹原佐伯線の峠、古道推定地の標高約151m。吹原には冨尾神社あり。轟峠と思われる場合有。
府坂峠 ふさかとうげ 大分県佐伯市大字長谷。堅田川と大越川が迫った丘陵の狭間の道。天正期豊薩合戦の際に堅田合戦が行われ、最終決戦により数多くの島津方が討たれた戦地址。
伏木峠 ふしきとうげ 大分県日田市大字花月。峠と呼ばれているが伏木地区に登る標高400mほどの道。日田と中津を結ぶ中津街道上で、一番の難路と言われている。江戸時代に敷かれた石畳が今も残っている。現在は峠の南側に国道212号線が奥耶馬トンネルを通っている。旧国道であったが現在は県道720号日田山国線。
鉾峠 ほことうげ 大分県由布市庄内町渕。▼天保国絵図より、熊牟礼山と立石山のすぐ西に記されるが詳細位置不明、名称も不明瞭。確認のため記しておく。
鉾立峠 ほこたてとうげ 大分県竹田市久住町大字久住。登山道、立中山と白口岳そして法華院温泉・坊ガツルへの分岐。
本峠 ほんとうげ 大分県竹田市直入町大字長湯。由布市庄内町阿蘇野十合野から竹田市直入町長湯に抜ける2本の旧道の南側、竹田市直入町久保、沢水(そぉず)への峠道。旧地図によれば金口峠、中峠へも通じ、旧長湯村と旧阿蘇野村の主要道であったかもしれない。
牧ノ戸峠 まきのととうげ 大分県玖珠郡九重町大字田野。くじゅう連山登山口として知られる。別に牧ノ戸地名あり。
万次越* まんじごえ 大分県佐伯市宇目大字木浦内。1241の頂か1200の道かは不明。
見明峠 みあかりとうげ 大分県佐伯市宇目大字塩見園。佐伯市宇目見明と直川大石の間にある県道609号・上爪塩見園線の旧道にある峠。見明の地名も見え、集落由来の峠地名。▼集落由来の峠地名とは、主要地点や場所からの進む方向にある集落を目指す行程を暗示させる命名。
三尾越* みおこし 大分県竹田市直入町大字長湯。詳細不明。竹田市直入町大字長湯柚柑子(ゆこうじ)から尾根線を北上し北西の上峠を経て由布市庄内町阿蘇野所小野へと至る道がある。
三国峠 みくにとうげ 佐伯市宇目大字小野市
水越峠 みずこしとうげ 大分県佐伯市宇目大字大平。大字大平の伏部野・菅とJR重岡駅・大原を東西に繋ぐ古道、現在は水越隧道が開削、旧道からの推定位置標高約290m。
水分峠 みずわけとうげ 大分県由布市湯布院町川西。国道210号線、玖珠郡九重町大字野上と由布市湯布院町川西の間。大分川と筑後川の分水嶺としても有名。旧道は槐木(にがき、旧=にがのき)から畑倉へと迂回しているが車道だろう、より古い道は槐木から谷筋を登っている。
水谷峠 みずたにとうげ 大分県国東市国見町赤根。県道504号文殊山浜線、国東市国東町岩戸寺-同市国見町赤根。
峰越 みねごえ 大分県竹田市久住町大字栢木。▼越地名。古道で四辻を形成し、地蔵様(?)が祀られている。
薬師峠* やくしとうげ 大分県中津市山国町槻木。福岡県境、福岡県田川郡添田町大字英彦山-中津市山国町槻木。英彦山、鷹巣山の登山道入り口。国道500号線合流から野峠方面へ向かうと鷹巣薬師地蔵尊が祀られている。
矢部越* やべごえ 大分県日田市前津江町柚木。福岡県境、旧道だろう、現釈迦岳方面への登山口。
四浦越 ようらごえ 大分県津久見市大字四浦。南の旧上浦町長田と北の津久見市久保泊、刀自ケ浦を結んだ古い山道。昭和30年代頃までは地元民がよく往復したようだ。また北の四浦むねとも読んだらしく、古い形なのか方言か気になるところ。
四辻峠 よっつじとうげ 大分県大分市大字荷尾杵。県道26号三重野津原線、豊後大野市大野町藤北-大分市大字荷尾杵(におぎ)。周辺の大分市(旧野津原町)側に尾迫、猿掛、高沢(たかそー)、荒木(あらこ)あり。
湧蓋越 わいたごえ 大分県玖珠郡九重町大字湯坪。熊本県境、熊本県阿蘇郡小国町大字上田との境界。
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