宮崎県の峠地名 越・坂を含めて

宮崎県の峠

国土地理院地図を中心に宮崎県内の○○峠、△△越、××坂等の地名を収集し一覧に。
自然地形地名から伝承・語源・祖型等を探り、地名・方言研究の一助になればと。
九州地方 峠・越地名地図付き♪

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宮崎県の峠地名一覧

宮崎県の峠確認用地図:九州地方 峠・越地名地図

【凡例】
※ 地名の読みの*付きは推定・未確認を含む。
※ 行程が地図上にて明瞭でなく集落地名のみと思われるような越・坂地名は一部を除いて記載していない。

峠地名 読み 位置・行程他
赤坂 あかさか 宮崎県西都市大字三納。元禄国絵図より、位置は大凡の行程から推測し示している。▼児湯郡加瀬村から同三財村を対岸に見つつ尾根上を行く。現寒川ダム手前付近から国見山にかけて嶺通り(尾根筋)が旧国境となり古道はそこを進み肥後国内之畑谷村(現西米良村内之畑・うちのこば)に至る。
明石峠 あかしとうげ 宮崎県延岡市北浦町三川内。大分県境、大分県佐伯市蒲江大字丸市尾浦-延岡市北浦町三川内。▼古道の峠であったようで西南の役の古戦場址、南に国道388号線が開通。国絵図には掲載されておらず、当時は北西の石神越(黒沢越)の方が主要であったと思われる。
浅ヶ部越 あさかべごえ 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字下野。高千穂町大字下野-同町大字三田井を結んだ古山道、大字三田井の浅ヶ部が由来だろう。高千穂町旧西臼杵郡高千穂町と旧同郡上野村の村界。
梓峠 あずさとうげ 宮崎県延岡市北川町川内名。大分県境、旧官道、日向街道、梓坂、梓山、国見峠とも。佐伯市宇目大字重岡水ヶ谷の手前から三角点725.1を目指す、峠には『碑あり。豊日の界を標す』という、指定位置は推定で八戸方面へと尾根に沿って下る。豊後と日向を結んだ最も主要な街道であったが、明治初めに大分県の赤松峠が本道に指定されその役目を終えた。峠から八戸方面への尾根筋に道があったようで、二本杉(豊後杉・日向杉)と梓大明神があり、大向(おおむかい)集落への下り道には馬立場、水場、茶屋等があったという。かなりの難所で隈と呼ばれた狭い場所が続くため「生首ヶ谷」とも言い、西側への別ルート(大峠、くすの木峠)もあった。江戸期の旅日記などでは、往来する人も少ない寂しい場所であった等の記述もあり、大分からだと梓峠を避けて竹田方面から大きく迂回する人もいたという。
愛宕越 あだんこえ 宮崎県日南市大字酒谷乙。▼越地名。旧地図では標高点135.0を迂回する尾根路が見えるため、越路名としてあったものと推定しておきたい。▼愛宕だが、周囲に瀬田尾野(せとがん)、川辺ヶ野(くべがん)とあることからも元々は「あだがん」もしくは「あどがん」であったものが変化した可能性もあり、愛宕という目的地由来の越路だったとも考えられる。
飯干峠 いいぼしとうげ 宮崎県東臼杵郡諸塚村大字七ツ山。国道503号、西臼杵郡五ヶ瀬町大字三ヶ所(さんがしょ)尾平-東臼杵郡諸塚村大字七ツ山飯干。
飯干峠 いいぼしとうげ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字大河内。国道265号線、高塚山と飯塚山の鞍部を越える。▼元禄国絵図には大河内村から葉木村、旧木俣村、狩底村への道に高塚越えと記される。行程自体が同様かは不明だが進行方向的には同じと思われる。
軍谷峠 いくさだにとうげ 宮崎県小林市須木奈佐木。国道265号、小林市須木奈佐木-同市須木下田。旧地図によれば国道旧道側に軍谷隧道があり峠はさらにその上の古道となる。奈佐木方面からだと峠を越え軍谷川にそって下田の軍谷へと至る道。新軍谷トンネルも走るがそれは麓越の下となる。▼日向地誌には軍谷越が小林往還とされており、東の麓越が間道。
石神越 いしがみごえ 宮崎県延岡市北浦町三川内。大分県境、大分県佐伯市青山-延岡市北浦町三川内、現林道。元禄国絵図によれば豊後国では石神峠、日向国では黒沢越、また天保国絵図(豊後国)では日向国では黒沢越峯とある。推定される古道は、延岡市北浦町古江⇒古江越(神子山の東)⇒イヤザメ⇒仏の越⇒延岡市北浦町三川内⇒本口⇒本口谷⇒黒沢越(石神越)⇒播磨谷⇒大分県佐伯市大字青山黒沢。
石越 いしごえ 宮崎県東臼杵郡美郷町西郷田代。東臼杵郡美郷町北郷宇納間-同町西郷田代。
石坂 いしさか 宮崎県宮崎市清武町今泉。県道340号大戸野清武線。▼坂地名。古地図によれば、石坂地区より凡そ1.2km程下流の水無川から同右岸斜面沿いに道が走り尾根に出るかそのまま上流の大戸野越へと至る。
石峠 いしとうげ ▼坂地名。東臼杵郡美郷町北郷宇納間。▼旧地図より、延岡から諸塚へ尾根上を辿る旧往還、崘出山(ろんでやま)の東に位置し北の日之影町大山・尾越方面からの道が合流する。
一里山峠 いちりやまとうげ 宮崎県児湯郡西米良村大字板谷。▼現在は林道が走る。旧地図による古道は西米良村大字板谷上板谷から北尾根を進み一里峠へ、その後は尾根には出ずに北斜面をトラバースしながら横谷峠へと道が続いている。
井戸内峠 いどうちとうげ 宮崎県児湯郡西米良村大字竹原。児湯郡西米良村大字小川木浦と児湯郡西米良村大字竹原(たけわら)井戸内間の古山道。木浦から東には日平越があり、西米良村北部を横断する道の一部だったと考えられる。
岩戸越 いわとごえ 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸。高千穂町の大字下野宮原と大字岩戸寺尾野を結ぶ古山道。神話アグリロード、岩戸坂トンネルが峠の下を走る。旧西臼杵郡岩戸村と同上野村の村界。
牛の峠 うしのとうげ 宮崎県北諸県郡三股町大字樺山。日南市大字酒谷甲-北諸県郡三股町大字樺山。旧地図には牛ヶ峠とある古山道の峠。
打越 うちこし 宮崎県西都市大字尾八重。▼越地名だが旧地図によると重要交差点に見える。位置は旧地図の古道からの推定。現樅木尾集落の直ぐ北西にあった。
杔原越 うつきがはるごえ 宮崎県西臼杵郡日之影町大字見立。旧地図の古道ルートは、西臼杵郡大字岩戸布城から赤水手前で湾洞越の分岐し、峠を越えて同郡日之影町大字見立下鶴へ。「ウツキガ越」とも表記。
宇都越* うとごえ 宮崎県小林市須木鳥田町。旧諸県郡須木郷須木村堂屋敷からは国境を越えて肥後国球磨郡槻木谷へと至る。▼天保国絵図より、旧国境、位置は推定。赤木山の東鞍部を越えるルートを想定したが、赤木山の西尾根から高滝山へと行くルートもある。
大戸越 うとんこし 宮崎県児湯郡都農町大字川北。旧地図の古山道は、児湯郡川南町大字川南細と児湯郡木城町大字石河内蔭谷(かげんたに)の間が主道だが、児湯郡木城町大字高城新岩戸から北への尾根筋に沿った道が上面木山(じょうめぎやま)越えて大戸越に合流している。▼読みは旧地図より、うとんごえと記したweb頁もあり。▼旧地図には蔭谷の南東直ぐに大戸(オート)地名があり、変化・由来を考察する際は注意。また大分県にも大戸越があり、「うと」の意味を確認しておきたい。
宇納間越 うなまごえ 宮崎県東臼杵郡美郷町北郷宇納間。九左衛門峠から南へ柳の越の北分岐で東へと尾根を辿る古道に美郷町北郷宇納間と東臼杵郡諸塚村大字家代からの古山道が交差する場所、林道開通記念碑や吉野宮神社が峠周辺にある。風雅地誌によれば「家代北ノ越、座頭神」とも、と推定。
榎峠 えのきとうげ 宮崎県延岡市北方町二股。峠を冠した山名。鬼の目山から桧山への尾根線上。
榎峠 えのきとうげ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字松尾。峠地名。耳川右岸の道の小さな峠部分に見える。旧地図には集落名が柳川とあるのでなんらかの変更があったものと思われるが、南の笹の峠方面への道も分岐しているので峠名としては古いのかもしれない。▼椎葉村史には集落名として榎峠が記されている♪
追越 おいごえ 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字上岩戸。西臼杵郡日之影町大字見立煤市-同郡高千穂町大字上岩戸登尾、古山道の峠。二体の石仏が祀られている。
大石越 おおいしごえ 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字鞍岡。西臼杵郡五ヶ瀬町大字鞍岡大石の内-同町町大字三ヶ所大石。西南の役の西郷軍塹壕跡が残る。
大河内越 おおかわちごえ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字大河内。国道388号、三方岳と尾崎山の鞍部を越える。
大峠 おおとうげ 宮崎県延岡市北川町川内名。大分県境、調査報告より、梓山峠の別ルートだろう。
大戸野越 おおとのごし 宮崎県宮崎市田野町甲。県道28号日南高岡線、日南市北郷町北河内-宮崎市田野町甲。▼旧地図によれば、古道は石坂からの県道340号大戸野清武線が鞍部を越え現スーパーとむら直営牧場への道であり、この鞍部が大戸野越であった可能性が高い。また県道28号には飫肥杉峠展望台とあり、名称が変更しつつある途中なのかもしれない。▼日南市北郷町北河内大戸野へを意味した目的地由来の峠名に思える、旧地図では「オートンノ」と読みがあてられている。
大原越 おおはるごえ 宮崎県延岡市北川町川内名。大分県境、大分県佐伯市宇目大平大原-延岡市北川町川内名柚ヶ内(ゆうがうち)、古道は県境の尾根に沿って南北に走る。▼西南の役戦地址、砲台跡や地蔵があるという。元禄国絵図では矢ヶ峰と記され街道が記されている、この矢ヶ峰が現中ノ嶺なのか詳細は不明。大原(おおはる)からの地名由来峠。
大藤越 おおふじごし 宮崎県日南市大字宮浦。古山道、日南市北郷町大藤-同市大字宮浦。
尾崎峠 おさきとうげ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字大河内。東臼杵郡椎葉村大字下福良-同村大字大河内。龍岩山と尾崎山の鞍部、古山道は同村大字大河内尾崎から北尾根へ龍岩山手前の標高点1352を南で迂回し峠に至りその後は北西にトラバースしつつ進み桑の木原へと下る。
おとう越 おとうごえ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福良。椎葉村大字不土野古枝尾と同村椎葉大字下福良上福良との間の古山道。▼椎葉村史に尾戸越と記されている箇所だろう。読みも漢字もト系の峠地名の様に感じられる。
小原井峠 おばらい 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字三ヶ所。西臼杵郡五ヶ瀬町大字三ヶ所奈良津-東臼杵郡諸塚村大字七ツ山小原井、古山道の峠、現林道。▼宮崎県内にある尾払と読みが同じ、峠自体は集落地名由来だろう。
尾平越 おひらごえ 宮崎県東臼杵郡門川町大字川内。東臼杵郡門川町大字川内市の原-東臼杵郡美郷町北郷入下尾平、古山道の峠。目的地由来の峠名。
尾平越 おびらごえ 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字上岩戸。大分県境、県道7号緒方高千穂線、大分県豊後大野市緒方町尾平鉱山尾平-西臼杵郡高千穂町大字上岩戸三合(みつあい)方面。旧地図で古道が現尾平越トンネルの東側で尾根を越えている。元禄国絵図では三本松越と記される。
尾股峠 おまたとうげ 宮崎県児湯郡西米良村大字板谷。国道265号、児湯郡西米良村大字村所(むらしょ)尾股と同村大字板谷上板谷を繋ぐ。旧地図には見えず、国道開設後についた名称かもしれない。
折辺越* おりべごえ 宮崎県小林市須木中原。日向地誌による、位置は推定、西側の西俣山まわりだったかもしれない。須木中原の原から川沿いに北上、木場屋敷からも北へ峯を越え田代ヶ八重に至る行程。▼国道265号開通により廃道となったのだろう。
鏡洲峠 かがみずとうげ 宮崎県宮崎市清武町今泉。県道27号宮崎北郷線の旧道部、旧飫肥街道。宮崎市清武町木原黒坂が登り口にあたり峠を越えて同市大字鏡洲地区へと至る。
柿ノ木田越* かきのきだごえ 宮崎県日向市東郷町山陰丙。現状は国道327号線の迂回路となっているが、開削以前に耳川沿いを下るルートは崖が険しく通行が難しかったため柿ノ木田越を使用したのだろう。東郷町山陰丙の小野田と出口の間のなだらかな峠。▼旧地図には国道327号線の日向市東郷町山陰乙(32.401351,131.570013)に切通地名が残り、切通バス停もある。出口との関連が疑われる。
粕野峠 かすのとうげ 宮崎県東臼杵郡美郷町西郷田代。美郷町北郷宇納間坂元と同町西郷田代若宮(休粕野)を結んだ古山道、現在は南からの林道がほぼトレースしている。▼現地未確認(和田峠の可能性も少しあるが)だが、日向地誌によれば田代越が「坂元ヨリ西南ニ向ヒ…八九町…粕野ニ至ル」とある。地名由来の峠だろうし、坂元も同様かと。
片角峠* かたすみとうげ 宮崎県延岡市須美江町。延岡市浦城町(うらしろまち)-同須美江町の古道峠、旧道開通を経て現在は国道388号新浦城トンネルが代替する。▼須美江は旧地図で須怒江と記される。
陸地峠 かちじとうげ 宮崎県延岡市北川町川内名。大分県境、大分県佐伯市直川大字仁田原黒沢-延岡市北川町川内名(かわちみょう)陸地(かち、旧地図ではかちぢ)、一部は林道が上書き。▼西南の役古戦場址、峠には案内板、石碑等がある。
桂峠 かつらとうげ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福良。椎葉村大字下福良-同村大字松尾。旧地図では北の十根川集落と南の石原(いしわら)集落とを結ぶ古山道が主要なものに見える。▼元禄国絵図にも記載、かつら越とある。
兼ヶ瀬越* かねがせごえ 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字鞍岡。大字鞍岡笠部と大字三ヶ所兼ヶ瀬の古山道峠。▼旧地図より、現在は峠の下に県道202号鞍岡赤谷線、笠部隧道。
椛越 かばのこし 宮崎県西都市大字片内。▼越地名、名称・読み共に旧地図より。鳥巣(とんのす)から譲葉への古道の集落。椛越西側の尾根上にも旧道が見え道が繋がり、茶屋の名も見えるのでこちらが本道だろう。▼昭和初期の地図だが東の対岸に米良街道が開通しているがこちらが旧街道にあたるのかもしれない、要調査。▼旧地図に見るこの古道は、西都市大字三納(みのう ※三尾だったのかも)永野付近から三納川左岸の尾根を北へと進み長谷観音、笹ノ元、茶屋、折登(おっど)、猿ノ圍そして尾泊へと至る。尾泊からは北は片内、橋口、瓢箪渕へ、そして西は現児湯郡西米良村大字越野尾礇石(され)へと分岐する。※猿ノ圍には学校の記号がある。
雷坂 かみなりざか 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字不土野。椎葉村大字不土野三方界の下流辺りから県境及び旧国境へと至る尾根路の坂名。標高点1575北で分岐し、北へは椎矢峠、南西へは国見岳と向かうことになる。
上野峠 かみのとうげ 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸。旧地図の古道ルートは、西臼杵郡高千穂町大字岩戸野方野と同郡日之影町大字七折箱石・一の水を結ぶ古山道。高千穂町側から峠手前で徳富(とくずみ)方面への分岐がある。現在は野方野から神の里トンネルが南の深角(フカズミ)を繋ぐ。
喜蔵立越 きぞうだちごえ 宮崎県東臼杵郡美郷町南郷神門。東臼杵郡美郷町南郷水清谷(みずしだに)槇の越と同町町南郷神門(みかど)仁久川を結んだ古山道。
清水峠 きよみずとうげ 宮崎県東臼杵郡美郷町北郷黒木。▼峠のすぐそばに清水観音があり、祠脇の大杉の元から水が湧き出るという。峠と観音様の由来はこの湧水か。延岡から諸塚村家代への旧往還、旧地図にてそのあとを探ると、延岡市北方町川水流桑水流から西に延びる尾根を登り高畑、清水峠、早日の峰、石峠、崘出(ろんで)山、中小屋、九左衛門峠、柳の越まで尾根線を走り続けて東臼杵郡諸塚村大字家代へと至る。現在はフォレストピア六峰街道(二子山東線、二子山西線、諸塚山線の3つの基幹林道からなり、速日峰、九左衛門、真弓岳、諸塚山、赤土岸山、二上山の6つの峰の尾根を走る、全長57kmの大型林道)が一部を代替する形になっている。
霧立越 きりたてごえ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字不土野。椎葉村大字下福良と同村大字不土野の間。旧地図で確認できる霧立越(旧地図では「きったてごえ」と)の古道は、西臼杵郡五ヶ瀬町大字鞍岡波帰から白岩峠へ至り、その後は尾根上を南下し東臼杵郡椎葉村大字不土野滝へと繋がる。霧立越は場所よりも行程自体を指していたのだろう。またこの行程は熊本県上益城郡山都町馬見原(まみはら)と椎葉を繋ぐ主要道であったようで、 「駄賃付け」と呼ばれた馬による運送業が営まれ、馬見原からは酒や塩を、椎葉からは木炭やお茶を馬の背にくくりつけて往復したという。
輝嶺峠 きれいとうげ 宮崎県小林市須木中原。国道265号、小林市須木中原の木場屋敷(旧地図にはこばんやしき)から峠を越えて田代ヶ八重に至り西米良村に入る。旧地図に見る古道は二本あるがルートは異なる。
崩野峠 くえのとうげ 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字五ケ所。県道8号竹田五ヶ瀬線、新五ケ所高原トンネル、高千穂町大字河内-同町大字五ケ所。旧道に崩野隧道があるが、旧地図(読みはクヘノ)によれば切通しであり、その後道をさらに掘り下げる形で隧道を通したと考えられそうだ。
九左衛門峠* くざえもんとうげ 宮崎県西臼杵郡日之影町大字分城。▼旧地図より。日之影町、美郷町、諸塚村の三町村界、現在は久左衛門山とも。北は真弓岳、東は中小屋山、南は柳の越からの尾根上の道が合流する場所。東の清水峠と並んで古道の主要な箇所であったが、現在は県道及びフォレストピア六峰街道が峠を迂回するのみとなっている。
クスノキ峠 くすのきとうげ 宮崎県延岡市北川町川内名。大分県境、調査報告より、梓山峠の別ルートだろう。
国観峠 くにみとうげ 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字五ケ所。大分県境、大分県竹田市大字神原(こうばる)-西臼杵郡高千穂町大字五ケ所、祖母山登山道の分岐点。
国見峠 くにみとうげ 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字鞍岡。国道265号線旧道、東臼杵郡椎葉村大字下福良(ふくら)-西臼杵郡五ヶ瀬町大字鞍岡。東側に現国道265号国見トンネルが走る。古山道はトンネルの上。
九年越* くねんごえ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字大河内。▼元禄国絵図より、位置・読み共に不明。嶽之枝尾村(現竹の枝尾)の上流(現新橋付近か)から北へ進み鷹巣山からの尾根を越えて一戸村(現一つ戸谷右岸あたりか)より上手を過ぎて釣橋を渡り横野村(現横野)に至る道。
倉迫越 くらざこごし 宮崎県日南市北郷町大藤。▼古山道、日南市北郷町大藤-同市大字宮浦。倉迫へと至る峠道。
国見峠 くるみとうげ 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字鞍岡。▼位置・読み共に旧地図より。西臼杵郡五ヶ瀬町大字鞍岡本屋敷と東臼杵郡椎葉村大字下福良の木浦・幸平を結ぶ古山道の峠、ルートは現地図でもほぼトレースしている。椎葉村史及び日向地誌には久留美嶺の名が見え、木浦山の項には「山脈ハ東北久留美嶺ニ連ナリ…」ともある。旧椎葉村と旧鞍岡村(現五ケ瀬町南部)を繋いだのは木浦山西の霧立越が主道で、同山東の久留美嶺を越える道は脇道であったのかもしれない。▼明治35年測図、昭和7年修正測図版では旧国道265号線は見えないため国道開通前後に峠名が移されたと考えれば、久留美嶺⇒国見峠(くるみとうげ)⇒国見峠(くにみとうげ)と変化したのかもしれない。
黒岩峠 くろいわとうげ 宮崎県延岡市北川町川内名。延岡市熊野江町中村-延岡市北川町川内名惣別当、古道峠。鏡山丸野山から北西尾根、林道が南側を走る。
くろそん峠 くろそんとうげ 宮崎県えびの市大字内竪。山地名、元禄国絵図より。旧地図では黒園(くろそん)山と記されている。旧三国境(日向国、薩摩国、大隅国)、ただし薩摩国では三別木場峠であったと、現在は県境。
黒原越 くろばるごえ 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字五ケ所。西臼杵郡高千穂町大字上野田井元と同大字五ケ所笈の町を繋いだ古山道、五ヶ所方面から南へ行く時赤川浦岳を西から迂回するのが崩野峠で、東側がこの黒原越。旧西臼杵郡田原村と同郡上野村の村界。
小梓峠* こあずさとうげ 宮崎県延岡市稲葉崎町六丁目。古道は小梓(稲葉崎5の北)から大峡町へ、西南戦争の戦地址。
九瀬越 ここぜごえ 宮崎県小林市須木鳥田町。日向地誌より、ルート及び位置は推定、小林間道。読みは旧地図より。現小林市須木鳥田町上九瀬と小林市大字東方橋満との間の古山道。
小坂越 こさかごえ 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井。高千穂町大字下野-同町大字三田井を結んだ古山道。旧地図では小坂、北取り付き付近に坂ノ下、旧西臼杵郡高千穂町と旧同郡上野村の村界。国道325号線が西側を大きく迂回する。東に浅ヶ部越。
小崎峠 こざきとうげ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字不土野。熊本県境、球磨郡水上村大字江代-東臼杵郡椎葉村大字大河内。小崎方面から水上村への古山道、直ぐ西が不土野峠。
越ノ谷越 こしのたにこえ 宮崎県小林市須木中原。日向地誌による、旧米良間道、旧国境。小林市須木中原の田代ヶ八重から北へ峠を越えて児湯郡西米良村大字村所尾股(旧村所村ノ内尾股村)に至る。
小太ヶ墓峠 こたがはかとうげ 宮崎県東臼杵郡諸塚村大字家代。東臼杵郡美郷町北郷宇納間(うなま)-東臼杵郡諸塚村大字家代。詳細等は不明。日向地誌によれば「家代南ノ越、荒谷越」とも呼ばれたことが推定できる。
小林峠 こばやしとうげ 宮崎県西臼杵郡日之影町大字見立。西臼杵郡高千穂町上岩戸今藤-西臼杵郡日之影町見立煤市。
五本松峠 ごほんまつとうげ 宮崎県日向市東郷町山陰己。東臼杵郡美郷町西郷田代-日向市東郷町山陰己(やまげき)。現在は珍神山からの西に延びる尾根に林道が走る。
小屋町峠 こやまちとうげ 宮崎県児湯郡木城町大字石河内。県道19号石河内高城高鍋線、現地図の道は新しいもので詳細な位置は不明。ただし県道19号線自体は小丸川沿いよりも通行がしやすく古道と思う。▼日向地誌の石河内村の項に旧石河内村と旧高城村の間に往還があり前阪と記されている、石河内村の急な坂を言ったものと思われる。
五郎ヶ越 ごろうがごえ 宮崎県東臼杵郡美郷町南郷上渡川。県道39号西都南郷線、西都市大字上揚(かみあげ)-東臼杵郡美郷町南郷上渡川(かみどがわ)。「五郎ガ越」、「五郎が越」とも表記。▼江戸期には米良方面が肥後国であったため元禄国絵図にも国境の標として「五郎カ越峠」と記されている。▼五郎ヶ越の西側旧国境に厚朴峠という名称が見えるが詳細は不明、槇鼻峠とは異なる。
幸脇峠 さいわきとうげ 宮崎県日向市大字幸脇。旧日向街道細島宿と美々津宿を結んだ、現国道10号が峠の東側を迂回、美々津からは海岸線近くを北に幸脇峠、たぶ峠を越えて日向市方面へとなる。峠部分は岩肌が剥き出しの切通しは中々の見応え、地蔵様や石碑などもある。
境野峠* さかいのとうげ 宮崎県東諸県郡国富町大字嵐田。県道24号高鍋高岡線、薩摩街道高岡筋、宮崎市高岡町飯田-東諸県郡国富町大字嵐田(あらしだ)。旧東諸県郡本庄町と同高岡町の境界。
鷺の巣峠* さぎのすとうげ 宮崎県東臼杵郡美郷町南郷神門。鬼神野の橋場と神門の長堀を結んだ古道峠。わしのすとうげの読みを見るが、一応漢字通りに読んでおく。
笹の越 ささのごえ 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字三ヶ所。西臼杵郡高千穂町大字向山(むこうやま)蔵の平-西臼杵郡五ヶ瀬町大字三ヶ所(さんがしょ)内の口、古山道の峠。現在はフォレストピア六峯街道が古道に直行する形で通っている。
笹の峠 ささのとうげ 宮崎県東臼杵郡美郷町南郷山三ヶ。南の万寿峠、熊山からの尾根路、峠から北に東臼杵郡椎葉村大字松尾へと至る。北に下る途中には、東への分岐があり山の神尾根路を行くことになる。
椎葉越 しいばごえ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字不土野。熊本県境、熊本県八代市泉町樅木(もみぎ)-東臼杵郡椎葉村大字不土野(ふどの)。現在は林道が大きく迂回しながら走っているが、古道は大字不土野尾手納(旧地図では尾手尾)と泉町樅木八八重(はちはえ)を真っ直ぐに結んでいた。椎葉の人が葬儀の際に僧侶を呼んだことから「ぼんさん越」とも。
椎矢峠 しいやとうげ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字不土野。熊本県境、熊本県上益城郡山都町菅(すげ)-県東臼杵郡椎葉村大字不土野(ふどの)、現林道。旧地図に見える古道は、耳川の谷から三方山へと進み高岳へと尾根上を走っている。林道は昭和以降の新しいものだろう。
しおり越 しおりごえ 宮崎県日向市東郷町迫野内。東臼杵郡美郷町北郷宇納間-日向市東郷町迫野内。
鹿川越 ししがわごえ 宮崎県延岡市北方町上鹿川。登山道、延岡市北川町川内名-延岡市北方町上鹿川申(かみししがわさる)。
鹿川峠 ししがわとうげ 宮崎県西臼杵郡日之影町大字見立。登山道、釣鐘山。日之影町黒仁田・鹿川方面と諸久と高橋を繋いだ古道峠。
しゃれ越 しゃれごえ 宮崎県西臼杵郡日之影町大字七折。日之影町七折の戸川岳北で徳富(とくずみ)と白仁田・戸川を結んだ古山道。
白岩峠 しらいわとうげ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字不土野。西臼杵郡五ヶ瀬町大字鞍岡-東臼杵郡椎葉村大字不土野、登山道。向坂山と白岩山の鞍部。古道の峠は尾根線を南に下る霧立越(きりたてごえ)の取り付き部でもある。
杉が越 すぎがごえ 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字三ヶ所。西臼杵郡高千穂町大字押方小谷内-五ヶ瀬町-西臼杵郡五ヶ瀬町大字三ヶ所(さんがしょ)内の口、二上山南南東すぐの鞍部を越える古山道の峠。
杉ヶ越 すぎがごえ 宮崎県西臼杵郡日之影町大字見立。大分県境、大分県佐伯市宇目町木浦内-西臼杵郡日之影町大字見立、県道6号日之影宇目線、杉ケ越トンネル。見立鉱山と大分県の木浦鉱山を繋いだ古道の峠。傾山、新百姓山の登山口。
宗太郎越 そうたろうごえ 宮崎県延岡市北川町川内。大分県境、大分県佐伯市宇目重岡宗太郎-延岡市北川町川内名矢ヶ内。宗太郎峠とも言いJR日豊線秘境駅名としても知られるが、古道は東の尾根へと延びて峠を越える。国道10号、日豊本線が走るのは宗太郎地区、県境は川沿いに下って川が合流する箇所で、元禄国絵図では「山出のはき」と記される。
高峠 たかとうげ 東臼杵郡美郷町南郷神門
滝山越* たきざんごえ 宮崎県串間市大字市木。串間市大字市木(いちき)八ヶ谷と串間市大字大納(おおのう)大納との古山道。
田谷峠 ただにとうげ 宮崎県東臼杵郡美郷町北郷宇納間。東臼杵郡美郷町北郷宇納間長野と同町西郷田代上八峡の間にあった古道峠。旧地図には峠名は無く、現在は林道。
立花越 たちばなごえ 宮崎県延岡市北方町板下。屋方原と唐立・黒仁田との間の古山道。
棚倉峠 たなくらとうげ 宮崎県西都市大字銀鏡。児湯郡西米良村大字小川-西都市大字銀鏡(しろみ)。
たぶ峠 たぶとうげ 宮崎県日向市大字幸脇。国道10号線、旧日向街道。日向市方面からだとたぶ峠と幸脇峠を越て美々津に至る道。旧道は国道が上書きしたようで、側面はコンクリートで補強されているが古い切通が一部で残っている。
俵石越 たわらいしごえ 宮崎県西臼杵郡日之影町大字七折。旧地図の古道ルートは、西臼杵郡大字岩戸布城から杔原越と分岐し猿岳の東で峠を越えて同郡日之影町大字七折(ななおり)白仁田・戸の口に至る。
茶屋越 ちゃやこし 宮崎県東臼杵郡美郷町南郷上渡川。東臼杵郡美郷町南郷鬼神野(きじの)-同町南郷上渡川(かみどがわ)。旧道峠部分は切通しで古道とも交差する、現在は茶屋越トンネルが代替。
九折越 つづらごえ 宮崎県西臼杵郡日之影町大字見立。大分県境、豊後大野市緒方町上畑(うわはた)-西臼杵郡日之影町見立、登山道。傾山と本谷山の尾根線鞍部。
椿山峠 つばきやまとうげ 宮崎県宮崎市大字鏡洲。県道27号宮崎北郷線、旧飫肥街道。日南市との境界手前の椿山を西側で迂回するルートの鞍部。大字鏡洲(かがみず)。
寺尾越 てらおごえ 宮崎県延岡市北川町川内名。延岡市北川町川内名平野-同下塚、古道峠。現在は林道が峠付近で交差する。
津花峠 つばなとうげ 宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町大字三ヶ所。国道218号、津花トンネル上の旧道峠、古山道の峠も同箇所。
都井峠 といとうげ 宮崎県串間市大字都井。▼旧地図より、現国道448号線都井トンネルが峠下を走る、また旧道にも都井隧道があり峠はそれ以前。
峠谷* とうげたに 宮崎県西臼杵郡日之影町大字七折。▼峠地名。
道元越 どうげんごえ 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸。西臼杵郡高千穂町大字上野王農内と同大字岩戸土呂久。林道道元越線が峠部分を南に迂回して通る。源義経に仕えた佐藤忠信の子「佐藤道元」の屋敷跡、墓が残っており、峠名の由来でもある。▼高千穂は神話だけでなく、竜駒をはじめ諸伝承に注目したい場所。
渡川越 どがわこし 宮崎県日向市東郷町下三ケ。日向市東郷町下三ケ(しもさんげ)田口原と同上村を結ぶ古山道、現在は新道と竹ノ野トンネルが代替する。
鳥居峠 とりいとうげ 宮崎県日南市大字東弁分乙。古山道、日南市大字宮浦-同市大字東弁分乙(ひがしべんぶんおつ)。
殿所峠* とんとことうげ 宮崎県日南市大字星倉。峠地名もになっているが、県道430号郷野原日南線、旧飫肥街道、殿所峠バス停、峠部分には旧峠の茶屋もある。また旧飫肥街道からは殿所方面への脇道もあり峠の由来だろう。殿所峠自体は大字星倉で大字殿所と接する形。
長野峠 ながのとうげ 宮崎県延岡市北川町川内名。下赤と祝子川方面を結んだ古山道、黒原山の南東。ふるさと林道 竜子・下祝子線は峠の北側、長野トンネルが開通している。
長野峠* ながのとうげ 宮崎県児湯郡都農町大字川北。都農町丸溝と長野の間、バス停有。
中山峠 なかやまとうげ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福良。椎葉村大字大河内と同村大字下福良、現在は峠の東側にひむか神話街道の中山トンネルが開通している。古山道は大字大河内中山から龍岩山の東鞍部を越えて大字下福良間柏原(まかやばる)へと至る。
奈佐木峠 なさきとうげ 宮崎県小林市須木奈佐木。県道401号奈佐木高岡線、小林市須木内山-小林市須木奈佐木。
七っ山越* ななつやまごえ 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字向山。▼旧地図による古道は、西臼杵郡高千穂町大字向山(むこうやま)秋元から南の谷筋を登り、猿越山神社の東側をトラバースしつつ諸塚山から東に帯びる尾根線鞍部に出る。ここからは現諸塚山スカイラインが古道をほぼトレースする形で東臼杵郡諸塚村大字七ツ山の星の久保へと至る。
七曲越 ななまがりごえ 宮崎県日向市東郷町山陰戊。日向市南部熊山と西林山の鞍部を越える古山道、日向市東郷町山陰甲(やまげこう)と日向市東郷町山陰戊(やまげぼ)仲瀬を結んだ。現日向市の南西部から美々津に出るには川沿いに下ると大きく迂回するので、この七曲峠を使う方が早かったのだろうと思う。
人夫坂* にんぷざか 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字上野。国道325号線、新玄武坂トンネル、高千穂町大字田原(たばる)-同町大字上野、旧道の峠に人夫坂隧道。▼北西にある崩野峠と同じく旧地図によれば切通しであり、道をさらに掘り下げる形で隧道を通したと考えられそうだ。▼旧地図には人歩(ニブ)峠ともあり名称と読みも変わっている点には注意しておきたい。
箱峯* はこみね 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字五ケ所。▼元禄国絵図から、日向、豊後、肥後の三国境、豊後では嵐峠、肥後では賀子原山と呼んだと。
鉢の窪峠 はちのくぼとうげ 宮崎県西都市大字尾八重。児湯郡木城町大字中之又中野と西都市大字尾八重(おはえ)を結ぶ古山道、ひむか神話街道が交差する。
鼻切峠 はなきれとうげ 宮崎県都城市安久町。国道222号線、旧飫肥街道、熊本県境付近。
はみの峠 はみのとうげ 宮崎県東臼杵郡美郷町西郷田代。東臼杵郡美郷町南郷水清谷(みずしだに)-東臼杵郡美郷町西郷田代日平(びびら)。
はやま峠 はやまとうげ 宮崎県東臼杵郡美郷町西郷田代。下八峡(しもやかえ)と和田を結んだ古山道、現在は古道を上書きして整備されている。下八峡を起点に北側の山越えに石峠、田谷越とこのはやま峠がある。
日平越 ひびらごえ 宮崎県児湯郡西米良村大字小川。西都市大字上揚(かみあげ)-児湯郡西米良村大字小川。▼西米良村の守り神的な存在に昇華したという狩子坊主(かりこぼうず)の伝承は今後調査したい。
日諸峠 ひもろとうげ 宮崎県東臼杵郡諸塚村大字七ツ山。西臼杵郡日之影町-東臼杵郡諸塚村、県道50号諸塚高千穂線と県道209号上長川日之影線が交わる。フォレストピア六峰街道の真弓岳と諸塚山の区間上、旧地図には無く日之影町と諸塚村の頭をとった名称のようで新しい峠だろう。
不土野峠 ふどのとうげ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字不土野。熊本県境、県道142号上椎葉湯前線、熊本県球磨郡水上村大字江代(えしろ)-東臼杵郡椎葉村大字不土野(ふどの)。
麓越* ふもとごえ 宮崎県小林市須木下田。旧地図より。現在は峠部分の真下を国道265号新軍谷トンネルが開削されている。奈佐木から下田側の麓への古山道だったのだろう。西側の軍谷峠が国道として整備されたため消えたのかもしれない。▼日向地誌には小林間道に属すとあり、軍谷越が小林往還とされているので主道は後者。
古江越* ふるえごえ 宮崎県延岡市北浦町三川内。旧東臼杵郡北浦村地下(じげ)と同イヤザメの間の古道峠、この後は仏の越、本口を通り石神越(黒沢越)で豊後国へ。国道388号古江トンネル東側の旧道、神子山と陣が峰の鞍部。峠から東に尾高智(おたかち)神社への参道が伸びる。
堀切峠 ほりきりとうげ 宮崎県宮崎市大字折生迫。県道377号内海加江田線、国道220号線峠堀切トンネルが代替。名称の由来でもあろう峠部分の切通は拡張整備されていて往時の雰囲気こそないものの、峠付近では一気に海が開ける光景は素晴らしい。赤坂高架橋下にある折生迫(おりうざこ)からの旧道沿いにも点々と古い切通は見られる。▼ただし古道は海沿いが中心だったようで、白浜を過ぎ坂本から峠道となり再び海岸線に出て宮崎市大字内海方面へと繋がっていたようだ。▼おそらく新道開発と共に赤坂、坂本といった地名に伴った峠道の名称は薄れて、現在の堀切峠へと収斂していったと思われる。
堀切峠 ほりきりとうげ 宮崎県えびの市大字東川北。熊本県境、国道221号加久藤トンネル上旧道、現市道。加久藤峠とも呼称。熊本県人吉市矢岳町-えびの市大字東川北。旧地図には古道はあるも峠名は無く掘割と記される。
槙鼻峠 まきはなとうげ 宮崎県東臼杵郡美郷町南郷上渡川。東臼杵郡椎葉村大河内-美郷町南郷上渡川、「槇鼻峠」とも。
松木越 まつきごえ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福良。大字下福良たかつごう山すぐ北の鞍部、見の木と松木間の古山道。目的地由来の峠名。▼元禄国絵図にもみえる峠道。
松瀬越 まつぜごえ 宮崎県延岡市北方町川水流。延岡市北方町笠下黒原-東臼杵郡門川町川内松瀬。旧地図に古道は見えるが名称は無い。
松永越 まつながごし 宮崎県日南市大字松永。古山道、日南市大字宮浦-同市大字松永。
松の越* まつのこし 宮崎県東臼杵郡美郷町西郷山三ヶ。越地名、山三ヶ(やまさんが)。
丸山峠* まるやまとうげ 宮崎県都城市関之尾町。丸山山頂部を迂回する古山道。
万寿峠 まんじゅとうげ 宮崎県東臼杵郡美郷町南郷鬼神野。東臼杵郡美郷町南郷区神門(みかど)-同町南郷鬼神野(きじの)。
みそ谷越 みそたにごえ 宮崎県東臼杵郡美郷町南郷神門。神門の古山道の一つ、みそ谷峠とも。
皆越* みなごえ 宮崎県小林市大字東方。日向地誌による、旧米良間道。日向国諸県郡須木郷須木村はへの尾村(現小林市須木鳥田町の八重尾谷川上流部)から旧国境の一本杉(元禄国絵図には杉之元とある)を越えて蜷越(ニナゴエか? みなごえの古表記かも)に至る、越地名からもおそらくは球磨郡あさぎり町皆越(みなごえ)であろう。
矢立峠 やたてとうげ 宮崎県延岡市北川町川内名。大分県境付近、桑原山南東、黒内と小岩屋を結んだ古道峠。小岩屋川には矢立谷がある。
矢立峠* やだてとうげ 宮崎県北諸県郡三股町大字長田。旧地図より。日南市北郷町北河内(きたかわち)板谷と北諸県郡三股町大字長田の板屋(旧地図名)を結んだ古道峠だが現在の地図にはその痕すら見えない。現在は県道33号都城北郷線矢立トンネルが代替。
山師峠 やましとうげ 宮崎県西臼杵郡日之影町大字七折。日之影町大字七折の大菅と中川を結んだ古山道。
山中峠 やまなかとうげ 宮崎県日向市東郷町山陰庚。県道225号八重原延岡線、日向市東郷町山陰庚(やまげこう)-東臼杵郡門川町大字川内(かわち)。
山頭峠 やまのととうげ 宮崎県西臼杵郡日之影町大字岩井川。位置・読みとも旧地図より、西臼杵郡日之影町と東臼杵郡諸塚村との間の古山道峠。古道は日之影町大字岩井川猪の原(旧地図では追川)から川沿いに登り芭蕉の元の先で分岐を南へ向かい山頭(やまんと)から南の峠へと進む、三角点1023.3を南から迂回し、東臼杵郡諸塚村大字七ツ山の中山そして西北西の伊友へ、与狩内川の右岸尾根線を伝って松尾、上長川(かみなごう)へと至る。▼元は山頭のみで峠を意味し後に峠がついたのだろう、トウ音の峠地名の一つと推定しておく。
湯屋ヶ坂* ゆやがさか 宮崎県児湯郡木城町大字高城。▼越地名。県道19号石河内高城高鍋線、高城址南側の坂道。坂を登り切って分岐がある、旧地図では主道が三角点70.5に向かう。
横尾峠 よこおとうげ 宮崎県東臼杵郡椎葉村大字下福良。東臼杵郡椎葉村大字下福良と東臼杵郡諸塚村大字七ツ山横尾(旧地図より)を結んだ古山道、峠の山名。
横谷峠* よこたにとうげ 宮崎県児湯郡西米良村大字板谷。熊本県境、熊本県球磨郡湯前町-児湯郡西米良村大字板谷。国道219号線の旧道部、現横谷トンネルが峠下を走る。天保国絵図には一里山峠、横谷峠ともに記されていないものの上板谷村から湯前村までの道が記されている。
六方ヶ辻* ろっぽうがつじ 宮崎県東臼杵郡美郷町西郷山三ヶ。旧地図ではコムギノ越とされる。日向地誌では、旧山三ヶ村から神門越と山神越という二つの路が示されており、六方ヶ辻もこれらを構成する峠の一つだったと思われる。
和田越* わだごえ 宮崎県延岡市無鹿町一丁目。国道10号、日豊本線、旧道は和田越隧道東側丘陵、南麓を堂坂と呼ぶ。西南の役の戦地址、西郷隆盛が直接指揮をとったという。「和田越決戦場」の石碑がある。
和田峠 わだとうげ 宮崎県東臼杵郡美郷町北郷宇納間。国道388号、和田越トンネル。旧国道、現町道。美郷町北郷宇納間片平と同町西郷田代和田を結んだ。▼美郷町北郷宇納間は旧宇納間村でもある。この周辺の峠は多いが、目的地由来の峠も多く旧地図・史料に見えないものも多く、同地区で大正から昭和にかけての林業推進期につけられた可能性もあるのではと。
渡内越 わとうちごえ 宮崎県西臼杵郡日之影町大字見立。旧地図の古道は、西臼杵郡高千穂町大字岩戸大猴渡(おおそたり)と同郡日之影町見立名女石(なめし)の間を結ぶ古山道。大猴渡側からは南側峠にあたる湾洞越の分岐も見える。
湾洞越 わんづごえ 宮崎県西臼杵郡日之影町大字見立。読みは旧地図より。旧地図の古道ルートは、西臼杵郡大字岩戸布城から赤水を越えると大猴渡(おおそたり)からの合流があり、峠を越え同郡日之影町大字見立方面へ、途中で川中と下鶴への分岐がある。元は両地域とも旧岩戸村内であったため生活道として郵便配達、保険の営業、子牛競り市など頻繁に使用されていたとのこと。現在は「天の古道」として復元されている。
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